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ページ1:放課後の校舎にて

 俺は、ヒーローになりたかった。


 みんなを救える正義の味方に。


 今はもう昔のことだが、この夢だけは幼い頃から変わっていない。

 卒業アルバム。将来のこと。どれを覗いても、全てがヒーローだらけだった。


 我ながら、よくもまあここまで変わらずに突っ走ってこれたな、と思う。

 考えれば、この歳でまだヒーローに憧れること自体、希なことなのだ。

 ……でも、カッコよかった。自分の身を顧みず、誰かに尽くしている姿に、俺の心は奪われた。

 いつかこんな風になれたら。俺の思い描くヒーローは、ある種の目標でもあった。


 必殺技も、無敵の肉体も、戦う相手だっていらない。

 欲しいのは、一握りの勇気だけ。


 俺は、ヒーローになりたかった。






「気をつけー。礼」


 いつも通り、やる気のない号令とともに一日の授業が終了した。

 途端に生徒が動き出す。部活動に勤しむ者、早足で学校を立ち去る者、特に用もなく教室に残る者。

 彼らのあり方はそれぞれである。


「悪い小原、少し頼まれてくれ」


 帰り支度を整え、カバンを手に取った俺に声をかけたのは、担任の吉村先生だった。

 彼は人望が厚く、生徒からもよく慕われている。スポーツ万能で博識者。歳も若く、おまけに高い身長と俳優顔負けの甘いルックスを持つ。その美貌たるや、学校中の女子達がこぞってアプローチを仕掛けるほど。

 犬も歩けば棒に当たるように、この学校は、歩けば吉村ファンに当たる。

 さっきも廊下にいた複数の女子が先生の香りについて語っていた。

 もうここまでくるとストーカーに近いのでは? なんて思ったが、口にすればどんなブーイングが来るかわからないのでやめた。




 そんな先生だが、俺とは一年の頃からの付き合いだ。

 初めて会ったのは小説を買いに本屋へ向かった時。

 たまたま店内でその姿を見つけ、もしやと思って声をかけたのが始まりだった。

 今では、互いにオススメの本を紹介し合うまでの仲になっている。


 ……実を言うとそれ以外にも繋がりはあるのだが、まあ、こんなところでするような話でもあるまい。


「いいですよ。にしても珍しいですね、俺に頼み事なんて。何か運ぶんスか?」

「いや、そうじゃない。ほら、お前帰り道に本屋があるだろ?」

「ありますね」

「今日そこである人がサイン会やるらしいんだ」

「ああ、はい」


 それは知っている。今朝バスで店の前を通った時、看板が出ているのを見た。

 窓越しだったのであまり文字は見えなかったが、『噂の新人!』 『期待の新星!』 などと書かれていたあたり、最近の作家さんだろう。


「ちょっと急な会議が入って行けないから、代わりにサイン貰ってきてくれねえか?」


 先生はそう言うと、歯を見せて笑いながらぽりぽりと頭を掻いた。

 誰かにモノを頼む時の癖だ。照れているのか悪びれているのか、ついやってしまうらしい。 


 そういう何気ない仕草を見ると、「ああ、やっぱりこの人も人間なんだな」と思える。

 変に完璧じゃないから、余計に親しみやすいもかもしれない。

 俺は断る理由もなかったので、二つ返事で首を縦に振った。


「そういうことなら。ちょうど俺も用事があったんで、少し寄ってみます」

「すまねぇな、パシリみたいに使って」

「いやいや、別に平気ッスよ。でも、時間とかは大丈夫ッスか? 今から行っても間に合わないんじゃ?」

「そこは安心しろ。もう調べた。彼女は学生らしいからな。学校終わってからじゃないと来れないみたいだ。

 よって! サイン会が終わっている可能性はない!」

「なんでそんなに手が早いんスか……」

「ふふふ。全ては一枚のサインのために!」


 先生は不敵に笑う。

 すぐに行動できるのはすごいと思うが、今はただの怪しい変態にしか見えない。

 作家が女性だというなら、尚更だ。


「渡すのは明日でいいッスよね?」

「それくらいで頼むわ。あ、でも別に強制じゃないからな? 暇だったらでいいから」

「わかってますよ」

「うむ。けど本当にごめんな。思春期男子の貴重な時間を奪うことになっちまった」

「待ってください。なんか誤解を生みそうな言い方しないでください」

「おやおや、オレは特に何も言ってないが? もしかして、ヤラシイ妄想でもしてんのか? ん?」

「……先生、俺知ってるんですよ。先生、隠してることありますよね?」

「はっはっは。教師は生徒に隠し事なんてしないんだぞ☆」

「じゃあ、この間体操着の女子をいやらしい目で見てたことも周りに伝えます」

「な、なんのことだい? オレには全く覚えがないなあ」

「そうですか、あくまでシラを切るつもりなんですか。わかりました。だったら証拠写真を全校にばらまいてきます。実は携帯で撮っておいたんですよ。これ見たら、きっとみんなガッカリすることでしょう」

「……え?」

「いやー、印刷しといてよかったなー。なんかに使えると思って作っといたけど、まさかこんなところで役立つなんて」

「ああああああああ! 待った待った! オレが悪かった! 悪かったから!」

「これ、保護者の方や他の先生方に見つかったらどうなるんでしょう。謹慎処分、いや、下手すると懲戒免職されちゃうかも」

「ごめん! ごめんって! ほんと申し訳ないって思ってるから!」

「なんですか? 先生じゃないんですよね? だったら何の問題もないじゃないですか。安心してくださいよ」

「すいませんでした私が愚かでした!」

「……反省してますか」

「もちろん」

「ほんとに?」

「こんな状況まで追い詰められて、嘘なんてつくか!」

「ならばよろしい」


 こういう面倒な絡みがあるときは、相手の弱みをちらつかせるに限る。姉直伝の交渉術の一つだ。

 『このご時世、いかに相手のイタいところを突けるかが大事なのよ!』 と、いつか姉が言っていた。


「で、話戻りますけど」

「その前にさっき言ってた証拠写真を渡して!」

「写真? ……ああ、これですね」


 カバンから一枚の紙切れを手渡す。


「こ、これ何……?」


 そこには大きく『ドッキリ大成功!』と書かれていた。

 事前に用意していたものだ。エイプリルフールに誰かに使ってやろうと思っていたが、結局機会がなかったためそのままにしていた。

 まさかこの人に使うことになるとは。


「騙されました?」

「え? なになにどういうこと?」


 先生は未だ狐につままれたような顔をしている。


「ドッキリ大成功です」

「ドッキ……リ……?」

「はい。写真なんてどこにもありません。もちろん携帯にも残ってません」

「……」

「実際、先生がどんなこと(、、、、、)をしていたかは知りませんが、俺は噂を流すなんて面倒なこと、するわけありませんよ」


 先生は、しばらく沈黙していた。

 計算処理ができなくなったコンピュータみたいに固まってしまった。

 どうやら、彼の脳内は今ぐっちゃぐちゃになっているみたいだ。頭から湯気みたいなものが出ている。

 だから、ポジティブな解釈をしてくれるように、耳元でこう呟いた。


「ーーそれに、先生がいなくなったら寂しいですからね」


 『 こうかは ばつぐんだ! 』

 思った通り、先生は俺の最後の言葉を良いものとして受け取ったようだ。

 よかった。


「よし。なんでも聞いてくれ。俺に答えられる範囲なら出来る限りの事は話そう」

「サイン会のことで少し聞きたいことがあったんですよ。先生の好きなその作者って」


 どん、と自信満々で胸を張る先生に、名前だけは聞いておこうと思った瞬間。


「やべ、もうこんな時間か! ……じゃ、よろしく!」

「え、ちょ、先生……」


 時計を見るなり、風のように走り去ってしまった。

 バタバタと廊下じゅうに足音を響かせながら消えていく。

 またか。

 ため息まじりに肩を落とすと、数秒と待たず放送がかかった。


 校長の声だ。


 予想通り、呼び出されたのは吉村先生である。軽く怒気が混じっていた。

 あとでしこたま怒られるんだろうな。かわいそうに。




 時間に対してかなりルーズなところも、あの人のもう一つの癖だ。

 昔、彼がまだ学生だった頃、当時付き合っていた女の子を半日も待たせ、待ち合わせ場所でその子からの痛烈なビンタをくらったというエピソードがある。

 その時、顔は真っ赤に腫れあがり、ものを食べるのも一苦労だったらしい。

 先生曰く、「今まで生きてきて、死にそうになったのはあの時だけ」だそうだ。

 以降、時間には人一倍神経を使っているらしいが、それでもなぜか遅刻してしまう。

 大事なところが抜けているというか、なんというか。 

 唯一の欠点といったら、そこだけだ。あの癖が治れば、すぐ結婚だって出来るのに。

 大変だなあ。

 同情する気持ちと同時に、せめて作家の名前くらいは教えてほしいと思った。

 しかし、過ぎてしまったことは仕方がない。というか、もう呼び戻すことは不可能だ。

 諦めて自力で探すしかないだろう。






 # # # # # # # #






 カバンを背負い直して昇降口に向かう。

 いつの間にか太陽は今日の務めを終えようとしているようだ。

 廊下から見える空は紫がかっていた。

 あれだけ喧しかった蝉も、気づけばなりを潜めている。


 なんで一斉に鳴き止むんだろう。

 できればシフトを分けて活動してほしい。

 バラバラに鳴いてくれれば、今よりは静かな夏を過ごせそうなのに。

 だいたい、蝉さんが夏に出てくること自体、俺は嫌いなのだ。

 ただでさえクソ暑いこの季節に、耳障りな鳴き声を撒き散らす騒音の源。

 人をイライラさせようとしているに違いない。


 そんなことを思いながら歩くと、いつもの玄関が見えた。

 わかってはいたが、こんな時間だ。人影など一つもない。

 まあ、待っていてくれるような友達もいないのだけれど。


 慣れた動きで「二年一組」の看板へ足を運ばせる。

 自分のげた箱に上履きを突っ込むと、代わりに手にした靴を地面に放り投げた。

 そのまま足を突っ込んで、ぐりぐり。

 若干かかとが潰れているが気にしない。両脇のロックを外して扉を開けた。


 途端、むせかえるような熱気が体にまとわりつく。

 もう夕方だというのに、まだまだ夏の破壊力は収まるところを知らない。

 立っているだけで汗が滝のように吹き出してきた。


「暑い……」


 暑い。

 暑い。

 死んでしまいそうだ。


 もし地球温暖化とかいうのが関係しているなら、俺は全力で阻止したい。

 寒いのは苦手だが、暑いのはもっと苦手だ。脳みそまで溶けてしまいそうになる。




 昔、と言ってもそこまで前のことじゃないが、あの頃はこんなに息苦しくなかった気がするのだ。

 確かに暑いことに変わりはなかったが、こんな、人を殺すような危ないものではなかった。


 汗だくになって、必死になって、夢や希望を膨らませた夏。


 ただひとつを、諦めず、がむしゃらに追いかけていた夏。


 今ではただ地獄に身をよじるだけの生活だ。

 そこに子供の掲げるような理想はない。

 目標って大事なんだな、と、なぜだか今になって思った。



 ……いかん。つい考え込んでしまった。

 今はそんな思い出に浸っているより、頼まれたことを成し遂げなければ。

 たまには恩返しの一つや二つしておかないとバチが当たる。ちょうど本屋にも行きたかったし、いい機会だ。


 ーーと。


 いつの間にか、前方には一人の女生徒の姿があった。

 が、最近目が悪くなってきたのか、かなり遠くにいるので、その顔までは見えない。

 身なりでやっと女子だとわかったくらいだ。


 誰だろう。こんな時間に。


 部活動の生徒は、この校舎をまたいで反対側にいるはずだ。

 運動部はグラウンドで、文化部はB棟で、それぞれ活動している。

 忘れ物でも取りに来たのだろうか。


「……」


 目を凝らして見つめ続け、やっと顔がわかると少しだけ驚いた。

 そこに立っていたのは、隣のクラスの水野(みずの) 皐月(さつき)だったからだ。


 この学校が建っている『旧沢下町』(きゅうさわしもちょうの上、西洋風の大きな館に住んでいるお嬢様である。

 容姿端麗、頭脳明晰、おまけに運動神経も抜群なスーパー優等生だ。欠点の「け」の字もない。

 性格も、活発で折り目正しく、よく笑うし面倒見も良い。

 世の男が思い描くとすれば、それはきっとこんなヤツなんだろう。

 今日も教室にいた複数の男子が水野の香りについて語っていた。

 もうここまでくるとただの変態なのでは? なんて思ったが、口にすればたちまちフルボッコにされる未来が見えたのでやめた。


 あ、いや、よく考えるとマズイか。

 女子達の会話であればまだ華があっていいが、発情期のオスどもが肩寄せ合って「ああ、あの子いい匂いするわぁ」とか言ってるところを想像すると吐き気がしてくる。




 ……さて、ここまで彼女の紹介をしてきたが、もうお気づきだろうか。彼女の状況がどこかの教師と重なることに。

 そう、そっくりなのだ。驚くほど似ているのだ。

 だが目を伏せてもらいたい。

 できた人は周りからモテモテだということで、話を納めてほしい。

 水野はあの人と違い時間に対してもしっかりしている。彼女の方が若干スペックが高いが、先生の面子を保つためにもノーコメントで。


 ただ、そんなヤツだからか、あいつとまともに話ができる人間はほとんどいなかった。

 皆、水野と話そうとすると急な動悸や息切れに襲われて、そのうち顔も見られなくなるそうだ。

 目なんて合ってしまった日には、それこそ失神ものらしい。

 一年の頃は冗談かと思っていたが、目の前で人が倒れたのを見たんじゃ、信じるしかなくなってしまった。




 水野はどこかを見つめて立っている。いつになく不機嫌そうだった。


 珍しいな。 


 何かあったのか声をかけようとしたが、時間がない。あまりのんびりしていると間に合わないだろう。

 バスの時間もあるし、帰宅ラッシュに巻き込まれても困る。


 額の汗をぬぐって駆け出す。

 だが、すれ違って挨拶もしないんじゃ失礼だ。

 相変わらずその場に立っていた彼女に近づいたとき、


「さよなら。帰りは暗いだろうから、気をつけて」


 ポツリと言い残して、走り去った。


 ……その時彼女に何があったのか、俺には全くわからない。

 ただ、一瞬だけ、知らない声が聞こえたような気がした。










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