1『お父さんの死んだ日』
お父さんが死んだのはいつだっただろう。どうして、こんな大事な日を思い出せなくなったんだろう。全てが変わったのも、あの日からなのに。
お父さんは車にひかれて死んだ。青信号を渡っていたら、飲酒運転のタクシーにひき殺されちゃったらしい。ニュースになんかされない、ちっぽけな交通事故。
娘の私が病院に行くと、お父さんは意識不明の状態だった。お医者さんから話を聞いたら、「とりあえず救命手術はやり終えた」って。「あとは意識が回復するのを待つだけだ」って。
でも、お父さんはすぐに急変した。私の目の前で「うっ」ってうなると、そのまま動かなくなった。私がお父さんの手をとると、筋肉が強張っていくのが、血が止まっていくのが何となく感じ取れた。結局、お医者さんがくるまで間に合わなかった。
普通なら、私はタクシードライバーを責めるだろう。でも、逆にタクシードライバーに親近感を感じた。だってお酒を飲んじゃったんだし、仕方ないじゃん。
私が責めたのはお父さん。私の前で死んでいったお父さんが、私に悲しみを残したお父さんを私は恨んだ。実は、告別式のときに遺体を殴っちゃったんだ。
私が生まれてすぐにお母さんが死んじゃって、お父さんは一人で私を育ててた。再婚もせずにただ働いて、私を育てて、料理をつくって洗濯して、私には何にも押し付けずに、誰にも助けを求めることはなかった。
今思えば、私の中で『男性』はお父さんだけだったんだ。どんな美少年も、どんなアイドルも、男性として見たことはなかった。そりゃお父さんはイケメンとはお世辞にも言いにくいし、ファッションなんか全然ダメだし、頭の方もちょっとやばかったけど、やっぱ、このおじさんに適う人はいなかった。お父さんだけが、『男性』なんだ。
私にとって、お父さんが全て。『私=お父さん』の公式も成り立ってしまうほど、私にはお父さんしかなかった。
じゃあ、お父さんが亡くなった今、私は何なの? 『私=お父さん』でお父さんが死んじゃったら、『私=何なの?』。
私は『お父さん』という自分の中の大部分を盗られてしまった。お父さんを盗られてしまった私の中には、もう紙クズみたいなのしか残ってなくて。生きるのも死ぬのも、何か面倒になってしまった。
過食症になって、食べて食べて食べて、吐き続けた。
うつ気味なって、何も考えられずにずっと家にいた。
不眠症になって、死んでしまうほど長い夜に、ただ存在するだけだった。
そして、最後にはリストカットに落ち着いたんだ。