13 ボス対ボス(1)
「どけよ」
ウラウは、一言そう言った。それで目の前にいる女がどいてくれたら、万事解決だ。屋敷を背にし、一目散に逃げればいい。元々、ウラウに女性と戦う趣味はなかった。……というのは、言い訳になることもまた、分かっていた。
「どかねぇよ」
門の前で、足を大きく広げ、腕を組んで堂々と立っている女性は、そう言い放った。口元にうっすらと浮かんでいる笑みが自信に充ち溢れていて、ウラウは腹が立った。
しかし怒りよりも、混乱が勝っていた。ウラウは以前、目の前にいる女性を見たことがあった。ほんの数日前のことだ。彼女は、万引きをした青年を力づくで捕まえた。人込みの中、目立つ格好で発砲した、その青年に、エストレージャの名刺――包帯の男は確か、それを招待状と言っていた――を渡していた、張本人だ。
勝てるかどうか、分からない。腕っ節には自信があったが、それでも、自分の目の前にいる、白いスーツを身にまとった女性は無気味だった。
勝てる勝てない以前に、相手にしたくない。関わりたくない。そんな気がした。
「お前がどうして逃げたのかなって考えたんだ。俺たちの情報、売る気かな?」
女性は、ウラウの心を見透かしたように言った。サングラスの向こう側にある目は見えないが、きっと笑っているに違いないとウラウは思った。
関わりたくない。自分の中の野性的な部分が、彼女に関わってはいけないと言っている。
「図星かな? どうだよ」
「…………」
「返事がないのは、図星だからだろ? リッツのボスさんよ」
そのとおりだと言う勇気もなかった。ウラウは、今回ニールを取り返すという目的でエストレージャのすみかに忍び込んだが、別にニールを取り返せなくてもよかった。
上に怒られようと、エストレージャの情報を売ればそれなりの金になる、信頼にもなる、そういう確信があった。エストレージャの情報を売ってやろうと言えば、食いつくやつはたくさんいるだろう。実際、エストレージャの情報をほしがっている輩を、ウラウは数人知っていた。きっとそいつらに、屋敷の見取り図を見せれば、大金を積み上げてでもそれを奪い合うことになるだろう。それほどまでに、エストレージャは謎の集団なのだ。
たとえ地図が偽物でも、エストレージャのメンバーの指紋が手に入る。あの包帯男は、確かにこの地図を素手で触っていた。それだけでも上々だろうと考えていた。自分の担当するリッツが滅びてしまっても、それに値する価値がある情報だった。
今、この屋敷を出て、エストレージャから逃げ切れば、ウラウの未来は明るかった。
「気味が悪いな」
ウラウはそう言って、構えのポーズを取った。手の指をぴんと伸ばし、体の目の前に両手を持ってくる。体を少し斜めに構え、左手を前に出す。
「俺がかよ? 失礼だな。そうだ、俺はレイカ。自己紹介忘れてたぜ。お前の名前は、良ければ教えてくれよ」
レイカの勝手な自己紹介に、ウラウは心中で毒づいた。
なんだこいつ、余裕か? 馬鹿なわけじゃないだろ? やはり……気味が悪い。
「話を戻そう。どうして気味が悪い?」
ウラウが戦闘態勢になってもなお、レイカは腕をほどこうともしなかった。気味が悪いと言われたのがよほど気に入らないらしく、しつこくそれを問い詰める。
「なめてやがるのか?」
ウラウの言葉に、レイカがちっと舌打ちをする。
「俺の質問は無視かよ。ったくよー、人の話を聞かない奴は嫌いだぜ」
「……通せ」
「やだね。なんで侵入者をみすみす通さなきゃいけないんだよ。馬鹿かてめぇは」
「……力づくでいくぞ」
ウラウはその言葉で、自分の気を引き締めた。やるしかない。勝つしかない。
ウラウは足に力を込め、一気に前に突撃した。拳を作り、体をひねる。狙うは腹部、みぞおちだった。
「物騒だ」
レイカは腕を組んだまま、寸でのところでウラウの右パンチを避けた。ウラウが態勢を立て直す前に、足をあげ、ウラウの頭を蹴り飛ばした。ウラウは左腕でその蹴りを受け止める。力を完璧に殺すことはできず、体は後ろに跳ね返された。
ウラウから、門が遠くなる。
「おうおう、いい反応してやがる」
レイカは足を二三度曲げると、また元のポーズに戻った。偉そうに、門の前に立つ。
「お前、そのピンヒール自体が武器かよ。痛いじゃねぇか」
ウラウは左手の傷を見て苦笑した。ピンヒールで蹴られた場所に、穴があいている。大して深い傷ではなかったが、そこから血が滴り落ちていた。
「ピンヒールは趣味だ。別にこれを武器にした覚えはない。というか、お前にその傷を負わせちまったってことは……」
レイカはウラウから目を離し、自分の足元に目をやる。
その瞬間、ウラウは同じようにレイカに突っ込んでいった。今度はレイカの前で飛び上がり、両手を組み、上に挙げ、レイカの目の前で一気にそれを振りおろした。その攻撃は、レイカの脳天を狙っていた。
「あぁ、やっぱり」
レイカはその攻撃を見もせず、両手で受け止める。
「なっ」
ウラウの組んだ手を、レイカの両手は優しく包み込み、一気に逆方向へつき返した。バスケットボールのチェストパスをする時のような、軽さで。
ウラウの体は、宙を浮いた。
「この野郎め」
レイカは低い声で言うと、ウラウの巨体が落下してくる点まで移動した。ウラウが地面に落ちる前に、鋭い蹴りをくりだす。
「くっ」
ウラウは両手をクロスさせ、その攻撃を防いだ。
「防御の反応は、早いこと」
レイカはふんと鼻で笑うと、何事もなかったかのように歩いて門の前に戻り、またも同じポーズを取った。ただし、口元に笑みは浮かべていなかった。口はへの字に曲がり、不満そうだ。
「お前のせいで俺の大事な白いヒールが、赤くなっちまった。今の蹴りで血は取れただろうが、ちょっとばかし不愉快だ」
その独り言は、ウラウには届かなかった。届いていたとしても、ウラウは反応を返さなかっただろう。ウラウは立ち上がり、レイカを睨みつけた。その視線に反応し、レイカもサングラスの向こうから、視線を返す。
その時、ウラウが目を見開いた。意味不明な反応に、レイカは眉を吊り上げる。
「はっは! あっははははは! 馬鹿はお前だ!」
ウラウはひきつった笑みを浮かべると、腹を抱えて笑いはじめた。
「気が狂ったか?」
レイカはウラウの豹変ぶりに少し戸惑いながらも、その場を微動だにしなかった。
「勝利は俺の手に!」
ウラウは、レイカの後ろに見えたふたつの影を見ながら、体をのけぞらして笑った。