15 自己紹介(1)
エストレージャの屋敷は、壁やドアこそ黒い色だが、もちろん明りはともっているし、なにより住んでいる人たちが明るい人達ばかりなので、暗い、怖い屋敷というイメージを持つのは難しい。外に出て、こんなに日差しはまぶしかったかと驚くほど、その屋敷の中は明るい。
しかし、二階は違った。
エストレージャの屋敷の二階は、真っ暗だった。
もちろん壁と言う壁は黒く塗りつぶされ、扉もノブまで真黒だ。天井にぶら下がっている古い電球は、ほとんど役目を果たさず埃をかぶっている。窓もあるにはあるが、滅多なことがないかぎり開けられない。
そう、先ほどアクルとニールが上からのぞいていた窓は、それこそ半年ぶりぐらいに開かれた窓だったのだ。
エストレージャの人たちが二階に来ることもまた、珍しい。
よほど大切な用か、あるいは緊急事態でない限り、たいていは電話や伝書鳩の手紙で、連絡を取ってしまうからだ。
食事を運ぶためにファインだけは毎日二階に行っていたが、それでも二階にあるたった一つの部屋に入ることはない。階段を上り、扉の前に食事を置いて、そのまま下に降りてしまうのだ。
理由は、その部屋の主、いや、屋敷そのものの主が、二階に来ないでほしいと願っているからだ。二階にあるたった一つの部屋に常にいる人物は、ただひとり。
その人こそが、エストレージャの主だった。
レイカがボスなら、その人は主。
その主は、決して人に会うのが嫌だとかそう言う理由で部屋にこもっているのではなく、汚い部屋を見られたくはないという理由からだった。
その人はそれなりに忙しい日々を過ごしていたが、時間ができたら、できるだけ自ら一階に降りて、食事を共にしたり、話をしたりするようにしている。忙しくないときは毎日、忙しい時は二週間ほど部屋にこもりっきりの時もある。
そんなその屋敷の主は、広い広いその部屋で、今日も一人で作業を続けている。汚い部屋、と表現するその真っ暗な部屋に入って、右側。広い壁を埋め尽くすかのように、液晶ディスプレイが所狭しと並べられている。サイズも大小様々だ。
あるものはニュースを映し、あるものはグラフを映し出している。あるものは真っ暗で何も表示しておらず、あるものは計算式を延々と映している。
このごちゃごちゃした状態に加え、床は配線の嵐だ。
これが汚いと思われると思う。そういう理由で、この屋椎野主は今日も一人、画面の前で作業を続ける。ゆうに十は超えるキーボードを、ピアノでも弾くように叩きながら、彼女は今日も、仕事を続けていた。
横でなにやらドンパチしていた時は、さすがに集中した方がいいだろうと、全ての画面を暗くして、明かりも全て隠しておいた。そしてアクルと少年を、入ってきてから出て行くまでずっと見ていた。途中にヤツキも入ってきたが、アクルに声をかけるまで、その存在に気が付かなかったのには驚いた。いくらアクルと少年を凝視していたからとはいえ、部屋にこっそり入ってこられてしまうとは……さすがに暗闇の中で苦笑いしてしまった。
アクルと一緒にいた少年が、あの事件の数時間後、今度はレイカとアクルと共に部屋に入ってきた。
「失礼します」
ノックの音の後、レイカの声がした。主はタイピングする手を休めることなく、許可を出した。許可と言っても、無言の許可であったから、何の反応もしなかったのだが。
しばらくして背中の後ろから、ドアの開く音がした。きっとレイカは今日も高いピンヒールを履いているのだろうな、と主は思った。しかし、床は全てカーペットだったために、音がすることはなかった。
「サキ様、少々時間をいただくことはできますか?」
ニールは、ボスとアクルに挟まれる形で部屋に入った。先ほども入った部屋だが、先ほどより明るい。カタカタと何かを打つ音と、電子音が部屋の右側から聞こえる。ニールの肩には、アクルの両手が置かれていた。その手は安心しろ、と言っている風にも思えたし、まだ動くな、と言っている風にも思えた。ニールはじっと、その場所を動かなかった。
エストレージャのボスが、敬語を使う相手なんて、ニールには想像できなかった。どんな人物なのだろう、とニールの頭の中で想像がはじけていた。
しかし、「サキ様」と呼ばれた人物は、ニールの想像をはるかに裏切る相手だった。
タン、と勢いよくキーボードが押された音がした。その後、タイピングの音が止む。
「今、終わったわ。ちょっと待って」