絶望の中(4)
ニールの部屋で、大勢の人たちが眠りについた少し前、ティラは絶望の中にいた。
「………………」
考えても考えても、思考がこんがらがって、答えなど出なくて、そんな自分には冷静に気が付いていて、そこに腹が立って、それでも良い方法など見つからなくて……いらいらしていた。
はらはらもしていたし、どきどきもしていたし、泣きそうでもあった。ぎりぎり泣かなかったのは、ティラの思考が停止していなかったからだろう。気を緩めてしまえば泣きそうな状況で、それでもティラは考えていた。
どうすればいい?
答えはまだ出なかった。
ティラは、絶望が具現化して、目の前に立ちはだかっているような錯覚を覚えた。人はそういったとき、どういう行動を取るべきなのだろうか、と悠長なことまで考え始めた自分の思考が、嫌になっていた。
ティラにとって、第一の絶望は、自分たちがたてた作戦の失敗に気がつかされた時だった。
彼らがたてた作戦は、エストレージャの屋敷に侵入後、若い集団に先陣を切らせ、ウラウを含め、強い中心メンバーは後からついて行くという戦法だった。
屋敷は玄関を中心に、左右に分かれていたため、若い集団は左右二手に分かれた。中心メンバーはウラウをのぞき、全員で十三人。二人ずつペアになって、屋敷中をくまなく探す予定だった。ボスとティラはニールの部屋がある方面へ向かおうとしていた。そちらにニールがいる可能性が高いと判断していたためだ。
別の方向にも行かせたのは、相手を混乱させるためだ。ある程度暴れたら、すぐにニールの部屋に行くよう指示を出していた。連絡がない、イコール、ニールがいない合図だという打ち合わせもしていた。いちいち連絡を取る時間が面倒だ。
もしニールの部屋の方面ではないところでニールを見つけたら、中心メンバーが知らせ、そこに合流するはずだった。その際に使うのは携帯電話。壊された時のために無線機も持っていたし、大きな音がなるブザーも持っていた。
玄関をまっすぐ行き、突き当たったところで、予定通りに先導集団はふた手に分かれた。
さぁ、中心メンバーも後をつけよう。
そうだ。少しだけ中心メンバーが先導集団から離れていたのが敗因だった。
そうか? 本当にそうか?
違う。敗因など、その前から存在している。ティラはそう感じた。エストレージャに接近なんて馬鹿げていた。向こうから近付き、まんまとのせられていたのだ。
誘い込まれていたのだ。
ラインという男が近寄ってきたことも。その男が写真を提供したのも。盗聴器で連絡を取ってきたことも。地図をくれたのも。気絶させられるのを知らずにのこのこ現れたことも。
全部全部全部全部、作戦だったのだ。エストレージャの作戦だったのだ。
そこまで用意周到な作戦を練るやつが、エストレージャにはいるのだ。ティラはそう、確信していた。
証拠に、先導集団と中心メンバーの、その中のほんの少しの隙間に、あの男は堂々と立っていたのだ。
長身の、甘いマスクを持った、褐色の肌の男。包帯を体全身に巻き、長い癖っ毛を後ろで束ねている。何もかもを見透かしたような美しい金色の目は、ティラを凝視していた。
「ティラ。また会えてうれしいよ」
ラインの姿に、先導集団は気が付かない。皆左右に分かれてしまった。中心メンバーは、先ほどウラウが気絶させた男が目の前にいるだということだけはわかり、戸惑いを隠せずにいた。
どうしてこいつがここにいる? 気絶させたはずなのに?
絶望だ。はめられたと誰もが悟った。
その後、ワンテンポ遅れて、皆ウラウの姿がないことに気が付いた。はっと振り向いた先には、ウラウの背中があった。
逃げた。
予想外の事実が、目の前に突きつけられていた。
第二の絶望は、今まで偉そうに指示を出してきた、いや、実際強かったし偉かったリッツのトップが、しっぽを巻いて逃げたことだった。
「君らのボスは、おれだけ助かろうという気持ちがあって逃げたんだ。君らを犠牲にしてね。それは間違いないよ。俺だけ生き残ろう。その判断は、組織としては大いに間違っているけれど、一人の人として、生きたいという欲望の中においては、最良の判断だったと言えるね」
ラインは、まるで子供に説明するように、優しく、ティラに語りかけていた。
「生きるためには逃げることも大切なんだ。じゃないと死んじゃうからね。生きるのをあきらめないあいつ、俺は好きだよ」
ティラの唇はわなわなとふるえていた。
騙されていた悔しさと、倒されるかもしれない恐怖と、それをつつみこむ絶望と……何もかもが合わさって、怖くて、震えて、泣きそうで、倒れそうだった。
それでもティラは目の前の現状を受け入れていた。少しだけ、めまいがしていた。
ウラウが逃げたことに皆が気が付き、茫然と、ただひたすらにウラウの背中を見つめていた。ティラ達は、予想外の出来事が立て続けに起こったために、混乱してしまっていた。その結果、目の前の敵から長時間視線を外すという愚行に出てしまった。
経験不足ってこういうことを言うんだろう。ティラは後に、冷静に自分たちを分析した。いくら背伸びしたってだめなのだ。長い時間を生きている彼らは、それだけ経験がある。当たり前のことなのだ。だが、それを受け入れるのは本当に難しいし、認めたくないことでもあった。
ぎゃっ、と一番ラインに近かったメンバーが声をあげた。首の後ろに、正確で無駄のない、手刀が繰り出されたのだ。ティラが息を飲んで、あっと言う、その間に、ティラの周りにいた人は、皆気絶させられてしまった。
仲間たちが目の前で倒された。しかも、一瞬にして、だ。これが、第三の絶望だった。
「ねぇティラ」
ラインはティラから距離を置くと、その状態で、ティラにに語りかけた。
リッツのトップの生きざまを、淡々と語り始めた。
「俺はあきらめないあいつは好きだけど、仲間を見捨てるボスなんて好きじゃない」
「……絶望だ」
ティラはそう言った。だろうね、とラインは苦笑した。
「俺も迷ってる。君をどうしようか」
「どうぞ、好きに。戦闘の意思はない」
本当は、どうやってウラウの護衛であるあの二人を倒したのか、どうやって先導集団と中心メンバーの間に割って入れたのかなど、聞きたいことは山ほどあったが……それでも、もういいと思ってしまった。
どうでもいいや。
夢も潰えた。
しっぽを巻いて逃げる、あんな野郎について行くのはごめんだと思ってしまった。地位も興味がない。名誉も、金も、しょせんは遠い夢でしかなかった。
「死んじゃうのかなぁ、とか考えている」
ティラの言葉に、ううんとラインは首を振る。
「エストレージャのボスがね、君たちをお説教したいそうだよ。若いのに何やってるんだーって」
「エストレージャのボスにお会いできるとは、光栄だね。叱ってもらえるなら、万々歳だ」
ティラが力なく笑ったその時、屋敷中にベルの音が鳴り響いた。ティラは上を見上げ、首をかしげる。
「なんだ?」
「エストレージャの誰かが、君らの集団……ほら、さっき走って行った集団と遭遇して、ボタンを押したんだろう。警報ボタンってやつだね。この屋敷には、強い奴ばかりが住んでるわけじゃないから、気をつけてねって言う合図だよ」
「まっ先にお前が押すべきじゃないのか?」
「早く押しすぎたら、警戒されるだろうと思ってね。ちょっとたってから押す計画だったんだ」
「何もかも作戦か」
「うん」
ラインは即答した。しかも、一番分かりやすく簡潔な肯定だった。偶然だ、たまたまだ、運が良かっただけだ……そういう言葉を期待していたティラは、がっくりとうなだれた。分かってはいたが、こうまであっさりと肯定されると、希望も何も無くなってしまう。
「まんまと引っ掛かってくれてありがとうね」
ラインはにこりと笑った。こんな状況でも、その笑顔を素直にかっこいいと思わせてしまうラインの妖艶な魅力に、ティラは気味の悪さを覚えた。こいつは、何も考えなしに、こうやってにこにこと笑うことができるのだろうか。それとも、計算なのだろうか。どちらでも、同じことだったが。
「ははっ。自分の自信をべきっとおられてすがすがしい気分だ。ありがとうよ」
その言葉を最後に、ティラの思考はいきなり途切れた。何の前触れもなく、唐突に途切れた。驚く暇も与えられなかった。ティラの目の前は真っ暗になった。その瞬間、ティラはなぜか、穏やかな気分だった。
ティラの首が上を向き、体が前に倒れる。
「わっ」
ラインは慌てて駆け寄り、倒れてきたティラの体を、優しく受け止めた。
「敵とべらべらしゃべってないでくださいよ」
ティラが立っていた場所に代わりに立っていたのは、気配を完璧に断ち切ることのできる少女、ヤツキだった。困った顔で、腕を組み、ラインを見下ろしている。黒く染まる衣装は、屋敷に綺麗に溶けこんでいた。
「ヤツキ……天井から音もなく表れて、びっくりしたよ。相変わらず気配を消すのがうまい」
「ラインさんだって天井から現れたでしょう。それより……もう。どうせラインさんは、ちょっと関わった女性に情がわいちゃって、倒せないんじゃないかな、とか思って見てたんですよ。案の定ってこの時のためにあるんですね」
「悪いね」
「悪いですよ」
廊下の奥から甲高い悲鳴が聞こえた。その後、走る音がして、ミクロとマクロがラインとヤツキの横を通り過ぎて行った。そのすぐ後を、大量の少年少女が追いかけていた。皆集中し過ぎて、こちらの状況に見向きもしない。
「訓練されていない集団だ」
「まったくです。集団と言うよりは、寄せ集めですね」
「そうだな」
ヤツキは首をぐるりと回した。首の骨がベキバキと音を立てる。
「あいたたた……さぁてと、まぁあいつらはアニータさんとかミクマクちゃん、ギルさんに任せちゃって大丈夫だと思いますけど。まぁ一応他の人も気になりますし、見張ってますね」
「うん。俺も万が一のために屋敷中を見回っておくよ」
「お願いしますね、お願いしますよ」
ラインとヤツキは、同時にウラウのかけて行った方を見つめた。
「あの図体だけいい男は……任せちゃっていいんですよね」
「うん」
ラインが小さくうなずいた。
「ボスはボスに、お任せしちゃうのがいいでしょ」