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エストレージャの願いを  作者: 村咲アリミエ
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  目ざめたニール(2)

 誰もいない廊下に、かつかつと自分の足音が響く。アクルはこの空間が好きだった。


 少しだけひんやりしていて、心地よい。黒という黒に、つつまれているような気がする。ところどころにひっそりと存在する、真っ赤な薔薇も好きだった。おしゃれで、時々その薔薇をじっと眺めてしまうときがある。


 いまだに誰にもばれていない、アクルだけの秘密の時間だ。



 屋敷は、とてつもない広さだった。


 ここを学校にしようと思えば、きっと立派な学校になるだろう。生徒がたくさん入ることのできる教室も、自習室も、図書館も、パソコン室も、すぐに用意できるだろう。

 ここをホテルにしようと思えば、とても素敵なホテルになるだろう。外観はおしゃれで、部屋も大小様々な大きさのものがある。ダンスホールも、大浴場も、大食堂もある。


 今屋敷に住んでいる人の数からしてみれば、この屋敷はあまりにも大きい。


「…………」

 俺、何分歩いてるんだろう。


 ふと、頭の隅でそんなことを考えてしまうアクルだった。それほどまでに、部屋から部屋までが遠い。そのため、各部屋、および廊下には内線電話と「伝書鳩」と呼ばれる内部ファックスが付いており、いつでも連絡が取れるようになっているのだが……今回は別に治療室に連絡をしなくてもいいだろう、とアクルは思っていた。


 治療室の中で、どのような治療がされているかもわからないし……。万が一、とても集中力の必要な治療をしているのに、アクルが電話をしてしまったら……。


 お医者さんが集中している、そういう空間を邪魔しちゃいけないだろ! それは空気読もうよアクル! というか察そう! 無理でも何となく第六感で感じ取ろう! 電話に出た相手に、とても迷惑そうな声で「あー……アクルかよ」とか言われた日にはたまったもんじゃない!   

 デジャヴはさておき。

「着いた」


 アクルはやっと治療室の前に到着した。小さな黒い扉に、治療室、と白い文字で書かれた黒い板がかけてある。その板は、ドアに溶け込んでいるようで、どこか不気味な雰囲気を醸し出していた。


 ここが学校だったら、こんな治療室、誰も入りたがらないな……。


 アクルは思わず苦笑した後、扉を軽く叩いた。叩いた後に、あぁしまった、もし治療してたらどうしよう、邪魔をしてしまったらどうしよう! と考えたのだが、そんな心配は無用だった。


 扉はすぐに開いた。扉の向こうにいたのは、この部屋の主、ルークがいた。


「どうした、アクル」

「今、大丈夫? 入っていい?」

「構わんよ」


 ルークは体をどけると、アクルを治療室に入れた。

 治療室には、小さなベッドがひとつと、立派な医療器具が置いてあるだけだった。それほど広い部屋ではない。十人も入ると息苦しくなってしまうだろう。大量に怪我人が出た場合には、隣の大治療室に怪我人が運ばれる。この屋敷に、部屋は有り余るほど存在しているのだ。


「はいこれ、あげる」

 アクルは扉のすぐ横にあった机の上に、リンゴをふたつ置いた。黒い机の上に置かれた赤いリンゴは、赤い薔薇と同じくどこか綺麗で、不気味だ。


「あぁ、ありがとう。腹減ってたんだ」

 ルークはそういいながら、それには手をつけず、ベッドに目を向けた。


 アクルは、自分のリンゴも黒い机の上に置くと、少年をじっとみつめた。少年はベッドに横になっていた。包帯で頭をぐるぐる巻きにされ、白いシーツをかぶせられている。シーツから出されている両手にも、包帯がたくさん巻かれていた。


「あ」


 アクルは、少年からその横にいる人物に目を移した。少年を挟んだ向こう側に、少女と女性の中間……つまりは齢十八、九の女性が座り、何やらカルテに書きこんでいた。その女性はちらりと横目でアクルを見た。ルークと同じような丸眼鏡に、鋭い眼光。銀色の髪の毛は、首の横で綺麗にまっすぐそろえてある。服装はナースの姿だ。


「よう、アズム、久しぶりだなぁ! 帰ってきてたのか!」

「こんにちはアクルさん今朝帰ってきました。部屋にずっといたのですが気が付かなかったみたいですね少し残念です。それより声が大きいですこの子が起きたらどうするんですか」


 アズム、と呼ばれた女性は、苛立ちを顕わにしながら、早口で返事をした。


「ごめんなさい……」

 小さな声で、謝るアクルだった。どちらが年上か、分からない。


「静かにしてくれさえすればいいんですよ。それと先ほどボスから連絡がありリンゴはアクルのを貰ってとのことでしたが私はおなかがすいていないのでどうぞ食べてくださいね」

「……いただきます」

「どうぞ」


 アズムは右頬に貼ってある絆創膏をひっかいた。アクルは彼女のその癖を、勝手にちょっと言い過ぎたかな、の反省マークだと思っている。……アクルうるせえな、とか、どっかいけよのマークかも、という可能性は捨てている。


「少年の容体はどうだ?」

 アクルはすやすやと眠る少年を覗き込み、ルークに聞いた。


「外傷のことは心配しなくていい。傷も致命傷はないから安心しろ」

「そうか良かった……」

「しかし、何があったんだ? こんなに傷を負って……」

「んー、俺もよく分かんないんだけど、なんか俺とボスが」


 アクルが説明を始めようとしたそのときだった。

「起きた」


 アズムが端的に言い放った。少年の目が、うっすらと開いている。それを見たアクルは、とっさに腰に差している銃を手にした。


「な、何だお前!」


 ルークが慌てて銃を押さえるが、アクルは真剣なまなざしでルークに訴えた。


「説明は後だ、いきなり暴れだすかもしれないから、準備しとけ」


 その冷静な声に、ルークとアズムは少し動揺しながらも、戦闘態勢を取った。ルークは白衣の中に右手を突っ込む。白衣の中には、大小様々な刃物が仕込まれていた。アズムは、傍にあったメスを、取りあえず手に取る。


「…………」

 少年はぼんやりと天井を見つめていた。少しだけ沈黙が続いた。

「……あ……」

 少年はむくりと起き上がると、頭を押さえた。

「いで……あでっ!」


 頭の痛みと同時に、腕や腹など、他の箇所の痛みが襲ったのだろう。歯を食いしばり、うぅとうなる。


「ああ……」

 少年は歯を食いしばりながら、じっと痛みに耐えていた。しばらくして痛みが引いたのか、ふっと視線を上げ、その先にいたアクルと目が合った。


「あ……さっきのお兄さん……」

「……よう」


 アクルはゆっくりと銃を握っていた手の力を緩めた。ルークも白衣の内側から右手を抜き出す。アズムも静かに、手にしたメスを傍の棚に戻した。


「気分はどうだ?」


 とルークが尋ねたが、その質問に答えず、少年はアクルの袖をぎゅっとつかんだ。


「なっ」

「さっきの!」

 少年は今にも泣きだしそうな顔をしていた。

「さっきの女性は大丈夫でしたか!」


 ぐいぐいと袖をひっぱりながら、少年は早口で聞いた。アクルは冷静に、頷く。あぁ、よかった、と少年は俯いた。よかった、本当によかったと呟いている。


「……気分は大丈夫か」

 もう一度、ルークが尋ねた。少年は顔を上げると、ルークに頭を下げた。


「すいません取り乱してしまって。少し頭が痛いです……というか……ここは……どこですか」

 少年は首をかしげた。だいぶ目が覚めてきたらしい。


「まぁ気にすんな、俺たちの家だよ」

 アクルは肩をすくめた。少年が何かを言おうとしたが、それより先にアクルが続ける。


「いろいろ聞きたいことがあるが、そりゃまたあとでだ。取りあえず調子が良くなるまで、このお医者さん方の言うことを聞いとけ」

 少年は開きかけた口を閉じ、頷いた。

「いい子だ」


 アクルは少年の頭を撫でようとしたが、アズムに止められた。

「頭が痛いんですってば」

「あっとそうだったな……失礼」


 ルークは、アクルのすねを蹴り、小声で聞いた。

「大丈夫なんだな?」 

「あぁ、まぁこれだけ怪我して痛いんだったら、暴れもしないだろう」

「アクル、後で詳しく教えろよ。俺もアズムもいまいち状況がはっきりしてないんだ」

「分かってる。多分ボスから説明があるよ。長い説明になるから」

「そうか……」

「で、頭痛はどうすれば治る?」

「取りあえず薬を飲ませる。あとは安静に寝かしておくさ」

「了解。んじゃ頼んだよ」


 任せろ、とルークはアクルの肩をぽんと叩いた。アズムも右手を挙げ、任せてという意思表示をする。


「少年……」

 何かを言いかけて、アクルはやめた。

「はい……なんですか?」

「あーっと、そうだ。その前に、名前は?」

「……ニールです」

「ニールか。よし。なんか良く分かんないだろうけど、とりあえずお前の安全は保障されてるから、とにかくゆっくり休め。医者の言うことを絶対に聞けよ」

「はい」

「ん。じゃぁな」


 アクルが部屋を出ようとドアを開けた時、ニールはベッドを乗り出して、

「あのっ!」

 とアクルを呼びとめた。


「ん?」

「あのっ! ありがとうございました、助けてくれて……それと、怪我はしていませんか?」

「大丈夫だよ」

 アクルはにやりと、ニールに向かって笑った。

「こう見えても俺、強いんだぜ」


 ニールは力の抜けたような笑顔を見せた。

「あ、それと……確かもう一人、誰かいらっしゃいましたよね。女性の……」

「あぁ、お前の腹の痛みの原因だ」

「あの人は大丈夫でしたか」

「あの方は俺より強いんでね、大丈夫大丈夫。あ、このリンゴ食っていいからね。んじゃ」

 ニールの顔に心配そうな表情が浮かんだ。

「早く休めよ」

 アクルは手を振ると、治療室を後にした。


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