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家族

「窓から見えたから、迎えに来たんだ」


すっきりとした輪郭で面長の部類に入るその人は、若葉さんと私を見てにっこりと微笑んでいた。ぎょっとして若葉さんは私とその人を交互に見る。


「何を」

「初めまして、お嬢さん。若葉の父の(ひかる)です」


若葉さんの言葉は華麗に遮られて、若葉さんのお父さん――光さんは私に向かって手を出した。


「はじ、初めまして!私っ……」

「紫月さんだね。宜しく」


握手を交わした光さんは、うんうんと頷きながら私の名前を呼んだ。

細身で華奢な体つきに、綺麗な肌とさらさらの髪。モデルか何かだと言われても納得出来るほどに麗しい出で立ちの光さん。若葉さんは“格好良い”けれど、光さんは“綺麗”に入る。


呆然と見つめていた私に気が付いた若葉さんは軽く背中を叩いて、乗り込むようにと促した。


ニコニコと笑っている光さんと微妙な顔をしている若葉さん。内心は戸惑いであたふたしているけれど、私は苦笑を浮かべていた。鏡がもしもあったなら、それぞれ全く違う表情が見れたことと思われる。

光さんはとてもじゃないけれど父親には見えない容姿だ。若葉さんの兄だと言われたら疑いもしなかった筈。

彫刻のような綺麗さとはまた違って芸術的なものではなく、涼しげな顔立ちがそこはかとなく中性的。涼感を誘う雰囲気に思わず見惚れてしまいそうになったものの、一分と掛からずに到着してしまったエレベーターは自動的に扉を開く。

先立って降りた光さんは私と若葉さんを待つように振り返り、若葉さんはボタンを押して私に降りるよう目線で伝える。

エレベーターを降りた先には仕切りのような物があり、その向こうにドアが見えた。

光さんはニッコリと私に微笑んで、次いで視線を若葉さんへと移す。それに釣られて振り返ったその瞬間、光さんは私を横切った。


「……え?」


ドンッと鈍い音がする。何かにぶつかったようなその衝撃音に呆然とする私の目の前で、光さんは若葉さんを蹴飛ばした。


「えっ!?わ、若葉さっ……」

「ごめんね、紫月さん」


エレベーターの壁で背中を打った若葉さんはずるずると座り込み、蹴られたらしきお腹を擦った。


つい、と視線が私に向く。鋭く睨まれて動悸が一際激しくなる。青ざめる私の手を取って、光さんは先に進んだ。



「若葉が居るとまともに話せそうになかったから」


どうして、と問いたげな視線を向けてしまっていた私に光さんはそう説明した。


「あの、私」

「大丈夫。そんなに強く蹴ってないからすぐに来ると思うよ」


若葉さんが居ないと、若葉さんが傍に居てくれないと。


不安で、怖くて、身体が強張ってしまう。

泣きたくなる衝動をグッと堪えて強引に引かれている手の軽い痛みに意識を向けた。

進んだ先の一番真ん中のドアを開けて光さんは中に入る。


「初めまして、紫月ちゃん」


間近で掛けられたその声は、低くも高くもない声音。満面に笑みを滲ませて、光さんは私と真っ直ぐ視線を合わせた。


「――怖い?」


光さんは自分を指差しながら問い掛けた。


「怖く、ありません」


ゆるゆると首を振って、何とか答える。

光さんは怖くない。だけど、視線が動かせない。光さん以外のものを視界に入れるのかとても怖い。


「そう、それは良かった」


安堵したような表情で頷いた光さんを見つめていると、背後で息遣いが聞こえた。


「紫月」

「若葉さん……、大丈夫ですか?」

「ああ。それより、紫月の方が――」


若葉さんは私の身体を引き寄せて、光さんと距離を取った。急なその行動に目を見開いた私の耳に、とんでもない事実が明かされる。


「……母親だ」

「若葉さん?」


まさか。そんな――


「改めて……若葉の母親の光です。嘘吐いてごめんなさいね」


光さんはハッキリと、私に向かってそう言った。




◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 




「知り合いにね、まぁ色々と聞いて回ったわよ」


座って、とテーブルを指してから光さんは背中を向ける。デスクの横にドンッと置いてある冷蔵庫から、紙パックのジュースを取り出して早足に此方に戻ってきた。


「それで、高齢の女性が駄目って事は高齢の女性にしか無い特徴を無意識に捉えてるって事よねぇ、って話になったの」

「だからって」

「若葉は黙ってなさい」


ぴしゃりと厳しく言い返された若葉さんは表情を歪めて怖い顔になる。


「それなら原因となりそうな箇所を探してみようと思って。皺、肌、髪型、匂い、話し方なんかも見直してみたわ」


どう?と首を傾ける光さんは言われてみれば女性だとわかるけれど、中性的で凛々しいといった言葉が似合う。父親だと言われて疑わなかったことも、その雰囲気や立ち振舞いによるものだったんだろうか。


「何ともありません。怖くも、なくて」


驚く程に落ち着いていた。若葉さんと引き離されてからは怖くて堪らなかった筈なのに、若葉さんが傍に来てからはなんともない。光さんの顔を見ても、怖さを全く感じていない。


「もしかしたら、って思ってた。若作りだから紫月も大丈夫かもなって」


若葉さんは私の手を握って、呆れの混ざった顔で笑う。


「でも――何考えてんだ、有り得ねぇ」


私から背けた若葉さんの視線は光さんへと向かい、明らかに怒っている口調で責める言葉を吐き出した。


「男装もたまには良いけど、やっぱりウィッグは蒸れるわね」


怒気を孕んだ若葉さんに痛くも痒くもないとばかりに光さんは言い返す。


「そうやって邪魔に入るから若葉の居ない状態で話したかったのよ。鬱陶しいったらありゃしない」


ウィッグを外しながら若葉さんを睨み付ける姿も様になっていて、歌劇の男役でもこなしてしまいそうな気さえしてくる立ち振舞い。

そんな光さんから目を離さずに若葉さんは唇を開く。


「紫月に何かあったらどうする。結果的に大丈夫だったってだけで、どうかなってたかも知れない」

「あら、今日はよく喋るのね。てっきり若葉は寡黙なんだと思ってたけど」

「喋る暇を俺に与えようとしないからだ」


ふぅん、と相槌を溢すようにして落とし、光さんが私を見つめる。


「若葉はこうして怒ってるけど、紫月さんはどう?」


急に話を振られて思わず固まる。何か言わなくちゃ、と焦りながらも自分が抱く感情はきちんと頭で理解していた。


「私は……」

「わざわざ紫月に聞くな。答え辛いだろ」


話を遮る若葉さんは、私に視線を向けてはくれない。


「だから聞くなって――」

「嬉しい」


胸の奥から込み上げる、嬉しい気持ちは誤魔化せない。


「紫月?」

「嬉しかったです、光さん」


厭うことは簡単だ。

私は普通じゃなくて、面倒で。トラウマを人に理解して貰えると思った事は、今までに一度もなかった。

奏太くんの時も、若葉さんの時も、知られたくないと咄嗟に思って出来ることなら避けようとした。若葉さんが受け入れてくれても、ご両親や兄弟は分からない。変な女だと突っぱねて、反対することも出来た筈だ。

――嫌うのはとても簡単で。

それなのに光さんは受け入れようとしてくれた。まだ見ぬ私の事を考えて、対策を練ってくれた。やり方がどうであれ、その気持ちだけで泣きたくなるほど嬉しくて堪らない。



「若葉の感情よりも当人である紫月ちゃんの感情を私は重視するわ」


フッと勝ち誇ったように笑う光さんを見て若葉さんが眉を顰める。深く長い溜め息を吐いて、漸く私を見てくれた。


「本当に、何ともないか?」


心配そうな眼差しに、はっきりと頷きを返す。


「何ともない。……光さん、綺麗だね」


ぼそりと小さく言った言葉に分かりやすく微妙な顔をした若葉さんは、私の顔を数秒見て光さんに向き直る。


「紹介したらすぐ帰るぞ」

「何よ、もう家族なのに冷たいじゃない」


狼狽した。若葉さんではなく、私が。今更ながら思い出した設定に、顔がみるみる青ざめていく。

そうだ、結婚した事になっていた。今の今まで忘れていたせいで、明らかに私は動揺を見せてしまっている。


「お父さんは隣で電話してるから、それが終わったら来るわよ。(みどり)はコンビニに行ってるだけだし、青葉(あおば)は近所のケーキ屋だからあんまり待たなくて済むでしょうね」


緑さんに青葉さん。若葉さんの兄弟らしき人の名前に気を引かれたけれど、心臓はバクバクと鳴って落ち着かない。


「ああ、分かった」

「紫月ちゃんのご両親へ挨拶に行くから、ご予定を聞いておいてくれるかしら?直接電話でお話ししても――」

「分かったから、それはまた後で」

「後でって何よ」


きょとんとした光さんから反射的に目を反らしてしまった。嘘を吐いているということに、胸が軋む。


「……紫月」


きゅっと握られた手を握り返すことが出来ない。こうして直面してみて、初めて背筋が寒くなった。親切にしてくれている光さんを私は騙している。


「紫月ちゃん、リンゴは嫌いだった?オレンジもあるけど……」


気まずくて出されたリンゴの紙パックジュースをジッと見ていると、光さんの気遣いに溢れた言葉が耳に入って来た。


「あ……いえ、あの」

「緑に買って来させようかしら。なにが好き?」

「いえ、リンゴジュース好きです!」

「そう?あんまり冷たいとお腹冷やす体質だったりするの?」


未開封だからだろう。疑問に満ちた問い掛けに答えようと顔を上げれば、その前に若葉さんが口を開く。


「苛めるな。分かってやってんだろ」

「なんのこと?」

「……俺が悪かった。謝るから、紫月には絡むなよ」


謝罪を紡ぐ若葉さんが、私に申し訳なさそうな顔を向けた。


「ごめんな。嫌な思いさせて」


光さんのことだろうか。それなら別に嫌な思いなんてしていない…と思ったけれど、若葉さんの私への謝罪には続きがあった。


「嘘吐かせて悪かった。――結婚はまだしてねぇけど、そうなったら良いって思ってる」


最後の言葉は光さんへ。あっさりと暴露してしまった若葉さんに挙動不審になる私。言っても良かったのかと冷や汗が滲む空いた片方の手のひらを握れば、小さく吹き出す音がした。


「そんなことだろうと思った。まぁ、緑はそれくらい言わなきゃ納得しなかったでしょうけど」


光さんもあっさりと笑い飛ばしてしまい、更に焦りに襲われる。おどおどと光さんと若葉さんを見比べる私はさぞかし落ち着きが無いだろう。


そんな異様な雰囲気の中、空いていたドアの向こうから背の高い男性がにゅっと姿を現した。


「何だ、まだ入籍してなかったのか」


スーツ姿で歩み寄る男性は恐らく若葉さんのお父さんだ。咄嗟に立ち上がった私に、若葉さんと似た瞳で笑いかけてくれていた。


「若葉の奥さんになる紫月さん、だね。えー初めまして、若葉の父の康成(やすなり)です」


自己紹介をするより先に名前を呼ばれてハッとする。頭を下げた私の横で、再び深い溜め息が溢れた。


「長電話で疲れたよ。そう言えば、緑と青葉はどこ行った?」

「緑は近くのコンビニ、青葉はケーキ買いに行ってる。すぐ帰ってくるわよ。なにか飲む?」

「アセロラが良いな」

「残念ねぇ、さっき私が飲んじゃった」

「じゃあリンゴ」

「それも売り切れ。オレンジにしたら?」

「オレンジかぁ」


交わされる会話のテンポは妙に早く、呆気に取られて言葉を失った。若葉さんが手を引いて、座るように視線で促す。


「あ、リンゴ……」


未開封のそれに目がいったものの、会話に入る隙は無い。


「親父」

「うん?」

「リンゴ、紫月が」

「いやいや…悪いよ、そんな。若葉のお嫁さんに嫌われたくないしなぁ」


そう言いながらも、既にリンゴジュースを手にしてストローを出していた若葉さんのお父さん。その様子を目を細めて睨む若葉さん。光さんはくすくすと笑いながらそんな二人を見ていた。


個性的というか、なんというか。だけど、態度や表情に滲む温かさは若葉さんとそっくりだ。


「頂きます。ありがとう、紫月さん」

「あ、いえ、私こそすみま」

「何で謝る。我が儘言ってるのは親父なんだから、紫月が謝る必要はない」


若葉さんに突っ込まれて、反射的に口を覆う。ジュースを飲んでいた康成さんは驚いたように吹き出した。


「……もう、後で掃除しておいてね」


直ぐ様、康成さんを咎めた光さんに、康成さんは頷きながらポケットからハンカチを取り出した。縁にストライプの入ったグレーのハンカチは若葉さんが持っていたものと同じで、もしかしたらデザインしたのは家族の人なのかも知れない。


見ていた私に気が付いたのか、康成さんが照れたように頬を掻く。


「若葉って意外と喋るんだな」

「私もビックリよ。紫月さんが絡むと妙に小うるさいの」

「なんだ、今まで喋らなかったのはキャラ作りか何かなのか?」

「どんなキャラよ。私達が若葉に喋る余地を与えなかったらしいけど」

「若葉はマイペースだからなぁ」


夫婦揃って若葉さんがどれだけ寡黙なのかを一頻り話し始め、白熱して来た会話に水を差したのは当人である若葉さんだった。


「紫月が戸惑ってるからもう止めろ。そういうのは二人の時にやってくんねぇかな」


私、気が付いてしまったかも知れない。ご両親も個性的だけれど、若葉さんもこうして見ると結構個性的だ。

どことなくずれた康成さん、お茶目で行動的な光さん、思い遣りに溢れ――過ぎた若葉さん。

少し冷静に考えてみると、若葉さんはいつも私を一番に考えてくれている。


「ほら、聞いた?鬱陶しいくらい過保護なのよ」

「若葉もそんな歳になったか……緑にアセロラ頼んだら買ってきてくれるかな?」

「電話してみたら。もう帰って来てると思うけどねぇ」


過保護、という言葉を真っ向から否定は出来ない。ちらりと見た若葉さんは私を見ていてばっちり目が合ってしまう。


「紅茶か何か淹れて来るか?でもいま離れるのはちょっと悪いよな」

「……うん、あんまり気にしないで」


疲れてしまわないだろうか。私を気遣う若葉さんにそんな風に懸念が過る。


「ただいま。姉さんとそこで会ったぜ」


がちゃりとドアノブを回す音がして、現れたのは金髪の若葉さんだった。

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