自己紹介(2)
その声に、ニールは目を丸くさせた。
女性なのは驚かないが、女性と言うよりは、女の子……?
カチ、と言う音の後、暗い部屋に明かりがともった。ニールは、声の主をその目で捕え、硬直してしまった。
「あなたが新入りさんね。座って」
声の主、いや、エストレージャの主は、きっとまた十七かそこらであろう、少女だった。
黒く長いストレートの髪は胸のあたりまで伸び、その髪と同じ色をした目は、まっすぐニールを捕えている。服装は白い簡素なワンピースだった。足には黒いパンプスを着用している。
その少女はニールから目をそらすと、部屋に入ってすぐ左に置いてあるソファの上に腰かけた。そして、目の前にあるソファを手で示し、首を傾げて言った。
「どうぞ」
ボスは軽く頭を下げると、さぁ、とニールの肩を抱いた。アクルも礼をすると、ポンとニールの背中を叩いた。ニールは二人に倣い、慌てて頭を下げた。そんなニールを見て、少女は表情一つ変えずに、首を傾げただけだった。
ソファには、ボスとニールだけ座った。アクルは扉の前に立ったまま待機していた。
「はじめまして。私がエストレージャの……なんて言えばいいのかしら。いつも困るの」
黒髪の少女は髪を耳にかけると、ううんとうなった。
「エストレージャのボスは、レイカ、あなたなんでしょう?」
「えぇ」
レイカ、と呼ばれたボスは、苦笑交じりに返事をする。皆がボスボス言うものだから、ニールはボスの名前を危うく忘れるところだった。そうだ、ボスはレイカって言うんだよな、などと頭の隅で悠長に考えながら、それでもどこか緊張して、ニールはソファに座っていた。
黒髪の少女は続けた。
「大ボスっていうとなんか大叔母様みたいな遠い感じがするし、ラスボスだとゲームでしょう? 裏ボスでもゲームだし……総支配人だとホテルみたいよね。まぁいいわ、とりあえず、エストレージャの裏ボス、が一番しっくりくるかもしれないわ」
少女は一息でそう言うと、首をかしげた。
「名前はサキ。名字はヒトツボシよ。ヒトツボシ、サキ。好きなように呼んでいいわよ。あなたの名前は?」
ニールは最初、言葉が口から出てこなかった。ほら、と優しくボスが言うまで、口を開けたまま硬直していた。
「え、と、ニールです」
「ニール。素敵な名前ね。ではニール。さっそく本題に入りましょう。
私に会いに来たってことは、レイカがあなたを正式にエストレージャのメンバーとして認めたことになるわ。なんだかいろいろあったみたいだけれど、とりあえず何もなかったようでよかった。よろしくね、歓迎するわ」
サキは立ち上がると、そっと前かがみになり、ニールの前に手を差し伸べた。ニールは慌てて、その手を握り返した。
サキはまた、首を少しかしげるだけだった。表情ひとつかわらない。ニールはそれを不思議に思った。
彼女は終始、無表情だった。
「いろいろエストレージャについて知らなきゃいけないこともあるだろうけど、サキに会ったって言えば、みんな大歓迎よ。今までも大歓迎だっただろうけど、さらにね。いろいろ率先して教えてくれるはずだから、分からないことは聞きなさいね」
「はい」
「いい返事ね。じゃぁ私がなにか、ってことを説明するわね。まずそれが第一だと思うから」
「はい」
ニールは生唾をごくりとのんだ。妙に空気が緊張していた。
「あなたの隣にいるレイカが、エストレージャのメンバーを集めて、その頂点に立ってくれてるわよね? そういう行動、活動、指導なんかはすべてレイカに任せてるの。
その代わりに、私は資金面を請け負ってる。エストレージャの中には、仕事をして設けている人もいるけど、中にはそうでない人もいる。それに、自分でもうけたお金は自分で使ってほしいしね。電気代やガス代や、食費代、旅行費なんかを全て私が請け負っているの。まぁようするに、お金は私に任せてねってこと。ここまでは、オーケー?」
「……はい」
それには一体どのぐらいの費用がかかるのか?
ニールは一生懸命考えたが、予想できなかった。こんな広い屋敷だ。電気代、ガス代は馬鹿にならないだろう。気にもしなかったが、思い返してみれば、食費代や水道代もばかにならないはずだ。そのぐらい、ニールにも分かる。母親が少ないお金でやりくりしていたのを間近で見てきたから、余計に分かる。
この屋敷の住人の中で、思い返してみれば、資金関係の悩みを持っている人は一人もいなかった。後でいろいろ双子に聞こうと、ニールは思った。
「これからニールも、お金の心配はしなくていいわ。例えば学校に行きたいと思ったら、好きな学校に行くといい。研究がしたいと思えば、費用は出してあげる。無駄遣いは許さないけれど、援助はいろいろしてあげられる。とりあえずは、買いたいものやほしいものがあったら、レイカに言ってちょうだいね。
ニールは知ってるか分からないけれど……私ね、ある会社の社長なの。サークルスターっていう会社。まぁ何をしているかって言われるといろいろしてるんだけど、インターネット内のサービス会社の一つだと思ってくれればいいわ。そこでお金を儲けているの。
分かってもらいたかったことの一つ。私は資金面を担当する、エストレージャのトップなの。わかったかしら?」
「はい」
「よかったわ」
口でそう言ったものの、彼女は眉一つ動かさない。本当にそう思っているのだろうか、と疑うほどだ。
「ではニール。エストレージャに入ったからには、何か特別な能力と、それと多分、大きな悩みを持っているわね?」
「……えっ」
「驚いたかしら。エストレージャって言うのはね、身寄りのない集団、ってだけではないの。確かにひとりぼっちの集団だけど、世の中にひとりぼっちはたくさんいるのよ。ニールが思っている以上にね。でもみんな、社会の中に溶け込んでいる。うまくなじんでいる。もうそれはひとりぼっちとは言わないかもしれないわね。帰ったら一人暮らしってだけかもしれない。血の繋がっている人がいないだけって解釈もあるわ。
でもね、エストレージャにいる人は、あなたを含めて、特殊な能力があるから阻害されてしまうの。社会からね。
特別すぎて、浮いちゃうの」
サキはそこで一息置くと、ニールの反応を見た。ニールはまっすぐと先を見つめていたが、その瞳には少しだけ不安が見えた。
それでもサキは続けた。
「特殊な能力があり過ぎて、その能力がずば抜けすぎていて、気持ち悪がられたり妬まれたり、疎まれたり阻害されたり、邪魔者扱いされたり怖がられたり、崇拝されたりしちゃうのよ。社会にうまいこと溶けこんだ、いわゆる普通の生活ができないの。
あなたがかわいそうとか、そういうことじゃないわ。
レイカがここに連れてきたってことはね、こういうことなの。
あなたも住む場所を、帰る場所を探していた、ちがう?」
「……その、通りです」
先天的な、物が武器に見えてしまう、能力。
後天的な、寝起きに起こる発作的な、破壊衝動。
このふたつが邪魔をして、ニールはなじめる場所がなかった。
家族でさえも、なじめなかったのだ。
「どういう能力があるか、聞かせてくれる?」
「……物がすべて武器に見えてしまうのと、朝目覚めたら何もかもを壊してしまう、の、です」
「ありがとう」
サキの目が、その瞬間、ほんの少しだけ優しく光った気がした。
「前者が特殊すぎた能力で、それが同時にあなたの大きな悩みでもある。加えて何もかも壊してしまうことも、悩みなのね。
あなたが正直に話してくれたから、私も正直に話すわね。
私の特殊すぎた能力は、今の仕事に生かしているの。パソコンが好きだったのね。パソコンを使っていかに儲けることかを考えるのが、人一倍優れているみたい。ちょっと手を出したら、この屋敷に住まう人みんなを養えるだけのお金を手に入れることができるようになったの。
でもそのせいで、親に裏切られたわ。
数年前だけど、私の稼いだお金のほとんどを持って、消えちゃったの」
彼女は唐突に、自分の身の上話をし始めた。
そんな辛いことを、こんな簡単に話してしまって大丈夫なのか? ニールは話を聞きながらも、そんなことを考えていた。
この人は、辛くないのか?
自分の過去を話すのが辛いと、ニールは分かっていた。それこそ、涙を流してしまうほどに。それなのに、この人は、表情一つ、変わらない。
どうして?
ニールの中に溢れる疑問を、次の彼女の一言が解決した。
「その時にね、この病気にかかっちゃったの。表情が消えちゃったのよ。これが私の悩みなの」
ニールに、電撃を受けたような衝撃が走った。
「……それは……」
「おそらくショックで消えちゃったのね。私は表情を変えているつもりなのだけど、例えば微笑んでいるつもりでも、きっとあなたには首をかしげているようにしか見えなかったはずなの」
ニールは思い出していた。
何度も彼女は、首をかしげるようなしぐさをしていたことを。
確かに表情が微笑んでいたなら、それは首をかしげながらかわいらしく微笑んでいた少女の仕草だったのだろう。顔に表情が現れないために、何を悩んでいるのだろうと、勘違いしていた。
「私の願いはね、特別な能力を持って、大きな悩みも同時に抱えていて、それなのにどこにも受け入れてくれる場所がない。そんな人たちにここに住んでもらうことなの。一緒に食事をして、一緒にお話をして。楽しい生活をしていたら、親から捨てられたショックも消えて、表情が戻るんじゃないかって思ってるの。
あぁ、ちなみにレイカは、昔からのボディーガードさんなのよ。
親に捨てられて、みんな解雇したけれど、彼女とラインだけはこの屋敷に残ってくれたの。
そんなわけで、今日からここで、楽しく暮らしてね、ニール」
身の上話は唐突に終わりをつげ、あっさりと終止符を打たれた気がして、ニールは戸惑いを隠せなかった。
「はい……あの」
「ん?」
彼女は首をかしげた。きっとほほ笑んでくれたのだろうと、ニールは思った。