雲上の楽土 2-2
そのあと、館の門の前まで桂花は口を閉ざしたままだった。
李は小亮のかごを持ち上げ、桂花たちと歩いた。
日は真上に昇りつつあった。日陰にいれば涼しく、日向は焼けるような高地特有の暑さだった。
そんな時間になっても大路には相変わらず人気がない。
「この街の寺院はどちらに?」
重苦しさに耐えかね、李はなんとか話の穂口を探した。ふつう、街のいちばん高い建物は寺院の仏塔のはずだが、ここでは領主の館になっているのが不自然に感じたからだ。
「寺院も廟もありません」
「ない?」
「ええ、劉さまは神仏を信じておりませんから」
桂花は前を向いたままで答えた。李は眉をひそめた。何を信仰するかは、ひとりひとりの自由だ。しかし領主の意向で寺院がないというのは問題ではないか。
難しい顔をする李と無口な桂花とを小亮が気遣わしげに何度も見る。
李は小亮と目が合うとあわてて愁眉をといた。
大路の突き当たりの館は、大小の石で組み上げた分厚い基段のうえに建てられていた。
桂花は門の五段ほどの階を登った。李もそのあとを追う。桂花は二人いる門番のひとり、角ばった顔のほうに声をかけた。
「劉さまにお客様です」
「青願の日でもないのにか? 何用だ」
ここの門番も革の鎧を身につけ、右手には背丈よりも高い棒をついている。私設の軍を作っているのではないだろうかと、李は疑った。
「何用だ」
いかつい顔で問われ、李は表情を引き締めた。
「天子さまの命により都から参りました」
挨拶を述べ、懐の隠しから書状と手形を取り出した。
「……待っておれ」
門番は扉をわずかに開け、中に消えていった。
桂花はその様子を見守っていたが、小亮に向き直ると階段を降り、かごをおろすのを手伝った。
「今日もありがとう。これ、お駄賃ね」
桂花はしゃがむと、財布から出した数枚の小銭を小亮に握らせた。
それから、と自分のかごから何か小さな包みを取り出した。
「小豆、ちょっとだけど。お粥と一緒に炊いてお母さんに食べさせてね。小豆は血の素になるんですって」
小豆の包みを大切そうに両手で持つと、小亮は真剣な面持ちでうなずいた。
「母ちゃん、元気になる?」
その言葉は、聞くとはなしに聞いていた李の胸をちくりと刺した。
「……元気になってほしいからね。食べさせて」
小亮は、ただうなずいた。
「明日は? 明日はおいら、何を手伝えばいい?」
「そうね、明日は畑の草取りをお願いしたいな」
桂花は小亮の鼻の頭を指で撫でた。
「釣りは? 桂花姉ちゃん、釣りはこんどいつ?」
桂花は立ち上がって思案するように空を見上げた。
「もう少し先かな? お客様の数にもよるけど」
「おいらにもさせてね、約束だよ」
はいはい、と桂花は小亮の体を来たほうにくるりと向けて軽く押した。
「桂花姉ちゃん、また明日ね」
挨拶を残して駆け出す小亮に桂花は手を振った。
――母ちゃん、元気になる?
李の脳裏に故郷の母の面影が浮かんだ。
李は桂花と仔犬のように駆けていく小亮を見つめた。
「桂花、おまえただでさえ安い給金で、あんな小僧を使ってんのか?」
残っていた丸顔に髭をはやした門番が皮肉るように花に声をかけた。
「わたしはいいのよ、欲しいものはないから。小亮は親孝行の働き者だわ」
桂花は門番の嫌みなどものともせず、笑顔で返した。
それでは、と李に頭を下げかごを背負いおそらくは裏口だろう、館の塀に沿って右に曲がって行った。
「若いクセに変わりもんだぜ」
門番がばかにしたように鼻で笑っていると、李は呼ばれた。
「こちらに」
李は門の内側に招き入れられた。