二話 慰め
それから三日間、陽の出ている間、僕達は歩き続けた。
歩けど歩けど見えてくるのは人のいない家屋と雑草の生い茂った田畑。
時々普通の家屋とは違う、大きく頑丈そうな家もあるにはあるのだけど、その家も整備されていないのか、雑草が侵食していた。
今僕達が歩いているのは大きな道。街道と考えれば良いのかな。
国土の広い国の田舎では車道が整備されておらず、昔ながらの道だと聞いた事がある。
だけど、元は大きな道だったはずの、人が歩き易い硬い地面には、もう何ヶ月も人や車が通っていないらしく、地面の亀裂から雑草が生えていた。
僕は春先にコンクリートの間から土筆が芽を出していたのを思い出した。
あの時はこんな所から生えるなんて、と自然の力に感心したけれど、それとは違う感覚がこの道に生えた雑草から感じられる。
具体的に何が違うのか? と尋ねられると正直答えられない。
だけど、何か……何か違う気がする。
思えばこの国は静か過ぎる。
かれこれ鳥や虫の鳴き声を聞いたのはどれ位前だったっけ。
記憶を遡ってみると、僕が迷ったあの山では既になくなっていた。
木々のざわめきと風の音だけが世界に木霊して――命の息吹を感じない。
僕が唯一命を感じられるのは……。
「ミズキ、タレテニミヤク!」
前を歩いていたシェレイリアが弾んだ声で前方を指差している。
この三日間、未だ言葉こそ解らないけれど、お互い身振り手振りで意思疎通できる位には、僕とシェレイリアは打ち解けていた。
「お城……」
小高い丘から見下ろしたのは大きなお城。
僕が知っている遊園地やテーマパークの物と比べると石作りの……古城といった造りだ。
西洋のお城と言えば遊園地のお城が最初に浮かぶけれど、随分違う。
灰色一色に囲まれた石。作られてからの年月を思わせる、所々色焼けした城壁。
城壁は内側を守るかの様に四つの搭で四角形を描く形で築かれていた。
内側には同じ色の石で積み上げられた堅牢な城。
遊園地に親しんだ僕からすると、城というより巨大な牢獄にも見える。
それ位、お城に抱くイメージとは掛け離れた風貌をしていた。
そして視線を下げると城下町が広がっており、城と同じく灰色の家々が立ち並んでいた。
いつの時代に作られた城か解らないけれど、石作りのお城は建築に何年も費やしたと社会科の授業で聞いた事がある。
綺麗に残っているという事は世界遺産に匹敵するんじゃないかな。
こういう場所は観光地になっている事が多いので当然人も集まるはず。
「チニカヒョフ、ミズキ」
「うん、行こう」
ここから城下町までは随分距離があるけれど、目的地があるというだけで力が沸いてくる。僕はシェレイリアと早足に城下町に向かった。
結構急いでいるのに、僕よりも荷物が多いはずのシェレイリアが、前を歩いているのは男として恥ずかしい。体力的にしょうがないけれど今度足腰を鍛えようと思った。
帰ったらマラソンは……厳しいから、せめてウォーキングで体力を付けたい。
やがて見上げる位大きな城門が見えてきた。
遠くからだとミニチュアの様に感じられたけど、近付くと凄く大きい。
石材は年季が入った灰色に黒や赤茶といった汚れが根強くこびりついている。
そして巨壁にまで侵食している蔓草。
城下町に続く橋……これも石作りで造られていて歩き易い。
見呆けているとシェレイリアが橋の先で手を振っているので走って追いつく。
開けっ放しになっている巨大な門を潜ると城下町が視界いっぱいに広がった。
「…………………………」
城下町は城と同じく、石材を積み上げられた家々が立ち並んでいる。
所々雑草が生えているけれど、硬い地面よりは遥かに歩き易い石畳。
住居から見える木製の……格子戸がはめられた窓。
しかし。
「まるでゴーストタウンだ……」
静まり返った町、街、都市――世界。
命は、ここにも無い。
見れば家々は建てられてからそんなに年月が経っている様ではない。
これだけの石作りの建物がこんなに綺麗な形で残っているが不思議だ。
なんというのか……もっと風化していたり、壊れていたりしていてもおかしくないはずなのに、まるでほんの数ヶ月前まで人が住んでいた様な……。
「ミズキ、ホッリキニテ!」
「う、うん」
例え様も無い不安に駆られているとシェレイリアが僕を呼んでいる。
恥ずかしいけれど、シェレイリアがいてくれて良かったと、本気で思った。
シェレイリアは目的地があるらしく、何度も立ち止まった僕の手を握って歩き出す。
元は大きな都市だったのだろう。城下町はとても広くて僕一人だったら迷ってしまいそうな程、道が複雑だ。
もしかしたらシェレイリアはこの街に住んでいたのかもしれない。
あまりにもスムーズに歩くものだからそう思った。
「お城?」
そうして少しずつ近付いてきたのは丘からも見えたお城。
「ロフ、ヒトキマメザモホッテチヨソクチンミァケゾ……」
何か心残りな口調でシェレイリアは道を急ぐ。
城門を潜ると三つの建物を仰ぎ見た。
ひとつは丘からも見えたお城。もうふたつはわからない。
シェレイリアは迷わずお城に入る。
中は薄暗く、少し湿っていて、風通しも悪い。
壁には照明に使ったと思わしき突出し燭台が付けられていた。
随分前に使い切ってしまったのか、足元には炭化した木片が散らばっている。
お城というよりは砦の様な冷たさが支配していた。
途中階段を上ったのだけど段差が激しく何度も転びそうになった。
そしてシェレイリアが立ち止まったのは、銀や金、宝石などで綺麗な装飾された扉。
「ミズキ、ホホク」
「この先に何かあるの?」
コクリと頷いたシェレイリアは扉を強く押す。
開かない。
「ゾフヒテ?」
不思議そうに首を傾げるシェレイリア。
「もしかして……」
僕は扉を引っ張ってみた。
すると装飾の所為で重い扉が床の石畳を引き摺って開き始める。
シェレイリアの方を眺めるとほんのりと頬が染まっている。
これは照れているのかな?
シェレイリアでも失敗とかするんだなぁ。
勝手なイメージだけど、シェレイリアはなんでもできる完璧超人みたいに思っていた。
なんせ毎日札を使った魔法を見せてくれるので期待、というか憧れみたいな。
でも、少し安心したかも。
直前の……違う。今でも誰もいないこの場所を怖く思っていたから少し落ち着けた。
扉の中は暗く良く見えないけれど、格子戸の隙間から光が漏れ出している。
格子戸をシェレイリアが外すと部屋の全貌が明らかになった。
装飾の施された……多いので一まとめに絨毯やベッド、テーブル、本棚など多彩だ。
地面やテーブルには長く誰も使っていないのか埃がいっぱい積もっている。
一言で例えるなら、ここが城という事もあって、王族の部屋の様な……まさか。
「あれ?」
良く見てみると本棚の右隣の床だけ本当に若干埃の積もりが少ない。
「ロフ、ホホキマヨモ」
気が付いた僕にシェレイリアはそう言って頷くと本棚を引っ張り始めた。
何があるか解らないけれど僕も手伝う。
本棚は思いの他軽く、二人で引っ張ると簡単にその正体が判明した。
「隠し階段という物かな?」
本棚の先にあったのは人ひとりが通れる穴。
穴の先は下に向かう階段になっていて先は暗くて良く見えない。
「ホッリク、ミズキ」
シェレイリアは部屋に荷物を置いて、赤い札を何枚か取り出した。
そして荷物を置いたまま穴の中に入って札に火を灯す。
何度見てもシェレイリアのこの札は不思議だ。野宿で使う時はもう少し火力が高いはずなのに、今は弱い暖かな視界を作る為の光となっている。
もう片方の手で僕の手を握り、シェレイリアは階段を下り始める。
繋がった手から伝わってくる心臓の音は、何故かとても大きく聞こえた。
何を緊張しているのだろうか。それともこの先に何があるのか知っているのだろうか。
何階か下って、体感で地下まで降りた頃、大きな部屋に辿り着いた僕は絶句した。
宝の山。
僕の瞳に広がったのは金色に光る金属や装飾されたアクセサリー、大きな宝石、貴重そうな古びた本、王冠やティアラ、杖など値打ちのありそうな物ばかり。
金銀財宝という言葉があるけれど、まさにこんな状況で使う言葉だと思う。
「ミズキ」
「シェレイリア?」
宝の山から小さな小箱を持ってきたシェレイリアは中身を見せてくれた。
飴玉が六つ入っていた。
少し痛んでいるのか、お店で売っている物と比べて質は格段に落ちている。
何よりこんな温度が保障されない場所に放置されていた影響か、一度溶けた様な跡まであって正直、これを口に入れるのは躊躇われるのだけど……。
すると一足先にシェレイリアは飴玉を自分の口に入れた。
「ラチ、ミズキ、オミネェテ」
そして飴玉を一つ摘んで僕の口元に持ってくる。
ミネェテは食べる、という意味だったかな。食事時にシェレイリアが良く口にする言葉なので食事と関係している言葉なのは間違いない。
飴玉を見る。
やっぱりちょっと汚れていて、食べるには勇気がいる。
「食べたらお腹壊しちゃうよ。だから――」
「ヤザカカチヤハチモ!」
初めてシェレイリアに強い口調で言われた。
なんか怒られている?
今までよりも意思表示がしっかりしているというかなんというか。
う~ん……怖いけど、ここまで案内してくれたのだから勇気を出して食べよう。
飴玉を受け取って恐る恐る口に入れる。
舌の中で転がして広がったのは、変わった味だ。
甘いわけでもなく、かといってミントの様な香りがある訳でもない。
正直言葉で表せられない。
少なくとも僕の人生で、類似する味のある食べ物が無かったので表現できなかった。
あえて捻り出すとしたら溶けるガラス玉を舐めている様な……そんな味。
「みずき、私の言葉が解る?」
「え!?」
突然話し掛けられて振り返る。そこには当然ながらシェレイリアしかいない。
何よりはっきりと僕の事をみずきと呼んだ。
どういう事だろうか? もしかしてシェレイリアは日本語が解る?
それは無い。
仮に解ったのだとしたら、もっと早く話してくれたはずだ。
僕が唖然としているとシェレイリアがふっと柔らかい笑みを浮かべた。
「シェレイリア……で良いんだよね?」
「ええ、私はシェレイリア・フラメール」
僕の問いにシェレイリアは時折見せる水気を帯びた瞳で微笑みながら頷く。
「ずっと……みずき、あなたと話がしたかった……」
「僕と? ううん、シェレイリア、君は一体なんなんだい?」
「私はシェレイリア。この国の……いいえ、みずき、あなたとは別の世界の人間よ」
「別の世界?」
寂しげに顔を伏せたシェレイリアは首を立てに振る。
「信じられないかもしれないけれど、みずきと私が生まれた世界は違う……と思うの」
「えっと~……言語が違うとか、国が違うとか、そういう意味じゃないの?」
「みずき、私は確信しているわ。だって私の住む世界……国に、みずきの左ポケットに入っている様な道具は存在しないもの」
咄嗟に左ポケットに手を当てる。
そこには僕が長年使っている、型の古い携帯電話が入っていた。
昔、まだ携帯電話を使うなんて早いと思っていた頃に、母さんと父さんが買ってくれた物だ。型が古いのは感慨深くて、電池をお店で五回も買い直して使っているからだ。性能面では大分古いし、今主流の物に比べると重い。
でも、僕にとってはとても大事な物だ。
「これは普通の携帯電話だよ?」
「そう……みずきにとって普通なのね。じゃあこれは、みずきの周りにある物?」
明かりを灯している赤い染料で描かれた、炙った様な模様の紙。
確かに僕の身の回りにあの様な……魔法みたいな道具は存在しない。
そもそも直前まで言葉が通じなかったのに飴玉を口にしただけで話せる様になるのもおかしい。これも魔法みたいだと思う。
何より不思議なのは、シェレイリアから聞こえてくる声は相変わらず異国の言葉なのに、頭で変換される時だけ日本語に置き換わる。これを魔法と例えなくて何と例えるのだろう。
「今だからこんな風に使えるけれど、一枚で一週間は暮らせるのよ?」
「じゃあさっきの飴も?」
「ええ、とても貴重な材料が原料の物だから、この国の王様の私財でも六つしか無いけれど、口にした人が一時的に相手の言葉を理解する事ができる、凄く便利な物よ」
「そんな貴重な物を僕なんかに使って良かったの?」
「問題無いわ。だって持ち主も、咎める人も、裁く人もいないんだもの」
「え……?」
どういう事なのかを尋ねようとした僕だったが、その言葉は吐き出される事なく喉元で溶けて消える。
――あまりにも悲しそうにシェレイリアが俯いたから……。
僕は唯、そう、彼女がどうしてそんな顔をしてしまうのか気になった。
今日だけじゃない。
昨日も、一昨日も、その前も、悲しそうに微笑むシェレイリアを勇気付けたかった。
「わかった。シェレイリアを信じるよ」
「本当?」
「うん。この世界は僕が住んでいた世界とは違う、異世界。言語が違うのは当たり前で、今いる場所も無数にある国の一つ」
「ありがとう……みずき……」
「僕こそ、ここまで道を教えてくれてありがとう。僕一人だったら凄く困っていたよ」
「そうかもしれないわね。ミズキったら野宿に慣れてないみたいで……あ、でも、あのサクっとする甘いお菓子はとてもおいしかったわ。みずきの手作り?」
「うん、僕の世界にある外国の料理なんだけど――」
ここに辿り着くまでの三日間、サプリメント配合ショートブレッドチョコレート味を悪くなるといけないからと、シェレイリアに食べさせた事があった。
シェレイリアは最初、異国の食べ物だからか、僕と同じく口に入れるのを躊躇っていた。けれど一口食べた瞬間、とても気に入ってくれた。
「僕の親友は甘い物が大好きなんだけど、栄養を気にしない人だから、いつのまにか作る様になっていたんだ。彼も甘いお菓子なら食べるからね」
ショートブレッドはスコットランドの伝統的なお菓子で、色々と語弊はあるけれど、カ○リーメイトと言えば大概の人は理解してくれる。
親友も同じイメージを持っているので、チョコレートを生地に混ぜると喜んで食べるものだから、僕はサプリメントを粉末にして混ぜる様になった。
「そうなの。みずきは、その人が大好きなのね」
「うん。彼は一生涯の親友だよ」
「そう……」
とても悲しそうな顔をしたシェレイリア。
気になって尋ねようと思うも次の瞬間には笑顔に戻っていた。
見間違いだったかな?
「でもみずき、あの茶色い甘過ぎる液体はダメだわ。あれは限度という物を越えていると思うの」
確かに練乳コーヒーは普通の人には厳しいよね。
でも、僕の親友はその限度を超えている液体に、蜂蜜とメープルシロップを入れて飲む人なんだよ、とは怖くて言えなかった。
僕も偶に飲むなら良いけれど、常用するのは無理だと思う。
「シェレイリアは、どうしてあの家に?」
「あそこは私の故郷なの」
「そうなんだ。静かで空気が綺麗な場所だよね」
「……そうね」
まただ。
また一瞬だけシェレイリアは影を落とした様な暗い顔を無理矢理笑顔に変えた。
「ねえ、みずき。もっとあなたの話を聞かせて」
「え? いいけれど……」
本当はシェレイリアを元気付けてあげたい。けれどシェレイリアは自分の事になるとつらそうに俯いてしまう。
尋ねようと思っていた疑問は少しずつ隠れて、いつしか僕は自分の事を話していた。
「母さんは花の芸術の先生なんだ。それで父さんは花を売っている人で――」
気が付けば僕の大切な人、友達、学校、生活、当たり前の日常。
こんな当たり障りの無い内容がほとんどを占めていた。
やがて僕の身の上話も少なくなっていき、口数が減ってきた頃……。
「みずき、決めたわ」
「シェレイリア?」
そう言って握られた両手には強い意思が込められているようだった。
そして今までみたいな柔らかな、すべてを受け止めてくれる表情でなく、とても真面目な顔で僕と瞳を交わした。
綺麗な黄金色の瞳に吸い込まれてしまいそうな錯覚を覚える。
ふと気付く。
シェレイリアの手が震えている事に。
どうしたのかと僕が尋ねる前にシェレイリアは言葉を紡いだ。
「みずき、心をしっかり持って。これから私が知る、この世界のすべてを話すから」
「う、うん」
一度、二度、シェレイリアは深呼吸をしてから真剣な眼差しで、その言葉を言った。
「この世界に命はいないの」
「え?」
「正確には三ヶ月前、ある日忽然と人を始めとした生きている命がすべて消えたの」
「命が消えた……?」
「これまでの道でみずきはおかしいと思わなかった?」
それは思っていた。
あの山からシェレイリアに出会うまで、僕は虫一匹、鳥一羽も見かけていない。
これはシェレイリアとの寝食を共にした三日間でもだ。
聞こえるのは風の音と自分達の足音だけ。
木々が葉を擦る音、水が流れる音はするけれど、他の音は何一つ無い。
今更尋ねられなくても不気味に思ったのは一度や二度じゃない。
でも……意図的に考えない様にしていた。
「うん。思った」
「私は三ヶ月前、命が消えた日に隣の建物……宮廷魔術団・無の派閥の宿舎で、早朝に目を覚ましたのだけど、誰もいなくなっていたわ」
「……どこかに行ったとかではなくて?」
現状を否定したいが為に、僕は既に気付いている事を尋ねた。
今までの状況と、シェレイリアの態度から嘘のはずがないのに。
「この国の王族、騎士、兵士、宮廷魔術師、市民、すべての人を一度に移動させる手段が無いの。いえ、仮にあったとしてもやる意味がないわ」
騎士や兵士、宮廷魔術師という言葉に馴染みが無くて現実感が沸かないけれど、数え切れない人間が一晩で消えた説明を付けられないのは僕にもわかる。
だけど、それが事実だとして、シェレイリアはどうして無事だったのだろう。
シェレイリアの態度から本人にもわからないのだと思う。
だって……この話をしていて一番つらそうなのは、シェレイリアだから……。
「私は最初寝坊したのだと思ったわ。いつも賑わっている宿舎に誰もいなくて……だけどすぐにおかしいと気付いた。だって毎朝早くから訓練している兵士達もいなくて、城下町にも誰もいなかったんだもの」
想像してみる。
ある日、自分のベッドで目覚めると母さんと父さんがいない。
外に出ても誰もいなくて、学校に行っても親友の姿がない。
駅前に行っても人影一つなかったら……僕はどうなるんだ?
怖い。唯々怖い。
こういう話はマンガや小説であると聞いた事があるけれど、それでも怖い。
大切な人達がある日忽然と消えてしまうなんて、考えるだけで身体が震える。
「怖かった……沢山探したわ。嫌われてしまうかもしれないけれど、他人の家に不法侵入した事もあったし、一週間も経つと悪い事だってわかっているのに城の物を私物の様に使っていたわ……」
状況はわからないけれど、それはしょうがない事だと思う。
ひとりになってしまっても、生きなくてはならない。
ご飯を食べなくちゃいけないし、寝る場所を準備しなくちゃいけない。だから、もしも僕が同じ状況になったらスーパーやコンビニで物を盗んでしまってもおかしくはない。
「それから私は探した。近隣の村も、故郷も、隣の国にも足を伸ばした。けれど隣の国にも、その隣の国も、そのまた隣の国にも、誰もいなかった……」
「…………」
「結局、疲れきった私は故郷に戻ってきて密やかに暮らそうと思ったの」
きっとシェレイリアは諦めたんだ。
もうこの世界には自分以外誰もいなくて、これからもそれは変わらない。
一人で生きていくには十分過ぎる物資はある。
自分の手で死ねないなら、怖くても生きていくしかない。
「そして、生活にも慣れた頃……みずき、あなたが現れた」
「僕が?」
「ええ、私は神様に感謝したわ。みずきを生まれさせてくれてありがとう、みずきを生かしてくれてありがとう……って一杯一杯、数え切れない位、感謝の言葉を祈ったわ」
だからあの時あんなに泣いて喜んでいたのか。
もしも僕が同じ状況でもシェレイリアに泣き付いていたと思う。
……諦めた物が突然現れたのだから。
「だから私はみずきにずっと一緒にいてほしかった。みずきが旅をするのなら地の果てにだって着いて行くつもりだった」
過去形? という事は今は違うという事なのかな?
「でも、すぐに気付いたわ。みずきがこの世界の人じゃないって事も、この世界に誰もいないという事を知らないって事も……何か偶然が働いて、ここにいるんだって」
「……うん。突然本来とは違う場所にいて、山を下って、シェレイリアと出会った」
「みずきがやさしい人で良かった。あの時の私は錯乱していたから、きっとどんな悪い人でも、暴力を振るわれても着いていったわ」
それは……おかしくないのかもしれない。
自分以外の命が僕しかいなかったのだから、僕の人間性ではなく、命という価値だけを見たと言われても悪い気持ちにはならない。
きっとシェレイリアは僕が本当に悪人でも抵抗しなかったのだろう。
だって、自分以外の命を見つけるという目的は、既に達している。
「ここに連れて来た時、私はみずきと言葉を交わしたかっただけで、この話をするつもりは無かったの」
「どうして?」
「みずきは知らなければ、ずっと私といてくれるでしょう?」
「……そうだね。ううん、きっと自分から一緒にいたと思う」
シェレイリアは僕と出会えたから良かったと言うけれど、それは僕も同じだ。
もしも一人だったら、今頃異世界で僕は何も解らずに震えていたはずだから。
「みずき、もう一度言うわね。心を、しっかり持って」
「…………」
とてもつらそうに震える様な声でシェレイリアは告げる。
その言葉は僕の世界すべてを押し潰してしまう程、冷たい現実だった。
いや、本当はもっと……遥か以前から気付いていたんだ。
知らない振りをしていれば、いつまでもごまかせたから心を偽った。
口にして、僕以外の誰かから言われなければ、きっと一生現実逃避をしてしまう様な、そんな悲しくて冷たい厳しい現実。
「このままでは、みずき、あなたは元の世界に帰れない。大切な人と二度と会えない」
足元が崩れる錯覚。
身体中の血液がサーッと冷めていく。
当たり前の事のはずなのに、目を逸らしていた現実。
気が付けば僕の耳にシェレイリアの声は届かず……唯《大切な人と二度と会えない》という言葉だけが木霊し続けていた。