私じゃない
「出てきなさいよっ!」
ドアが何度も叩かれている。激しく、何度も何度も。苛烈に叩かれ、向こう側からは悲痛な叫び声がしていた。兄への贈り物を縫っていたせいで、対応が遅くなった事に関しては申し訳ないと思う。だけど、余りにも異常なその訪問の仕方にゾッとしたのも事実だった。
奥の部屋から出て、玄関へ向かう間も鳴り止まない鈍い音。足が重く、何故か背中に冷たいものがつうっとはしる。
がちゃり、と開けた先に。
「どこにやったの……!」
泣き出しそうな顔をした、巴さんが立っていた。
「巴さ」
「どこにやったのよ!」
掴み掛かってくる巴さんは、必死の形相で私を見る。何のことだか分からなくて、目を見開くと更に強く肩を揺さぶられた。
「あー……落ち着いて。巴さん、事情はよく分かんないけど、どうしたの?」
二階に上がってきたらしい奏太くんが、巴さんの後ろからひょいっと顔を出す。困惑に歪んだ私を見て、奏太くんは私と巴さんを見比べる。
「すごい響いてるから。とりあえず声小さくした方が良い」
ちらりと後ろを見た奏太くんが、巴さんの肩を叩いてそう言った。
どうして巴さんがこんなにも取り乱しているのか、私には分からない。おろおろする私を見兼ねたのか、奏太くんは玄関へ入りドアを後ろ手に閉めた。
「えーと、ちょっとお邪魔させて下さい、紫月さん」
「あ、うん……それは大丈夫だけど」
巴さんは嗚咽を漏らし、私を睨み付けていた。
――あなたでしょう?
ふっと浮かんだ言葉に、身体が可笑しなくらい硬直する。血の気の引いた私を見て、奏太くんは首を捻った。
「紫月さん?」
「……何でもないよ」
そうだ。何でもない。関係ないことだ。
「無いのよ」
ぺたん、と床に座り込んだ巴さんは、さっきより落ち着いた声で俯きながら溢した。
「無いってどういうことっすかね?」
後頭部に手を当てながら、奏太くんが聞き返す。下の階だけじゃなく、隣の棟にまで響いていたということは明日には様々な人が噂を影でするんだろう。だけど、今はそんなことより巴さんの取り乱し方が激しくて心配になった。
「無いの、無いのよ。鞄の中に入れてた、アレが」
「あれって何だよ?はっきり言わなきゃ分からないんだけど」
奏太くんの口調が変わる。巴さんにはこんな風に話しているのかと一瞬驚いたけれど、住んでいる年数が違うのだから態度も違うのかも知れない。
「指輪……」
「指輪ぁ?鞄に入れてた指輪がないってこと?」
「そうよ。あと、現金も……!」
涙声で、赤い目で、責めるように、私を見上げている巴さん。奏太くんの目が、私に向かう。一秒、二秒、三秒。たった少しの時間のなかで、時計が巻き戻るみたいに私の記憶が掘り起こされて流れ込む。
「盗ったの?ねぇお願い、返して!」
――盗んだんでしょう。これだから親の居ない子は。
「大事なものなのよ。お願いだからっ」
――親の目が無いとこういう事をするから嫌なのよ。
「お金はあげるから、指輪だけは」
――意地汚い……ああ、卑しい子。
力が抜けていく。膝が震えて、体重が支えられなくなった。
「ちが、う。それは、その巾着は、お母さんの誕生日に……っ」
仕上がりは、胸を張れるくらい。何度も何度も縫い直して、やっと出来たものだった。
「お母さんのために、縫ったのに……!」
――盗んだんでしょう。
干していた、とあの人は言った。私が縫った巾着を奪い取って、盗んだと騒ぎ立てた。アルバイトをして、布を買って。下手くそなりに沢山の想いを込めた。仕上がりに満足出来るまで、何度も何度も縫い直してやっと出来たものだった。
それなのに。
「私が、縫ったのに」
あの時ほど、言い掛かりが怖かったことなんて無い。私は盗んでなんか居なかったのに、隣の家の主婦も向かいの主婦も斜め向かいの主婦も、私にはっきりと断言した。
あなたは盗んだ、と。
いまなら分かる。きっと嫌みを言いたかったのだろう。私が作ったかどうかなんて、きっとどうでも良かったんだろう。
「盗んで、ない。私は、私は……っ」
向けられる視線が怖い。誰もが私を、卑しいと思いながら見ている。冷たい目、蔑んだ目。責め立てる顔は笑っているようにも見えた。
「違う、私は盗んだりなんか――」
「分かってる」
頭を抱えて、身体をぎゅっと抱き締めていた。そんな私を包む腕、さらりと頬に当たった髪に反射的に顔を上げる。
「分かってるよ。紫月さんはそんなことしない。巴さん、きっと何かの間違いだ」
安心させるように、奏太くんが微笑んでいた。
「分かってる。ちゃんと、分かってる」
誰かにそう言って欲しかったあの頃。私は俯いて逃げることしか出来なかった、あの瞬間。
心が叫んだ。誰か聞いて、と。私の話をちゃんと聞いて。違うって言って、と。
脱け出すのは難しいのに、引きずり込まれるのは簡単だった。