4 目覚めたニール(1)
一人になったアクルは、その後ギルの部屋に向かっていた。いや、正確にはギルの部屋に向かったのではなく、治療室への通り道でギルの部屋の前を通るので、ギルの部屋の前で少し立ち止まったのだ。
ギル。ボスが、見かけたら俺の元へ連絡をするように伝えろ、と言った相手である。部屋にづかづかと侵入しようとも思ったが、そういえば寝ているかもしれないとの情報が入っていたので、そっと部屋の扉に耳をつけ、中の様子を探ろうと試みた。
数秒間、無音が続く。
「…………寝てる、かな? それとも中にいる?」
全神経を耳に集中させるが、物音一つしない。黒い扉は、やけに冷たく、耳がひんやりとする。
「わかんねぇよな……」
アクルは額を扉に押しつけ、ううんとうなった。ボスが呼べ、というのだから、寝ていない限りは呼んだ方がいいのだろう。でも、部屋に入って寝ているところを起こしてしまうのはかわいそうだ。
寝れるときは寝かしといてやりたい。しかしこいつは、黙々と何時間も読書をしたり、パソコンをいじったり、資料を読みあさったりしている、そういう男だ。無音と寝ているは、イコールでは結ばれない。
「はっ」
アクルはわざわざ声に出してはっとし、扉から額をはなす。
中に彼女がいたらどうしよう。
ギルには、恋人がいるのだ。相手はもちろんエストレージャのメンバーだし、アクルとも仲がいいためにしばしば忘れてしまうのだが……二人はカップルなのだ。
二人とも黙々と本を読んでいたり……しそうだ。しそうだけれど。でもなんか恋人同士のそういう空間を邪魔しちゃいけないだろ! それは空気読もうよアクル! ってなるだろ! 扉を開けた瞬間、二人に残念な顔で「あー……アクルじゃん」とか言われた日にはたまったもんじゃない!
どうしようどうしよう。
アクルは混乱していた。ボスの呼びだしはきっと重要な頼みごとだろうし、早めに伝えた方が絶対にいいとは思うけれど……侵入するのは、少しリスキーだ。
「あっ」
ふわりと、アクルの頭に素晴らしい解決策が下りてきた。
「閃いた!」
「よかったじゃないか」
「うぉっ」
突然後ろから声をかけられ、アクルは驚きのあまり飛びあがった。軽く扉に肩をぶつける。
「痛い」
「何やってるんだこんなところで」
アクルの背後にいたのは、アクルより背の高い、細身の男性だった。切れ長の細目が、アクルを見下ろしている。紫色の長髪を、後ろで結んでいないということは……。
「ギル、風呂、行ってたのか」
「おう。お前は何してたんだ」
ギルは眉を吊り上げ、アクルに問う。
「お前が部屋にいるのか聞き耳立ててた」
「ノックすればいいじゃないか」
「寝てるかもと思って……」
「なんだ、やけに優しいなお前……この前寝かけてる一番幸せなタイミングで、部屋に入ってきたのはどこのどいつだ」
「そんなことあったっけ……」
「あった」
「すいませんでした……」
「許さん」
「ひどい!」
アクルの絶叫が、細い廊下に響き渡る。アクルの目の前には、ふふ、と満足そうな笑みを浮かべるギルがいた。
「……まぁとにかく、何だ? 用事か?」
くぁ……とギルはひとつあくびをする。
「ボスが呼んでた」
「おお、どうして」
ギルは紫色の長い髪を、手首につけていたゴムでひとつに結んだ。少しだけ、表情が引き締まる。
「わからん。お前クビじゃね」
「うそだー、無理無理おれエストレージャじゃないと暮らせないー」
「そうだね、ここにいないとまた廃人になるよね」
「お前に言われたくないね」
ふん、とギルは鼻で笑った。しかし、アクルの反応の悪さに、仏頂面に戻ってしまう。
「どうしたんだ?」
アクルは視線を下に落とすと、
「多分、今日の朝ちょっと事件があって……そのことについてだと思う」
と言った。
「事件?」
ギルは無表情のまま、少しだけ首をかしげる。
「うん」
「巻き込まれたのか。大丈夫だったのか?」
「うん、平気。ま、とりあえずボスのところ、行っといて。俺も詳しくは分かんないや」
「……わかった。ま、怪我がなかったのが何よりだ。ボスは今どこに?」
「大食堂だ。いなかったら自室に戻られているそうだ。じゃ、伝えたからな」
「あいよ、お疲れ」
アクルは手を軽く挙げると、急ぎ足で治療室へと向かった。後ろで扉の閉まる音がした。ギルは急いで身だしなみを整え、ボスの元へ向かうだろう。ボスがギルに何を伝えるのか気になるが……まぁとりあえず、自分は自分の任務をこなすだけだ。
そう自分に言い聞かせ、アクルは黒い廊下を歩いた。