探索 2
「最年少で科挙に合格した秀才さんが、かようなあばら家へ直々にお越しとは。ようこそ、李史湖殿」
玉儒は大げさにお辞儀した。再会の嬉しさから一転、皮肉とからかいの入り交じった言葉を投げつけられ、李は棒立ちした。
「と、言うことは、ようやくおれはお払い箱か」
「玉儒……」
無精髭に長い髪をおろしたまま。かつては秀麗と言われた面影はそこなわれ、着崩した衣はくすんで見えた。以前は身だしなみに気を配っていたはずなのに。
朱玉儒はだるそうにあくびをすると、李の横をすり抜け官舎へ入って行った。
「どうして帰って来ない、皆がどれほど心配していると思う?」
庭の龜から碗で水をすくい飲みほすと、玉儒は寝室へ足を向ける。
「朱の母上さまは寝込んでしまわれたし、柳樹さまは泣いてばかりですっかりお痩せに……」
玉儒は背中を向けたまま、関心なさげに、ふーんと言ったきり沈黙した。
「柳樹さまから文を預かってきたんだ、ほら」
李は懐から文を取りだした。
「読まない」
冷たい響きに李は耳を疑った。振り返った玉儒の目は落ちくぼみ血走っていた。
「どうせ、『心配しております、早くお戻り下さい』とか、そんなありきたりなことが書かれてあるだけだろう? 読む価値なんかないね」
「そんな……柳樹さまは心配しどおしなんだぞ。一年も音沙汰のないおまえを待ち続けて」
くくっ、と玉儒は笑いだした。顔と体を歪め、笑っているというより苦しんでいるように見えた。
「心配だって? おれのことじゃなくて、嫁ぎ先がなくなると自分が困るから、だろ?ちょうどいい、史湖。おまえがもらってやれよ。あいつはお役人なら誰でもいいのさ」
吐き捨てるように玉儒は柳樹をなじった。
李は首を左右にふった。玉儒の言葉が信じられなかった。同時に、都で玉儒の帰りをひたすら待つ、やつれた柳樹の姿も思い出した。
「なんてこと言うんだ、自分の婚約者に。おまえは知らないから。家族だけじゃない、上役の黄さまだって」
「はあ? あの役たたずが、おれの心配を? まさか! うるさい奴がいなくなって、せいせいしてるだろ」
口調に憎しみが込められているように聞こえて、李は額のあたりがひやりとした。
「戻るかよ、あんな場所に」
「……やっと科挙に合格して役人になったのに」
「そうさ、頑張ったよな、お互いに。子どものうちに学舎に放り込まれて朝から晩まで勉強、勉強。おまえと違って、うちは祖父の代から官吏だからな。科挙に合格するだろって当然みたいに思われて。遊ぶことや楽しむことを、我慢して我慢して合格したよな」
一気にまくし立てると、玉儒は顔をふせ額に手を当てた。
「なのに、どうだ? 役人になってみたら、周りは無能な奴ばかりじゃないか。仕事そっちのけで詩作に耽ったり、商家から賄賂を受け取ったり。仕事らしい仕事もせずに日がな一日を無為に過ごして」
痛いところを衝かれ、李は思わず目をかたくつぶった。
「おまえだってそうだろう? 最年少で科挙に合格、なんてもてはやされても、任される仕事は雑用の雑用」
「それは、そうだけど。経験を積めば、いずれは重要な仕事もさせてもらえるはずだから」
ふん、と玉儒は鼻で笑った。
「でも玉儒、虹陵に遣わされたのは重要な仕事を任されたからだろう? 前任者たちは」
「死んだよ」
短い返事を李は空耳のように感じた。
「死んだ。おれが虹陵に来たときには、もう二人とも亡くなっていた。ほら、煙がみえるだろう?」
玉儒の指さす方向を見上げると、白く細い煙が空に伸びていた。
「二人はああなったのさ。日に一回、街中から死体を集めて焼く」
昨日の朝に見た、不穏な荷車。あれは死体だったのか。
「……ここにいれば、極楽だ。帰る気なんか起きないね」
玉儒は寝室の暗がりの中に入って行った。
「意味がわからない。そうだ、金はどうしてるんだ? まさか、天子さまからいただいた金を使ったわけじゃ……」
寝台に腰かけた玉儒は衣を緩めながらさらりと言った。
「足りなくて、ここの調度品も売っぱらったが?」
それが何か、とでも言い出しそうな様子だった。罪悪感などまるでなさそうに。
「おまえ、さ。まだなんだろ?」
冷やかな笑みを浮かべて玉儒は李を見た。
「何が」
「女を知らないだろう」
瞬間、李の顔が熱くなった。畳み掛けるように玉儒は続けた。
「買えば? 女なんていくらでもいる。さっさとすませろよ」
李の反応を楽しむように玉儒は李の顔を覗きこんだ。
「……玉儒……おまえらしくない! おまえはそんなことを言うやつじゃなかったはずだ」
「お高くとまっているのが、本来のおれか? おれらしいってなんだ? おれはこういう奴さ」
いくら言い募っても、李の言葉は玉儒に届かない。
「そろそろ休ませてくれないか? 昨夜はろくに寝てないんだ」
玉儒は寝台に身を横たえ、大きくあくびをすると、腕を枕に李を見上げた。
「おれ、いま金がないんだよね」
「えっ、あ……」
李は財布を仕舞ってある腹のあたりに思わず手を当てた。
「買ってくか?」
意味は分からなかったが、李の半身に鳥肌が立った。
「何……を」
玉儒は喉の奥を鳴らして笑った。妙な妖艶さを漂わせて玉儒は答えた。
「おれに売れるものなんて身体しかないが?」
「なっ!!」
玉儒は再び起きあがると、李に向かって腕を伸ばした。李は見た。暗い部屋の中でぼんやりと光る青いものを。
玉儒の身体、胸の辺りに青い光が宿っている。
「どっち役でもいいぜ」
李の袖をつかんだ玉儒は蕩けたような視線を向けた。李は血が逆流するように感じた。
玉儒の手を払いのけ李は外に飛び出した。
けたたましい笑い声が響いた。
その声は耳に張りつき、小路を走る李にはいつまでも聞こえ続けた。
李史湖、童〇ですが、何か?
今後BL方向へは傾きません。