絶望の中(2)
部屋中に警報のベルが鳴り響いたころ、すでにニールはアクルと共に屋敷の二階に避難していた。リッツの人々が、屋敷の正面から堂々と侵入してきたのを、真っ先に見つけたのはアクルだった。アクルはタバコを吸うために、屋敷の外に出ていたのだ。
「タバコ吸ってたら、門にいる警備員をぶっ倒して、リッツの奴らが侵入してきやがった。何人いるのか分かったもんじゃねぇ、とりあえず、早く!」
アクルは、ニールの部屋に入るなり、ニールにそう言った。ニールはベッドに座りながら、診断を受けている真っ最中だった。体の具合はどうか、最近見る夢は何かなどを、医者二人に訊かれていたのだ。ほぼ一緒に過ごしている双子も、診断中は邪魔だろうからと自室に戻っていた。
「行け」
ルークが冷静に言った。ニールは、しばらく体が恐怖で動かなかった。
「早く行け!」
ルークが、硬直するニールの背中をどんと勢いよく叩いた。ニールは押された勢いのまま、ベッドから飛び降りてアクルの方へ駆けて行った。
「さぁ早く」
アクルが差し伸べた手を、硬く握った。それから、ニールは必死にアクルについて行った。アクルはニールの部屋を出ると、ひょいとニールを抱え上げた。ニールはアクルの肩にかつがれた。遠ざかる自分の部屋の扉があいているのを、ただ見つめていた。アズムが、ニールに目を合わせないように俯きながら、ニールの部屋の扉を閉めるのが見えた。
アクルは、ニールを担ぎながら、玄関のすぐ傍まで来た。ニールをゆっくりと下ろすと、壁に手を押しあてた。ニールはそれを黙って見ていた。驚いたことに、黒い壁はカチリという音を立て、内側にへこんだ。アクルが手を離すと、へこんだ部分が右にスライドした。
隠し扉だ。ニールはどうしてこんなところに隠し扉があるのか、アクルに訊きたかった。しかしアクルは、そんな時間をニールに与えるはずもなかった。玄関の方から、すでに騒がしい叫び声が聞こえていたからだ。
「登って」
扉の向こうには、黒い階段があるだけだった。うすぼんやりと照らされていて、なんとか階段を目で捕えることができる。
ニールは階段を、懸命に登った。二段飛ばしで、走るようにして登った。アクルは自分も隠し扉の内側に入ると、壁に会ったスイッチを押した。扉は、静かに閉まった。
階段はそんなに長いものではなかった。階段を登りきった先には、扉が三つあった。前方にひとつと、左右にひとつずつ。
「正面のを開けて」
アクルが小さな声で、ニールに指示を出した。ニールは頷くと、目の前の扉のノブを下に下げ、ゆっくりと押した。暖かい空気が外に漏れ出す。驚いて、ニールは一瞬動きを止めた。
「入って」
部屋に明かりはついていないようだった。うす暗く、ニールは怖くて仕方がなかった。アクルも部屋に入ると、ニールの手を握った。そのまま、まっすぐ進んでいく。扉は閉じられ、部屋に明かりはなかった。ニールは怖くて、ずっと下を向いていた。
「着いた」
カーテンの開く音がした。少し開いただけだったが、外の光が中に入ってきて、とても明るい。ニールは思わず目を瞑った。アクルはまぶしそうに、眉をひそめるだけだ。
遠くから警報が鳴った。ニールの心臓は早鐘を打っていた。何かあったのだろうか?
「大丈夫」
ニールの心中を察したのか、アクルが優しくニールの背中を叩いた。ニールはそっと目を開いた。不安そうに笑うアクルの顔が、そこにはあった。
「座ろう」
アクルはそう言うと、窓の前に座った。ニールも座る。窓は大きく、ニールが膝で立つと、外を覗くことができた。ニールは少しだけ外を見た。窓からは門と庭が見えた。アクルはニールに身を伏せているように言った。
「万が一外で見張ってるやつがいたら、嫌だからな」
そう言いながら、アクルは何かを組み立てていた。窓の近くに、アタッシュケースのようなものが開いて置いてあった。どこにあって、いつ取ったのだろう。静かな動作に、ニールは驚いていた。
銃だ。ニールはじっと、アクルが組み立てているものを見つめた。大きめの銃だ。名前は何と言うか知らない、しかし、それが銃だと言うことはニールにも分かった。
遠くで鳴っていた警報が鳴りやんだようだ。それを機に、ニールは、アクルにそれをどこで使うのか訪ねようとした。しかし、遠くで聞こえた音に、思わずニールははっと顔をあげた。質問など忘れていた。背筋に汗が伝うのが分かった。傍にいたアクルが、どうした? と声をかける。
「発砲音が聞こえましたよね? 大丈夫でしょうか」
暗闇の中、ニールはアクルに聞いた。アクルは大丈夫だよ、と優しく返事をした。
「心配すんな。大丈夫だから。信じろ信じろ」
そう言って、ニールの肩をアクルはぎゅっと握った。
「信じろ、信じろ」
アクルは自分に言い聞かせているかのように、何度も呟いた。
「…………」
ニールは黙って、暗闇の中、じっと身をひそめることに集中した。