雨の中で
しとしと、しとしと。
ぽつぽつ、ぽつぽつ。
ざぁざぁ、ざぁざぁ。
そんな、様々に言い換えられる音を辺りに響かせながら、雨が降る。
空から落ちてきた水は、地面にぶつかって弾けとんで、また集まって流れて行く。
降り注ぐ雨粒の、その幾つかが、自分の体にあたって、この身を濡らす。
体に纏わり就いた水は、先程まで火照っていた体温を否応なく奪っていく。
見上げれば、分厚い雲に隠されて、太陽なんかどこにも見えない曇天の灰色が、目の前に広がる。
黄昏か、払暁かと思い違えるほど薄暗い光の中、この道を一人で歩く。
秋には茶色が重なり、冬には純白が積もり、春には桜色が舞い散った、今は雨色でくすんだ緑色の中を、あの人といくつもの思い出を重ねたこの道を、独りで歩く。
あの人はもういない。
あの人が、ここからいなくなることを望んだから。
納得はしていない。
理解もしていない。
でも、これでよかったんだ。
後悔はしている。
折り合いなんか、付いていない。
何度、あの人を追いかけようと思ったことか。
今はもう誰もいない隣の部屋を見て、今はもう誰も答えないインターホンを押してみて、いつもその衝動に駆り立てられる。
別に恋人同士だったとか、想い合っていたとか、そういうことじゃない。
ただ少し、毎朝の挨拶をして、ただ少し、お裾分けをしあう。
そしてたまに、一緒に出掛ける。
そんな、当たり障りの無い、ギブアンドテイクな関係。
他人が見たらどうとか、あの人の気持ちがどうとか、僕にはわからない。
けれど僕は、そう思っていたし、その距離感が心地よかった。
今でも、これが恋だったのかはわからないし、そんなことはどうでもいい。
ただ僕は、あの人がいなくなって、寂しいだけなんだ。
どこか『ここではない遠く』へ行くのなら、せめて声をかけて欲しかった。
けど彼女は、何も言わず、そんな気配も感じさせず、フラリと消えてしまった。
あれから、色んな事があった。
職場の人間は大騒ぎしたし、捜索願いも出され、そしてつい先程、身内含む知り合いの中で、葬儀が行われた。
僕も参加したけれど、何だか居心地が悪くなって、抜け出してきた。
彼女の肉親でさえ諦めてると言うのに、僕だけが、彼女の生存を信じている。
雨が好きだって、彼女は言った。
雨粒が弾ける音が、何だか心地いいから落ち着くって。
でも僕は雨が嫌いだ。
雨は、好きも嫌いも、大切も何もかも流してしまうようで、なんだか悲しくなってしまうから。
しとしと、ぽつぽつ、ざぁざぁ。
雨が降る。
着たくもなかった喪服を身に纏う僕に当たって、服ごと僕を濡らす。
何となく、自販機でタバコを買う。
彼女に臭いと言われて止めていたタバコを咥えて、そこでライターを持っていないことに気がつく。
何となく買っただけなので、これを持って帰っても吸うことは無いだろう。
そもそも、灰皿を捨てられてしまった。
少しだけ損をしたことに舌打ちして、一本も吸っていないタバコを箱ごとゴミ箱に投げ入れ、上手く入らずにまた舌打ち。
雨が嫌いだ。
そこでふと、
でも、
と考える。
『君は面白いね』
『なにがさ』
『さあ? わからないよ』
『わからないのに、面白いの?』
『わからないのに、面白いんだ』
脈絡もなく、かつてのやり取りを思い出した。
『いつか私が君の近くにいなくなってもさ、雨は、嫌いにならないで欲しいな』
『なんでさ』
『だって、地球で生きてる限り雨はあるんだからさ、その度に嫌な気分になるのって、嫌じゃない?』
『…………そう、かな』
『そうだよ。だから好きにならなくてもいいから、嫌いにはならないで?』
そうだな、雨は好きじゃない。
でも、嫌いにならないように、頑張ってみようか。
――――ハロー。お元気ですか?
――――ハロー。僕は元気です。
君がいなくなって、色々起きたんだ。
だって、三年も経っちゃったしね。
別に君が止まれと言った訳じゃないけれど、僕は君がいなくて、止まってたんだよ?
だから、さ。
僕は歩き出すよ。もう一度。
――――ハロー。聞こえてますか?
――――ハロー。僕は生きてます。
まだ踏ん切りが着いた訳じゃない。
でも、ここで立ち止まるのは、止めようと思う。
だから、この雨が上がったら、頑張って見るよ。色々とさ。
雨は好きじゃない。
なんだか物悲しくなるし、寂しくなる。
でも、もう。
―――――雨は嫌いじゃないんだ。
柄にもなくセンチメンタルな気持ちになったので書いてみました。
もしかしなくとも、フリムン初のマトモな短編。