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身勝手な思い

犯人がわかって、一週間が経った。

この日、宏明が事件の真相を話す日である。

犯人がわかってからそんなに時間がかかったのかというと、証拠探しと自分の気持ちに整理をつけていたためだ。

午後七時半、警察の会議室に関係者が集められると、全員が宏明に注目した。

「遅れてすいません。書類送検に少し手こずりまして…」

遅れてきた谷崎警部が入ってくるなり謝った。

「二葉さん、山口を殺したヤツがわかったって…」

勇が不安そうに切り出した。

「はい。今回の事件は、日本文学に関係して起こった事件なんです」

「日本文学に関係…?」

進は何がなんだかわからず首を傾げている。

「オレや茂達五人は和久さんと初めて会った日、日本文学の話を聞いた。そう、あの日、和久さん達に聞いた日本文学こそが事件の始まりだったんだ」

「じゃあ、あの日から事件が始まったってわけ!?」

京子はまさかという口調になる。

「そうだ。恐らく、犯人は前々から和久さんを殺害するつもりでいた。オレらが日本文学の話を聞いた日、犯人は和久さんを殺害するのを実行する予定でいた。だが、あの日、レポートを書くために日本文学の話を聞きたいと茂からの電話があり、オレらと会うことになってしまった。仕方なく犯行を次の機会にした犯人は、一ヵ月後に和久さんを殺害した」

宏明はゆっくりとした口調で話した。

それに反して、全員緊張した面持ちでいる。

「事件の真相をより詳しく話す前に、田中さん達にお聞きしたいことがあります。和久さんが塾以外にパチンコ店でもバイトをしていた、というのはご存知でしたか?」

宏明の質問に、えっという表情を向けた勇達三人。

「いや、全く…」

卓也が答える。

「そうですか…」

「それがどうしたっていうんだ? バイトの掛け持ちは普通なんじゃないのか?」

谷崎警部はわけがわからないという感じだ。

「確かに普通の事だ。しかし、和久さんの胸中にはやりたいことがある、と塾長が言ってました」

「やりたいこと…? 兄はそんなこと一言も…」

妹である里子は驚いた表情をした。

「そうなんです。塾には面接時に言っていたんですが、同僚には言ってなかったんです。知っていたのは塾長だけなんですよ」

宏明は里子だけじゃなく勇と卓也にも言う。

「そのやりたいことっていうのは…?」

「会社の経営です。そのための資金作りのためにパチンコ店でもバイトを始めていたって塾長が言っていました」

宏明の脳裏には、優しそうな塾長が浮かんだ。

和久の胸中に秘めていたことを知った三人は、複雑な表情を浮かべた。

「山口はそんな夢があったのか…」

勇が小さく呟く。

「では、事件の話の続きを話したいと思います。和久さんが殺害された日、犯人は和久さんに‘話があるから塾の授業が終わる頃に行く’とでも言い、塾に行った。和久さんを殺害するつもりでいた犯人は、和久さんの性格を利用して口論へと導いたというところです」

「和久さんの性格って気分屋ってこと?」

進が茂に聞く。

茂はそうだというふうに頷く。

「そう。田中さん達にお聞きすると自分が気に入らないことがあると、すぐに怒ったり、その日の気分に合わせて性格が違うらしいです。犯人は口論の理由として、‘気分屋の性格のお前はみんなから嫌われている’とでも言ったんでしょう」

宏明は進の質問を元にして話す。

「でも、二葉君、現場に残っていた教室の後ろのほうにあった靴跡はどう説明するんだ?」

谷崎警部はますますわからなくなってきているようだ。

「それは口論で揉み合いになった時についたんでしょう。だいぶ前についた靴跡なのかもしれないけど、塾長に聞いてみると月に一度はワックス掛け、床拭きは週に一回はしていて、掃除は徹底的にやっていたそうです。事件当日の午前中に床付記をして、靴跡がついたとしたらその日しか靴跡がついたとしか思えないのです」

宏明は昨日の掃除が終わった午前中に再び和久が働いていた塾に出向き、塾長に言っていたことを全員に伝えた。

「生徒の物だっていうこともあるんじゃないの?」

紀美は犯人の靴跡だということには否定的の様子だ。

「いや、それは違うな。靴跡の大きさは二十八cmだ。小学生や中学生がそんなの大きな靴を履くとは考えにくい。よって、成人男性の靴跡だと思われる」

「そりゃあ、そうだよな」

茂は納得したように頷く。

「山口が残したというダイイング・メッセージはどう説明するんですか?」

卓也がずっと気になっていたのか、和久が残したダイイング・メッセージが知りたいという言い方で聞いてきた。

ダイイング・メッセージの事を気になっていたのは、卓也だけではない。

卓也以外の人間も気になっていたのだ。

「ヒロ、ダイイング・メッセージの事を教えてよ」

京子も催促してくる。

「それでは教えましょうか。‘九三五’という漢数字は、日本文学の中にある『土佐日記』が書かれた九三五年頃に成立された年号。‘十一’という漢数字は、実は数字ではないのです」

「どういうこと?」

「和久さんが死ぬ間際に書いた文字が、偶然‘十一’という漢数字に見えてしまったのです。その文字とは、『土佐日記』の土の漢字なんです」

「なるほど! そういうことか!」

宏明の説明に、ようやく謎が解けた一同。

「このダイイング・メッセージに当てはまる人物が、この中に一人だけいます。それは、田中さん、あなたですよ」

宏明はイスから立ち上がって勇のほうに近付く。

勇のほうを見る一同は驚きを隠せない。

「な、なんで僕が…? 山口を殺害する理由なんてない」

犯人だと名出しされた勇は戸惑っていたが、比較的しっかりとした口調だ。

「そうだ。田中はそんな事をする奴ではないぜ」

卓也も勇の人間性をいる知っているせいか、犯人ではないと否定する。

「田中さんが犯人だと信じたくない気持ちはよくわかります。しかし、和久さんが死体で発見された日、事情聴取をした田中さんのアリバイがおかしいのです」

「アリバイがおかしいってどういうこと…?」

里子は宏明が言っている意味がわからずにいる。

「仕事が八時半に仕事が始まるので、夜の十時半過ぎには家にいた、と田中さんはオドオドしながら答えていました。でも、これっておかしくないですか?」

宏明の問いかけに、どこがおかしいのかと首を傾げる一同。

そんな一同を見て頷くと、

「何もなければ、夜は家にいるのが普通です。でも、仕事が早いとどうでしょう。翌日の仕事が早いと早目に寝ようと思うのが心理で、‘仕事が早いから寝ていた’と答えるのが適切だと思うんです。それなのに、田中さんは仕事が早いから家にいた、と答えていました」

「そんな風に答えたからって僕が犯人だという証拠になるわけがない。それに山口が残したダイイング・メッセージだって、誰かが僕を陥れるものなんだ」

勇はさっきよりしっかりした口調で宏明に言った。

「誰もあなたを陥れたりはしていませんよ」

「じゃあ、証拠はあるのですか!?」

「証拠はあなた自身の気持ちですよ」

激しく問う勇に、冷静に答えた宏明。

「僕自身の気持ち…?」

「えぇ…。以前、あなたは和久さんに怒られた時の事を話してくれました。その怒られた時に、‘もうこんな奴に怒られるのは嫌だ。こんな気分屋な人間はいなくなってしまえばいい’、そう思ったのではないのですか?」

宏明は勇の顔をしっかりと見つめて言った。

「そんなの証拠でもなんでもないじゃないですか。正直、二葉さんにはガッカリしましたよ。もっとまともな推理で、犯人を追い詰めてくれるって思っていましたのに…」

勇は呆れた表情で言う。

「…人殺し…」

里子が聞こえるかどうかの小さな声で呟いた。

「え…?」

里子のほうを見る勇。

「人殺し!! 私のお兄ちゃんを返してよ! お兄ちゃんに怒られたからって殺す事ないじゃない!」

里子は怒りのこもった声で勇を罵倒する。

「な、何言ってるんだ!? 僕が山口を殺したのは…」

と、勇は途中まで言いかけるとハッとなった。

「本当に殺したんだな…」

卓也はポツリと勇に言った。

「…そうだ。僕が山口を殺したんだ」

勇は観念したように立ち上がって白状した。

「僕が山口と友達になったのは、大学に入ってすぐの頃だった。必修科目のクラス分けテストの時、僕が一人で座っていると、山口が隣に座っていいか、と聞いてきて座ったんだ。テスト終了後に、山口からお茶でもしよう、と言ってきて、それから仲良くなったんだ。初めはいい奴だと思ってたけど、親しくなるにつれて気分屋の本性を表してきたんだ」

勇はため息交じりで和久と出逢った頃の事を話し始めた。

「山口さんを殺害しようと思ったのはいつなんですか?」

紀美は恐る恐る聞いてみる。

「二年前の卒論の事でなんだ。山口がオレに論文を書けと命令してきたんだ。初めは断ったけど、山口は誰のおかげで友達がたくさん出来たと思っているんだ、書かないとお前のあることないこと言いふらすぞ、と言われて仕方なく書いたんだ。僕が卒論を提出した山口は、教授に褒めれていた。その姿を見た瞬間、殺意が芽生えてきたんだ」

悔しそうに握りこぶしを握る勇。

その悔しさがひしひしと宏明に伝わってきて、なんともいえない気持ちがこみ上げてきた。

「なんで今になって殺害なんか…?」

「僕の殺意が芽生えたのは卒業前だったし、山口も笑って卒業式に出たいし、卒業後も塾で働くことが決まってたからな。せめて、やりたいことをやってからでもいいかなって…」

「やりたいことをやってからでいいかなって…そんな軽い気持ちだったのか? 田中、お前どうかしてる」

卓也は腹立つ気持ちを抑えながら言った。

それは宏明も一緒だった。

勇の気持ちは、わからなかった。いや、到底わかりたくもなかった。

「尾崎の言うとおりだ。山口を殺害するまでの間、僕はどうかしてた。いや、今もどうかしてる」

勇は気が晴れたような表情をしている。

「さぁ、行こうか」

谷崎警部は勇に問いかけた。

「二葉さん、僕を犯人だと言ってくれてありがとう」

勇の予想外な礼に、驚いた表情を見せる宏明。

「自分のこの手で山口を殺したんだって思うと、ぞっと恐ろしくなった。山口を殺す前はあんなに殺意が強かったのに、山口を殺したら急に怖くなった。だから、二葉さんにこの事件を暴かれるのをずっと待っていた」

自分が殺害した後の気持ちを宏明に告げる勇。

「実にあなたは勝手な人だ。復讐心で人を殺害し、後になって怖くなり捕まえて欲しいなんて、自分を守るのにも程があります」

宏明静かな口調で勇に言った。

勇は小さく頷くと、谷崎警部と共に会議室を出て行った。

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