16 エピローグ(1)
ニールが正式にエストレージャのメンバーになってから、二週間が経過した。あいかわらずニールの朝の発作は治らないが、少しずつ、病気の解明が進んでいた。
ニールの部屋で、ニールとボス、アクルが、アズムとルークの提示した資料を覗き込んでいる。その資料は、百枚以上に及ぶ膨大な資料だった。ボスはその中から、最新の資料に目を通している。その日の朝のニールの反応と考察について記してあるものだ。他のものには、毎日目を通していた。ボスだけでなく、エストレージャのメンバーのほとんどが、それに目を通している。屋敷からよくいなくなるヤツキやギャンも、時間があれば資料をまとめて読んでいた。
その日、ルークはボスを呼びだした。理由は、ニールの発作について伝えたいことがあったからだった。ボスは、アクルを連れて、早足でニールの部屋に駆けつけた。
「どうやらニールの発作は、発動する条件があるらしい」
ルークが資料を指差した。
「ここに書いてあるのが、俺とアズムで出した発動の条件です」
一番下に、大きな文字で記されていたことこそ、ルークとアズムが出したニールの発作の発動条件の結論だった。箇条書きで、そこにはこう書いてあった。
・起床後誰かと目が合うこと。自分自身でも可。
・目が合う相手の条件は男性、またはスーツを着用していること。
ボスはそれを声に出して読みあげ、うむ、と頷いた。ニールとアクルは、それを静かに聞いていた。ニールの表情は変わらなかった。ニールは、他の人の反応を待っていた。すぐに、ボスが口を開いた。
「男性、と、スーツ? 目が合うっていうのは何となく気が付いていたが、そんな条件も?」
ニールも、ボスと同じ疑問を持っていた。そのとおりだ、とニールは心の中で頷いた。
「きっと過去のトラウマが、この発作を引き起こしているものだと考えられます。ニールは朝起きたら、母親がスーツの男性に襲われていた、といった過去を持ちます。このことがトラウマとなり、目覚めてから男性、またはスーツを着用している人と目が合うと、とっさに防御反応を示してしまうのだ、と私たちは考えています」
ルークは、すらすらと返答した。ふむ、とボスは手で顎を撫でる。
「なるほど……ね。防御反応か」
「そうです。ニール、君の反応は破壊衝動ではなくて防御反応なんだよ。心の奥深くに、脳みその奥底に、今でも母親を守らなきゃ、自分も守らなきゃって意識が残ってるんだ。何かを壊したいとか、そういうことじゃないんだよ」
「…………」
ニールは、無言で自分の掌を見つめた。そこには、傷跡がいくつも残っていた。この屋敷にきてから、怪我は負っていないものの、過去に作った傷は全く癒えていない。でも、この傷が「傷つけるための傷」ではなく「何かを守ろうとするための傷」だとしたら……?
不意に、ニールの心臓あたりがふっと軽くなる気がした。掌の上に、涙が一粒落ちた。ニールの肩を、ぐいとボスは引き寄せた。
「なんだ、よかったじゃねぇか。お前の、人を守りたいっていう優しい心が、朝の発作に繋がってる。自分を守りたいっていう本能が、朝の発作に繋がってるんじゃねぇか。何かを壊したいっていうような、欲望やストレスじゃないんだよ」
「……よかった……」
ニールは消え入りそうな声でそう言った。泣いてしまうかな、とアズムはちらりとニールに目をやったが、ニールは泣いていなかった。安心したように、微笑んでいただけだった。一粒だけ落ちた涙には、ボス以外は気が付かなかった。
「治りそうなのか?」
ボスはニールの肩を抱いたまま言った。
「そうですね……これからまだ調べてみないと分かりませんが、治る可能性はありますよ」
「本当ですか!」
ニールの表情が輝いた。アズムが頬の絆創膏を引っ掻きながら、笑った。
「医者は嘘をつけないのよ」
「嬉しい……ありがとうございます!」
ニールはわっ、とアズムに飛びついた。アズムは驚いて、くちをぱくぱくさせる。ニールは力いっぱいアズムを抱きしめた後、ルークにも抱きついた。
「おいおい」
ルークは驚きの表情を浮かべながらも、しっかりとニールを抱きしめ返す。
「ありがとうございます……夢みたい!」
ニールはルークをこれでもかと言うぐらい抱きしめた後、満面の笑みでボスの隣に戻った。アズムが困ったように頬を押さえた。ルークは微笑していた。
「おいニール、俺には抱きついてくれないのかよ?」
というボスの言葉に、ニールは一瞬目を丸くしたが、その後意地悪な笑みを浮かべた。
「いいんですか?」
「いつでも来いよ」
ボスは両手を広げた。ニールはジャンプし、ボスに抱きついた。ボスはそれを軽々と受け止める。
「可愛い奴め!」
ご機嫌なボスの耳元で、ニールは本当に小さな声で呟いた。
「ボス、アクルさんに抱きついてもいいですか?」
「なっ」
ボスはニールをひきはがした。ニールはにやにやと笑っていた。ボスの頬が赤く染まる。
「こんのやろう! 日に日に双子に似てきやがって!」
ボスは目いっぱいニールの頭を撫でた。きゃーとニールが叫んだ。そしてボスの攻撃から逃れ、最後にアクルの腰に飛びついた。
「嬉しそうだなニール」
アクルは、ぼさぼさになったニールの頭をときながら言った。
「嬉しいですよ、治らないものだとばかり思っていましたから」
ニールは白い歯をのぞかせてえへへと笑った。