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Wrist cut ~人間卒業式~  作者: シュロしん
「人間卒業式」
16/17

16『最後の日』

 私は卒業式が終わると、いつものベンチに向かった。


 卒業式の終わりだから、私はいつもの自分じゃありえないくらい身だしなみをしっかり整えてて。シャツは上までボタンを閉じて、ちゃんとリボンつけて、胸ポケにはちっちゃい紅いバラ。卒業証書と一輪の花を大事に胸に抱えて、いつものベンチへ。


 ベンチには、曇木夏樹―――お父さんがいた。お父さんも身だしなみをしっかり整えていた。


 こんな紳士的な服装のお父さんは初めて見たなぁ。案外格好いいじゃん。いつもこんな感じならよかったんだけど。


 そう思った瞬間、卒業証書が雑にベンチに置かれているが見えて、「やっぱりな・・・」って呆れた。


 お父さんは、卒業式の後でもいつものようにチェスを打っていた。私は近づいてみるけど、何て言ったらいいかわからなくて。


「えっと・・・卒業おめでと」


「君こそ、卒業おめでとう」


 それは、『高校卒業おめでとう』なのか『人間卒業おめでとう』なのかわからない。けど、お父さんはいつものようにそっけなくて、少しイラッてきた。


「最後にチェス、やる?」


 お父さんが誘うから、私は断る理由がない。「もちろん♪」ってベンチに座って駒を並べる。


「ねぇ、私が人間卒業するって、知ってる?」


「そのメール送ったの君だよ」


 全ての駒を並び終えて、私はポーンを動かした。最後の勝負、絶対勝つ!


「もうお父さんとチェス打つことなんて、ないよね?」


「多分ね」


「・・・やっぱ私、まだ怖いよ。人間卒業するって決めたけど、すごく不安・・・つらいのは今だけかもしれないけど、お父さんを忘れるなんて耐え切れない」


 私が弱音を吐いたのは久しぶりだった。少なくとも、人間卒業を決めたあの夜から、私は弱音なんか吐けなかった。私から決めたことだから。


 けど、卒業式が終わって、全部終わって。人間卒業だけを残した今、急に心細くなって、不安になって・・・私、ダメだな。


「俺は・・・覚えてるよ」


 お父さんは照れくさそうに、うつむいたまま私に言ってくれた。


「『水城綾芽』っていう、チェスがヘタでバカっぽい女の子がいたこと。俺のこと『お父さん』って呼ぶわけわからない女の子がいたこと。リスカより俺を選んでくれて、これでもかってくらい愛してくれた女の子がいたこと。俺は覚えてる。それじゃ満足できない?」


 顔を真っ赤にして、お父さんは私にそう言ってくれた。


 本当に嬉かった・・・もう、何も言えなくて・・・だって私、こんなにお父さんに愛されてたんだよ・・・


 気づいたら、溢れる涙を抑えることなんてできなかった。最初で最後、お父さんの前で泣いた時間。


「・・・満足しないわけないじゃん・・・充分だよ・・・私には多すぎるくらい・・・」


 涙を拭くのに必死で、私はお父さんの顔を見ることはできなかった。お父さんが優しく微笑んでくれてたらいいなぁって思う。





 それから、私たちは特に言うこともないままチェスを打つ。言いたいことはたくさんあるのに、いつものようにくだらない話をして。


 まだ言い足りない。けど、これ以上何も言う必要もない。そんな、不思議な気持ちだった。


 そのチェスは、僅差(きんさ)で私が負けてしまった。もう少しだったんだけど、不思議と悔しいって気持ちはない。最後の勝負だったからかな、楽しいまま終わらせたかったんだろう。お父さんも、いつもの優越感たっぷりのムカツく顔はしてなかった。


 勝負終わったチェス盤から、お父さんは私のクイーンをつまんで、私の前に差し出す。


「これで諦めるような性格じゃないでしょ、君は」


 お父さんはいつもみたいにムカツく表情だった。だけど私は、不快な気持ちにはならない。


「そしたらもうチェスできないよ。いいの? 次の勝負は私がいただいちゃうけど」


 私はいつもみたいに、挑発的な態度でクイーンを受け取った。そのクイーンを、大事に胸ポケにしまう。


 私が立ち上がると、お父さんも立ち上がってお互いじっと見つめあう。


「お別れだね」


 お父さんは何も言わなかった。


 私はお父さんの瞳をじっと見つめる。その濁った色は、私の好きな色は、最後まで綺麗に見えることはなかった。けど、だからこそ私はこの瞳が好きなんだって思う。


「私のこと、忘れていいから。卒業してもお父さんのこと束縛するなんて、こっちもそんなにいい気分じゃないし。お父さんは、もっと別の人を好きになって、幸せになるべきなんだよ」


 そんなこと、全然思っていなかった。誰にもお父さんは渡したくない。好きな人が別の女と幸せでいるなんて、そんなこと許せる女はいないよ。


 お父さんは何も言わない。けど、私は嫌だと思わない。表面上には出さないけど、心の奥でどれだけ私を思ってくれてるか、知ってるから。


「さよなら」


 私は言葉とは裏腹にお父さんへ近づいて、お父さんの瞳を見上げた。お父さんは私の腰へゆっくりと手をまわす。


 私はまぶたを閉じて、背伸びをした。唇に、何かがかすかに触れる感触がする。お父さんの息づかいを、肌から直接感じた。


 それはキスしたかどうかもわからないものだったし、とても短かかった。けど、私はその時間がすごく長く感じたんだ。永遠とも思える時間。私は幸せだったんだ。


「サヨナラ」


 キスし終わったあと、お父さんは私を優しく抱いたまま、いつもみたいに無表情のまま私に別れを告げてくれた。


 これで、全部終わり。ケジメもついた。あとは真っ直ぐ、人間を卒業するだけ。







 バイバイ、私。


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