雲上の楽土 2-1
訛りがあって、すみません。
大きな道に合流したとたん、人も車も一気に増えた。
多くは牛車に荷物を積んだ人々で、それらには野菜の他に塩漬けの肉や干した魚、生の果物などが山と積まれていた。
人の流れに乗って城塞の巨大な門を潜ると、突き当たりの城主の舘まで石畳の道が真っ直ぐに延びていた。その背後には急峻な山肌が見える。
「思ったより小さいですね」
「そうが? そりゃ、都から来た人には小さく見えるべ。おれは何べん来てもでかすぎで目ぇまわる」
農夫について李は大路を歩いた。
頭のうえを烏が騒がしく鳴きながら飛んでいる。大路に面した店はいずれも扉をしめ、色褪せた看板が風に揺れてきしんだ音を立てているだけだ。
街の住人らしき者はない。
が、遠くからさざ波のように喧騒が聞こえてくる。
荷車は左に折れ、大路から一本外れた道に入った。そして李は目を見張った。
「店があるんだ」
道幅こそ狭くなったが、その両側に軒を連ねて中小の店があった。食料品から日用品まで、どの店も活気があった。
買いに来ている者は、皆いずこかの下働きだろうか。質素な服装に裸足のものも多く見られた。
「あそこの店さ、こいづ下ろしたらおわりだ」
指差す先には、大きな八百屋があった。
「ありがとうございました、昨夜からすっかりお世話になりまして」
李が頭を下げると、合わせたように腹が鳴った。
「まぁだ昼まえだってのによぉ」
李は思わず腹を押さえた。押さえてもしばらく未練たらしくなり続け、ばつが悪かった。
「もすこし先さ行けば、食い物も売ってるがら」
農夫は笑いながら目線で道の先を示した。
「帰りにも立ち寄ってよろしいでしょうか」
李の言葉に農夫から笑みが消えて、引き締まった顔つきになった。
「……いづでも来てけで。待ってるがらっす」
李は農夫に再度頭を下げて挨拶すると、領主の館を目指して歩き始めた。
とはいえ、腹は断続的に鳴り続けている。館に行く前に腹ごしらえをしたほうがよいだろう。
幸い行き先と同じ方向には食堂や屋台が並んでいる。
脂の焼ける香ばしい匂いや、山の中にしては珍しい魚出汁の柔らかな匂いが通りに流れてきた。思い思いに食事をとる人々を見ていると空腹に目がまわる。李は溢れてくるよだれを飲み込み、食べるものを吟味した。
汁そば、焼そば、麺麭……ちまきも美味そうだし、粥も捨てがたい。
しばし悩んだあと、李は汁そばを注文し簡素な作りの店内に腰を落ち着けた。
「お客さん、どこから?」
注文のそばと引き換えに小銭を出すと、李が答える前に、店主は、ああと一声あげた。
「あの、なにか?」
「今日は青願の日じゃないが」
中年の店主は含み笑いしながら李を見ている。『せいがんのひ』? 李は疑問に思いながらもそばを口に運んだ。
鶏と豚の出汁特有の臭みが刺激的な香菜に消され、じんわりとした旨味が口内にひろがる。まろやかな醤の味と相まって、なめらかな麺がするすると喉をおりていく。
「せいがんのひ、とは何ですか? 私はここの領主さまに会いに来たのですが」
あっという間に汁まで平らげた李は店主に尋ねた。
「だから、劉さまに会いに来たってんなら、それしかないだろ?今日は……」
勝手に解釈して店主は話を進める。戸惑う李が誤りをただす前に、店主は道路に出ると通りをみやった。
「桂花、今日は青願か?」
つられて外を見ると、大きなかごを手にした少女が店主のところへやって来た。
「今日はちがうわ。新月はまだ先よ」
はきはきと答える少女は、長い黒髪を三つ編みにして小さな頭の後ろに留めていた。
「あの御仁が劉さまに会いに来たそうだ」
まあ、と言って桂花は李を見た。
どんぐりのように丸い瞳、鼻のまわりに散らばったそばかす、健康そうな桃色の頬……二十にまだ達してはいないか。質素な身なりだが、清潔感がある。美人というより愛嬌のある笑顔を李に向けると、体に不釣り合いの大きなかごを背負った七才くらいの男の子と手をつなぎ、李にお辞儀をした。
「劉さまにご用ですか?」
李は立ち上がり桂花のそばに行った。
「ええ。都から参りました」
桂花の目じりが警戒するように一度だけぴくりと動いたのを李は見逃さなかった。
「それは、遠いところから。館はすぐそこですが、ご案内いたしましょう」
そう話す桂花はにこやかにほほえんだ。
「助かります。わたしは李、李史湖と言います」
李は荷物をかつぎ、桂花のそばに並んだ。
「おいらは、小亮!」
かごをかついだ男の子が、元気よく挨拶した。着古しているが、ていねいに継ぎが当てられた服を着ていて、こざっぱりして見える。
かごの中には野菜や豆がたくさん詰まっていた。荷物は小さな肩には重そうだ。
こんなに小さなうちから、駄賃稼ぎだろうか。李は素足の小亮にけなげさを感じた。
思わず李は小亮のかごの後ろがわを掴んで引き上げた。不意に荷物が軽くなり、いぶかしく思ったのだろう、小亮が李を見上げた。李はわざとあさってのほうを向いた。少ししてから、ちらりと見ると小亮の笑顔と目が合った。
ありがとうございます、と桂花が小さな声で李に礼を言った。
「遅れました、わたしは桂花。劉さまのお館で働いております」
身なりのわりに、と言っては失礼だが、きちんとした話し方をする桂花に李は感心した。農夫は、まともな奴はいないと言っていたが、誤解かも知れない。
「今はまだ、劉さまはお休み中ですので」
すまなさそうに桂花は形のよい眉を下げた。
「そうですか、じゃあどうしようか……」
思案しようとした時に、李の視界に不穏なものがうつった。
「あれは……?」
四辻の曲がり角から、人の足がにょきりと伸びていた。
おそらくは、男がうつ伏せに倒れているのだ。履や豪奢な衣の裾から、いやしからぬ身分の者だと見受けられる。しかし体は微動だにせず、わずかに見える皮膚の色は青黒い。桂花は小亮には見えないように隠すためだろうか。小亮の横にぴたりと付いた。
「ほどなく見廻りの者が参ります」
道を行く人々は、倒れふした男に関心を払わない。見慣れた光景なのか、誰も驚いたり騒いだりしない。
烏が数羽、空から男のそばに舞い降りる。桂花は唇を引き締め、うつむいたままで歩調を早めた。
大路に戻るところで、黒い革の鎧を着けた男が三人が引く牛車とすれ違った。
荷台にはむしろでくるまれた何かが積まれていた。
李は背中がざわめき、鳥肌が立った。