新しい風
色々な形がある。家族にも、恋人にも。
若葉さんはあまり主張出来ない家庭で育ったようにも見えるけれど、若葉さん自身がそれを苦に思わないなら不仲にはならない。例え、端から見て若葉さんが邪険に扱われていたとしても、本当の所は本人や家族にしか分からない。
緑さんは、言葉が冷たい。だけど、若葉さんへの思いやりがちゃんとある。第三者の私が見て気付けたのだから、若葉さんが気付いていない訳がない。青葉さんも光さんも康成さんも、若葉さんをとても大事に思っていると私は思う。
そんな若葉さんの家族を見て、私は漸く気が付いた。
大切に思ってくれているからと言って、頼り過ぎてはいけないことを。
家族だから甘えて良い訳じゃない。今の私は甘えてばかりで、何一つ家族を思いやれてはいなかった。
若葉さんと一緒にアパートに帰り、お風呂を済ませた若葉さんは私の部屋に戻って来た。
いつの間にか、一緒に過ごすのが当たり前のようになっていて、その心地よさに自然と表情が綻ぶ。
ベッドに座って、ヘッドボードに凭れながら本を見つめる。
若葉さんはベッド自体に背中を預けながら色彩について研究した小難しそうな厚みのある本を開いていて、私は至って普通にファンタジー小説を読んでいる。
積み上げられた未読の本を見て、若葉さんはいつ読んでいるのかを私に尋ねた。タイミングが掴めなくて、と答えた私に「一緒に読むか」と若葉さんが言ったから、こうして今の状況になった。
読んでいても、頭に全然入ってこない。別のことばかりを考えているからなのだと分かっているのに、雑念は消えなくて。
「どうした?」
本を開いたまま俯いていた私に若葉さんが気が付く。
話し掛けても良いのかどうか迷っていた事も、もしかしたら悟られているのかも知れない。
「お兄ちゃんが……兄が結婚しないのはきっと私が居るからだろうなって思って」
仕送りをして、有事の時は一番に駆け付けてくれる。罪悪感を抱いている事は明白だった。
若葉さんは本を畳んで私の隣に腰掛ける。
「紫月がそう思った原因は何だ?」
「……仕送りもしてくれて、何かあったらすぐに来てくれるから、かな」
「今の収入は?」
「少しずつ増えてる。でも安定はしてないから、兄は首を縦には振らないような気がして……」
苦にならないと言って笑う兄の顔が浮かんできた。無理をしている訳ではないと兄妹だから分かる。だけど、兄は無理をしていなくても兄の恋人はきっと違う。
「もう付き合いの長い恋人がいるのに、私が手間を掛けさせているから、多分結婚しないんだと思う」
私の言葉を聞きながら、若葉さんは首を捻る。
「確か、収入源は和裁だったか」
「……うん。でも、二級じゃないから」
「浴衣は縫えるよな?見本とか、写真でも良い。何かあるか」
「ある、けど」
「見せて欲しい」
「……み、見るの?」
「ああ」
恥ずかしい展開になってしまった。デザイナーに自分が縫った和服を見られるなんて試験のようでどぎまぎする。だけど、抜き打ちテストよりたちの悪い無茶ぶりに嫌だと言える勇気はまだ無くて。
のろのろとベッドから降りて、本棚に並べたアルバムを一枚抜き取った。薄い緑色の表紙を少しジッと見て、覚悟を決めてから若葉さんに手渡す。
「ど、どうぞ……!」
「……そんなに緊張しなくても」
「するよ、すごい緊張する……」
目を反らしながらベッドに戻り、若葉さんと並んでアルバムを見る。
練習作から依頼されて作ったもの、巾着や襦袢なんかも一枚一枚写真に撮って残してある。下手くそな最初の頃なんて、今見れば赤面する程に縫い線がへにゃりと曲がっていたり。
無言でアルバムを捲る若葉さんの顔は真剣そのもの。笑いながら「これ失敗しちゃって」なんて言える雰囲気でもなくて、ひたすら気まずくなる私。
おおよそ二十ページほどのアルバムをじっくり堪能した若葉さんは、もう一度最初のページを開き二回目の鑑賞に入った。
もう一回見るの……!?と修羅場になる内心をグッと我慢して、赤面しながら膝を抱える。
――もう見れない。二回は見れない。
自分の未熟さが存分に現れた最初の方なんて、恥ずかしさからいっそ消してしまいたい位だった。
時計の秒針が進む音と若葉さんがページを捲る音を聞きながら、鑑賞が終わるのを待つ。たった数分間のその時間が、やけに長く感じていた。
――暫くして、ページの音よりも少し重い裏表紙を閉じる音が聞こえる。
「……終わった?」
恐る恐る顔を上げて尋ねた私に、若葉さんは頷いた。
「ああ。六枚目の――」
「子供用の浴衣?」
初めて作った、その浴衣は思い入れの強い作品だ。ページも写真もはっきりと覚えている。
「生地は紫月が選んでるのか?それとも客が指定を?」
「一応、私が選んでるけど……指定された事がないから、そうしてるだけだよ」
「選ぶ基準は?」
「……雰囲気、かな。着る人の写真を送って貰うの」
若葉さんは考え込むようにして眉間に皺を寄せた。難しい顔をされて、急に不安になってくる。
「紫月はセンスが良いと思う。多分、青葉より良いんじゃねぇかな」
「センス?」
着物の生地を選ぶのに、センスは余り関係がないと思う。首を捻る私に向かって、若葉さんはやっと笑った。
「ああ。その浴衣を着たのはよく動く……溌剌とした女の子だろ?白地に花火で帯は赤、兵児帯で結ぶって考えたら、そうなる」
作り帯でも無ければ、半幅帯でも無く、ナイロン素材の柔らかい兵児帯は、崩れてもすぐに直せて難しい手間が一切ない。きゅっと後ろで蝶々結び、それだけで済む簡単な帯。
まだ試作品で、写真を見ながら色々な想像をして選んだ組み合わせだった。最終的には全く同じ生地でもう二枚作ったのだけれど、試作品だった最初の一枚はずっと手元に残してある。完成度は低いけれど、思いが沢山詰まったものだから。
「うん、明るくて元気な女の子だって、依頼してくれたお母さんからは聞いてる」
「この浴衣を着るのはこんな人間だろうなって想像が付く。当人にぴったりな物を選べるって事はセンスが良い。……と、俺は思ってる」
話しながら、途中でハッとしたように俯き照れ臭さを浮かべた若葉さん。微笑ましくなって、つい笑ってしまった。
「だから、仕事は無くならない。寧ろ増えて行くんじゃねぇかな」
「でも、資格を持ってないから当然宣伝なんて出来ないし……」
それが一番の心配の種だ。資格所有者じゃない私は、宣伝はおろか営業するのも公的には難しい。細々とやれているだけでも本当に恵まれている。
「俺と一緒にやってみねぇ?」
「……え?」
「和服で、オーダーメイド」
言い聞かせるような口調で話す若葉さんに私の顔が固まった。
要するに、若葉さんの家族――康成さんの会社の中でやってみないかと言うことらしい。
けれど、流石にそんなに簡単に上手く事が運ぶとは若葉さんも思っていなくて。
まずは企画として提案するだけで、実際にそれらを行動に移すのは最低でも二・三年は掛かるだろうとの事だった。
話を聞いて瞬時に無理だと思った私に気が付いたのか、巻き込む人間は他にも数人集めてあると若葉さんはさらりと告げた。
実は、少しだけ自惚れた。私の為にそんな事を考えてくれたのでは無いか、と。
恥ずかしいくらいに勘違いだったけれど“和服で”と決めたのは私の写真を見てからだそうだ。それまではオーダーメイドを売りにして、何か新しいことをするつもりだったらしい。
そんな若葉さんの計画に巻き込まれたのは青葉さんと私とそれから――




