六話 愛情
朱い。
光を超えた先は赤い夕陽が映し出された。
周囲には青い花と強い風。
回るプロペラの塔――風車があった。
「シェリー……今行くから」
風車の小山から城下町へと全速力で走る。
体力が無いのが悔しい。
ぜぇぜぇと肺が酸素を欲していて、今すぐにでも立ち止まりたい。
それでも走る。
「あっ!」
石畳から伸びる雑草に足を絡めて転んでしまった。
下が石だからか膝が痛い。
関係無い。
もっと痛くて悲しんでいる人がいる。
我慢して立ち上がり、城へ、魔術師団の塔へ走り出す。
幸い、迷路みたいな道も今日教えてもらったばかりなので覚えている。
積み上げられた石作りの建物が赤く夕陽に染まっている。
命の消えたこの世界で、動く影は一つしかない。
目を背けたい現実が、今だけは後ろ押ししてくれる。
彼女に手を差し出せる人が、この世界に僕しかいないから。
城門を潜る。
陽は傾き始めて、色が朱から紫に移りつつあった。
三つある建物の一つに足を向けてひたすら走る。
施設内は僕が走っている影響か埃が舞う。
「みずき……」
誰もいない所為か、とても良く透る声が聞こえてくる。
よかった……。
もしも魔法の影響で何かおかしな事になっていたら、どうしようかと思っていた。
「シェリー!」
「みずき!?」
扉の先に入るとシェリーは力無く座り込んで、僕の方向に振り返る。
黄金色の瞳には大粒の涙。
シェリーの気持ちを意図的に考えない様にしていた。
この世界で一人で生きていく……それがどれだけつらい事なのか。
「最初に色々してくれたのに、ごめん……戻ってきちゃった」
「失敗したの?」
「違うよ。自分で戻ってきたんだ」
「ど、どうしてよ」
「気付いちゃったんだ。シェリー、君を一人にさせるなんて、僕にはできない」
黄色いゼラニウムが教えてくれた。
確かに出会いは偶然だったかもしれない。
だけど。
だけど、僕がシェリーと出会った事に意味があるのなら。
僕はシェリーに悲しんでほしくない。泣いてほしくない。
ずっと笑っていてほしい。いつまでも元気でいてほしい。
あんな影のある、無理に作った笑顔ではなくて、本当に笑ってほしい。
「大きなお世話よ! 自惚れないでよね! 帰りなさい!」
「帰らない。泣いていたじゃないか」
「泣いてない!」
両手で涙を拭ってシェリーは強く返す。
シェリーの目蓋は赤く腫れていて、今まで泣いていた事がわかる。
「さっさと帰って幸せになりなさいよ!」
「帰らないよ。誰も居ない世界にシェリーを残したりしない」
「私の気持ちも知らない癖に、知った風な事言わないで!」
「シェリーの気持ちなんかわからないよ!」
僕には他人の気持ちが解らない。
そもそも僕は、僕の気持ちすら解らないんだ。
でも、一つだけ、これだけは間違ってないと言える事はある。
「僕はシェリーの気持ちは解らない……だけど心配する事はできる。察する事はできる」
今まで僕を支えてくれた人。
皆は決して僕の心が理解出来たからでも、僕の気持ちを知っていたからでもない。
僕の事を心配してくれて、気持ちをその人なりに察してくれたんだ。
生きていれば誰だって考える当たり前の感情。
大切な人が泣いている時に慰めてあげたいという極々自然の気持ち。
それは時として相手を傷付けてしまうかもしれない。
だけど、僕はそれが間違っているだなんて思わない。
あの日――母さん父さん、雄二が僕にしてくれた事は、絶対に正しい事だ。
「だから僕は帰らない! どんなに拒絶されても、無視されたって、シェリーを心配する。元気になってほしい。笑ってもらう為になんでもする」
皆が僕にしてくれた様に、今度は僕がシェリーに手を伸ばす番だから。
手を伸ばす。
僕が本当に伸ばさなければいけないのは、シェリーになんだ。
心から幸せになってほしいと思う、大切な人だから……。
「僕はここに残る。シェリーが独りにならない為に」
「バカ! バカ! バカ……ばか……」
シェリーが僕の胸に顔を埋めて両方の手で叩く。
それも徐々に弱まっていき、今度は隠す様にすすり泣く。
独りがつらくないはずがない。
苦しくて、悲しくて、怖いんだ。
覚えている。
いるはずの人がいない。
それだけで例え様もなく、つらいって事。
本当のお父さんとお母さんを失った時の苦痛。
僕に比べてシェリーはその何倍、何百倍もの大切な物を一度に失った。
理解なんてできない。
でも、ほんの少しだけなら考えられる。察する事ができる。
もうシェリーを悲しませたくない。笑っていて欲しい。
そう決意して、僕はすすり泣くシェリーを受け止める様に抱き締め続けた。
†
それから十分か、三十分か、一時間か。
時間の流れはとてもゆっくりで、今が何時なのか解らないけれど、その体勢のまま長い時間を過ごした。
「みずき……」
「なに?」
シェリーの質問に優しく返事をする。
随分長く泣いていた所為か、先程よりも更に涙腺が腫れて膨れている。
せっかく美人が台無しだけど、その表情には以前の様な憑き物が消えていた。
その顔を見られただけでも嬉しい。
「みずきが……その……」
「ゆっくりで良いから話して。僕等には沢山時間があるから」
鍵屋瑞希とシェレイリア・フラメール。
この世界には二人しかいないんだから。
「みずきは、本当に私と一緒にいてくれるの?」
「うん。そう決めたんだ。光の中で何かが教えてくれたから」
黄色い花弁。
本当の気持ちを教えてくれた花。
「でも……みずきには、大切な人が……」
母さん、父さん、雄二。
僕にとって掛け替えの無い大切な人達。
きっと三人は僕がシェリーを置いてノコノコと帰ってきたと知ったら怒るだろう。
僕は皆の為に帰るんじゃなくて、僕が皆がいないとダメだから帰りたかった。
その恥ずかしくて、浅ましい事実に気付いた。
本当に大切だと思うからこそ、僕はシェリーを置いて行けない。
だから――
「僕は皆の事も諦めない。だけどシェリー、君の事も諦めない」
まだ知らない。
この世界の事を何一つ知らない。
シェリーの事も知らない。
僕の瞳に映したこの世界は、少なくて、とても狭くて、小さな物。
何もかも、まだ知らないんだ。
「探しに行こう」
「探す?」
「うん、命を探すんだ。こんなに広いんだから、シェリーが最初で最後だなんて思えない。きっと命はいる。この世界のどこかにいる。その命を探しに行くんだ」
「…………一緒に?」
「そうだよ。世界中を旅して探そう」
僕とシェリーが出会えたのは天文学的な偶然が働いた奇跡なのかもしれない。
本当にこの世界に命は残っていないのかもしれない。
だけど、僕達はまだ探してもいない。
探す前から諦めるなんて、僕にはできない。
「僕一人じゃ耐えられない――だから一緒に来て欲しいんだ」
手を差し出す。
幼い頃の僕は強情だったから、手を差し伸べられている事に気付かなかった。
例え拒まれたとしても、次の手段を考える。
皆がそうしてくれた様に僕もそうする。何度だって挫けない。
「本当に私なんかで良いの?」
「『なんか』って言わないで。僕にとってシェリーは元の世界に置いてきた皆と同じ位大切な人なんだ。シェリーと一緒じゃなきゃ、僕は旅をする気はないからね」
シェリーは口元に両手を当てて何かを呟き……一つ頷いた。
「みずき、好きよ。世界で一番……いいえ、どんな異世界を含めても、あなたが一番大好きだわ!」
そしてこれまでに見た事も無い、太陽の様な笑みで言った。
その告白の言葉を耳に入れて、全速力で走った後の様に身体が火照ってきた。
話していて大分冷めたはずなんだけど。
「照れているの? という事は相思相愛かしら?」
「な、何を言っているんだ」
「だってこんな気持ち初めてなんだもの! みずき、あなたは私の運命の相手、白馬の王子様、異なる世界から私を救いに来てくれた勇者様」
「僕は普通の学生なんだけどな……」
この世界にもそういった童話があるんだなぁ。
自分が主人公を救いにやってくる人物なんだ、と言われると首を傾げてしまう。
でも、なんとなく気持ちが解る。
僕にとって月城雄二という親友は、ヒーローだった。
母さんも父さんも同じで、今も昔も世界で一番好きだ。
三人いるから世界で一番では無いのかもしれないけれど、言葉に表すとどうしてもそんな風にしか出てこない。
「みずきといるだけで不安が吹っ飛んでしまって心が弾むの。この世界にまだ沢山生き残っている命がいるって信じられる。明日に希望が持てるの」
……よかった。
こんなにもシェリーが元気になってくれて。
あの日、シェリーと初めて出会った日。
僕はこんな風に笑うシェリーを見たかったんだと今ならわかる。
シェリーを笑顔に変えられた。
それだけでも戻ってきた価値があった。
「ああ、どうして好意を伝える言葉はこんなに少ないのかしら。私の心をみずきにそのまま伝えられたら全部理解してもらえるのに!」
「大丈夫。伝わっているから」
「いいえ、伝わってないわ! 私とみずきには、とっても温度差があるもの」
ちょっと元気になり過ぎな気もするけれど、シェリーが嬉しそうだからいいや。
「ねぇ、みずき。私決めたわ」
「何を?」
ほんのりと赤みの帯びた表情でシェリーが尋ねてくる。
綺麗だと思っていた瞳が、まるで別物の様にキラキラと黄金色を放っている。
特徴的な透明色の髪が黄昏の光……青紫色の光を吸い込んで瞬く。
「一つ目は、この世界に残っている命を全部見つけるわ」
「うん」
「二つ目は、残った人達を今の私みたいな気持ちにさせるの」
「いいね」
「三つ目は、みずき、あなたを私に惚れさせるわ」
「え……そ、それは……」
「最後は……」
シェリーは瞳を閉じて幸せそうにはにかむ。
そして言葉を紡ぐ。
「――みずきとみずきの世界に私も行って見たい」