絶望の中(3)
「きゃー!」
「きゃー!」
「わー!」
警報ベルの音を聞いて、慌てて部屋の外に飛び出したギルは、偶然目の前の廊下を走っていた双子にぶつかった。
「うわっごめん、ミクマク」
ギルの謝罪を遮り、ミクロが叫んだ。
「逃げますよ!」
ギルの手を、双子は勢いよく引っ張った。
「えっ。えっ?」
双子は走りながら、もーと同時に頬を膨らませた。
「ギルさん」
マクロはぎろり、とギルをにらんだ。ギルは走りながら、苦笑した。後ろから聞こえる叫び声の大きさから、意外と敵が近くにいることを感じ取ったためだった。
「はい。今状況が読みこめました」
「全速力ですよ」
「全力疾走です」
「ざっと二十五人ぐらいいます」
「もしかしたら三十人かも」
「……まじで、ミクマクさん」
「えぇ」
「まじ、です」
「なんか最初は十人ぐらに追いかけられてたんですけど」
「どんどん仲間が合流してきましたね」
ギルは両手を双子に握られた状態のまま、そっと後ろを振り返った。
「わぁ……」
仲間が加わったぞ、追いかけろ、と、後ろから叫び声が聞こえた。少年少女たちが、手に物騒な物を持ち、それを振り回しながら追いかけてくる。それじゃ仲間に当たるのではないか、とギルが考えてしまうほど、彼らは興奮していた。ぎゃぁぎゃぁとよく分からない叫び声をあげている。
「ニールを助けに行こうと思ったんです!」
「ニールの部屋が遠くて、大変だったんです!」
「ずっと走ってるんです!」
「すんごく疲れたんですよ!」
ミクロとマクロは文句を言いながらも、前にある扉を見つめてにやりと笑った。
「もうすぐ着きますけど」
「いいですね、ギルさんの部屋はニールの部屋に近くって」
「というかそんなに逃げてたんなら、非常ベルもっとはやく鳴らせたろ……」
ギルの脇腹に、ゲンコツがふたつとびこんだ。
「いてぇ!」
「ちょっとてんぱっちゃったんですよ!」
「押せませんでしたよどうせ!」
「ギルさんのばかっ」
「ギルさんのばかぁ!」
こんにゃろー!!!!
双子は叫びながら、ニールの部屋の扉に手をかけ、勢いよくそれを開いた。
扉のすぐそばにいたのは、アズムとルークだった。二人は振り返り、双子の姿を確認すると大きく目を見開いた。
「驚いた」
ルークが思わず声を漏らした。肩を上下させながら、双子は医者たちの前に躍り出た。
「お疲れ様ですお医者様方!」
「お待たせしましたお医者様方!」
双子は勢いよく、太ももに隠していた銃を出した。
二人とも、両手に銃を構える。その先には、何十もの人がいた。しかしみな、怪我を負い、戦う気力が残っているものはほとんどいなかった。彼らが手に持っていたのであろう武器は、ほとんどが床に落ちている。壊れて使い物にならないものばかりだ。
「あれれ」
「もしかして……」
二人は人込みの中から、同時にピンク色の頭を捕えた。まだ微かに戦う気力の残っている者たちの攻撃をかき分けながら、双子の方へ駆けてきていたのだ。
「双子ちゃーん」
アニータの、おっとりとした声が響く。
「なんだ」
「もうアニータさんが来てましたか」
「用心棒は不用でしたか」
「なんだぁ」
双子は銃を構えながらも、落胆した表情を浮かべた。敵である少年少女たちはまだ、双子にどういう手を出していいか分からず、ただひたすら困惑の表情を浮かべている。
「ごめんね、なんだか随分珍しい武器を持ってるからさあ。ついついいろいろ試しちゃった」
アニータは遠くから、少し叫んだ。
「私たちの仕事が減りましたよー! ありがとうございますー!」
「到着が遅れてすみませんー!」
双子も、アニータに叫びかけた。そんな三人の様子を見ていた少年少女たちは、それまで三人の次の出方を伺うように、少しおびえた目であたりを見渡していた。しかしその表情が、次は驚きに変わった。扉の方を向き、ざわめく。
「あらら」
アニータは、双子に歩み寄るのをやめ、立ち止まり様子を見ることにした。もうだれも、立ち止まったアニータに攻撃を仕掛ける者はいなかった。
皆、扉の方を見つめていた。その扉から、叫び声とともに、どっと人が押し寄せてきたのだ。押し寄せてきた人々は、双子とギルを意気揚々と追いかけていた少年少女たちだった。しかし、今は皆、喚きながら逃げるように部屋へと入ってくる。顔には恐怖の色を浮かべていた。
「ばかやろう! この中に入ってきたら、このピンク頭の餌食だぞ!」
元から部屋にいた集団の中のひとりが叫んだ。その声のした方を、アニータは睨みつける。
「失礼だなぁ」
その視線に気が付いたのか、声をあげた少年は身をひそめ、震える足を押さえつけた。周りの物もみな、蛇に睨まれた蛙ように、大人しくしていた。
「知らねぇよ!」
逃げまどう中から、声がした。そちらも少年の声だった。先ほどの声より少しだけ高い。
「お前、この部屋しか逃げ道がないんだ。廊下の先には、わ、わああああっ!」
少年の叫び声がした。必死の主張は、喚き声にかき消された。
双子を追いかけていた少年少女、合わせて三十人以上が、部屋の中に入りきった。最後に入ってきたのは、双子と途中で合流したギルだった。手にしていた刀を、そっと鞘の中にしまう。
「ナイス、ギルさん!」
「とっさに敵全員の後ろに回り込んで、脅しながらこの部屋に入れてしまうとは、さすが!」
「……説明どうもありがとう。しかし、この武器を見ただけですくみあがるとは。ここら辺では珍しいもんなぁ……やっぱ重宝するわ、この刀」
ギルはそう言うと、大切な自分の武器をそっと撫でた。真黒な鞘が、きらりと光る。
「ちっくしょお! 意味わかんねぇやつらばっかりか、ここは!」
威勢のいい女性が、大声を張り上げ、手にした短刀を振りかざし、双子に襲いかかろうとした。双子は冷静に、無表情のまま発砲した。タタン、と少しずれた発砲音が響き、それを合図に部屋中が静まり返った。
ミクロの弾は女性の短剣の柄にあたり、短剣が宙を舞う。
それを予測したかのように、マクロの弾は短剣にあたり、短剣は軌道を変えて落ちて行った。その先には、ピンク頭のアニータがいた。まるでパスされたボールを取るように、アニータはその短剣を宙でキャッチすると、手の中でくるくるとまわした。
「ん、これ好きかも、でもさっき試した短剣と似てるや」
アニータは短剣を手の中で回し続けながら、残念そうにつぶやいた。
「何あれ……」
「怖い……」
ひそひそ声が、集団の中から聞こえた。双子は気にすることもなく、銃を構えたままだ。それをいいことに、ひそひそ声は広がっていく。
「どういうこと? 予想したの?」
「まさか、そんな気持ち悪いこと」
「でもそうなんじゃないの?」
「そうなの? なにそれ」
「エストレージャって変な人ばかりなんじゃない。あのピンクの人だって、次から次へ武器を変えて、遊ぶみたいに」
「ほんと、怖い」
「特殊な訓練でも受けてるんじゃないの?」
どう言われようと、双子は気にしなかった。気持ち悪い、怖い。そんなの言われ慣れた言葉だった。しかし、ひそひそ話の矛先はアニータにも向かおうとしていた。自分ではない人のことをとやかく言われるのは、気分が悪い。
双子は、どうします? と問いかけるように、アニータを見た。アニータは肩をすぼめた。ほっときな、の意思表示だった。アニータもまた、気持ち悪い、怖いなんて言葉は言われ慣れたものだった。
「ギル、遅いよお」
静寂を気にもせず、アニータは扉の向こうにいるギルに話しかけた。距離は多少あったが、部屋が静まり返っていたために、声を張る必要はなかった。
部屋の奥には最初の集団、扉の前に次の集団、それに挟まれる形で、双子と医者とアニータがいる。アニータはギルに近づくために、双子が連れてきた集団の中を悠々と歩いた。直感で攻撃しても無駄だと判断した少年少女たちは、アニータを避けるようにそっと道を開けた。
「ごめんごめん……」
ギルは苦笑する。
「怖かったなあ」
アニータはギルの隣に立つと、わざと泣きそうな声で言った。
「まさか……」
「ちょっと、失礼でしょー」
アニータは笑うと、手にしていた短剣を再びくるくるとまわすと、穴があくほどじっと見つめた。
「こいつら結構いい武器使ってるの。これだって悪かない。珍しい武器も持ってたからさあ、いろいろ盗って、試させてもらったよ。いやぁ、勉強になるなあ」
「どんどん強くなっていきますねぇ」
「ギルを守ってあげるためさ」
カップルの微笑ましくも恐ろしい話を、少年少女たちは黙って聞いていた。医者と双子は、にやにや笑いながらその様子を眺めていた。
「しかし、もう無理かなー」
アニータは部屋全体を見回して言う。部屋には所狭しと人が入っていた。ここで万が一少年少女たちが暴れ出したら……勝てないのではなく、戦いづらい。
「そうだね。これ以上仲間はいるのかな? ねぇ、そこの子」
ギルは抜刀すると、刀の先で目の前の少女を指した。少女は目に涙をためながら、必死に首を振る。
「やめて……」
「これ以上仲間はいる?」
「…………」
「脅すのは嫌なんだけど?」
わっと少女が泣き始めた。ギルは叫ぶ。
「殺さないから! 教えて! 君たちを傷つける気は毛頭ない!」
「ほとんどこの部屋にいる!」
そう答えたのは、先ほどアニータに短剣を投げた女性だった。よく通るその声は、少しだけ震えていた。
「殺すつもりのくせにっ」
「そんな物騒な……」
ギルは苦笑しながら、質問を続けた。
「他に残っているのは?」
「ボスはいない。ほかにも姿が見えない奴が数人いる。もういいよ。殺せよ。エストレージャに攻撃なんて馬鹿げてたって、みんな分かってるからさ」
「…………」
ギルが頭の中で言葉を整理し、反論しようと口を開いた瞬間、アニータが叫んだ。
「うるせっ!」
あまりの大きな声に、見方である人々もすくみあがる。
アニータはいらいらした足取りで、扉の横まで歩いて行った。普段のおっとりした口調からは想像も出来ないような大声で、アニータは叫んだ。
「ガキのくせに殺せとか言うな! さっきから黙って聞いてれば、あんたらはどういう教育を受けてきたんだ? びーびー泣きながらも生きたいってすがった方が可愛げあるわ! ガキならガキらしく可愛く生きろ! 人生あきらめてんじゃないよ!」
苛立ちを隠そうともしないアニータは、勢いよく扉の横の壁を拳で叩いた。壁は、パリンと音を立てて割れた。壁の近くにいた人々は、えっと声をあげる。その場所だけ壁ではなく、硝子でできていたのだ。硝子は壁と同じ色で塗られており、分からないようにしてあった。
硝子の先に会ったのは、赤いボタンだった。部屋の隅々にギャンが設置した装置が稼働する。シューシューと不気味な音を立てながら、白い煙が部屋を覆い始めた。部屋がざわつき始める。
「でも、ま、考えるのに疲れちゃうときもあるよね。そういう時はさあ、ゆっくり休むのが一番だよ」
アニータは、いつもの口調で、にこりと微笑んだ。
「ケンカしたらね、ゆっくり休んで、そのあと話しあうのも、私は悪くないと思うんだ」
部屋に、白い煙が充満し始める。むせるものが現れ、膝をつくものも出てきた。ばたり、ばたりと人が倒れる。ギルは壁にもたれて胡坐をかくと、刀を抱えて俯いた。
「ヤバい、眠い」
「疲れてるからだよー」
アニータはなんとか持ちこたえようとしていたが、とうとうぺたんと座りこんだ。そのころには、もう部屋にいる人のほとんどが、座り、横になっていた。
「催眠ガス、よく効くなぁ。アズム特性の睡眠薬を煙に変えて、ギャンさん特製の機械で素早く充満。ニールのために作ったんだけど、実験成功だね。すぐにきくよこの睡眠ガス」
「……説明どうも」
ギルの首がかくんと落ちた。その横顔を、アニータは見つめる。いつも眉間にシワを寄せているギルが、ふと表情を緩める瞬間が、アニータは大好きだった。
いけない、寝顔に見とれている場合じゃなかった。
アニータはギルの寝顔から目をそらすと、意識がもうろうとする中、周りを見渡した。さすがに、もう反抗してくる人はいない。眠さに逆らえず、諦めたようにみなすやすやと眠っている。部屋のほぼ真ん中で眠る、ミクロ、マクロも確認した。その横には、アズムとルークが寄り添うようにして眠っていた。
アニータは眠りに就く少年少女の顔を見て、微笑んだ。
「寝てたらみんな、天使みたいに可愛いなあ」
そう言うと、アニータの意識はふっと途切れた。ギルの足にうまいこと倒れこみ、すやすやとギルの膝で眠り始めた。