盗聴器と裏切り(4)
ヘッドホンから、いつもより低い彼の声が聞こえた時、ティラの背筋が凍りついた。
「え……?」
思わず声が出てしまった。隣にいるウラウが、肘で小突く。ティラは何も言わずに、そっと押し黙った。
二階の奥にある日の当らない小さな部屋は、盗聴室だった。めったに使われることはなかったため、少し埃っぽい。ティラは帰って来てから、ずっとこの部屋にいた。ヘッドホンから聞こえてくる、男の声を聞いていた。ほんの十分前に、ウラウもやってきて、一緒に盗聴を始めた。
ウラウは、運も持っている。ティラは改めてそう感じた。ウラウが盗聴室に入ってきてすぐに、エリックと名乗っていた彼は、アクルという男と話しはじめた。
ぼろぼろと、彼らの作戦が露呈された。ざまぁみろと思っていたが、話を聞いているうちに、向こうの作戦がすぐにでも行われそうなことが分かり、ぞっとした。はやく作戦を練らねば。相手は本物のエストレージャのようだった。会話の中にその単語が登場していたからだ。
盗聴しながら、どうすれば一番いいか、それだけを懸命に考えていた。
するとどうしたことだろう。
エリックが、いや、ラインと呼ばれていたその男が、話しかけてきた。
誰に? その質問は無意味だ。間違いなく……私たちに、彼は話しかけてきた。
「話しを聞いているだろうから……まぁ万が一聞いてなくても、録音しているだろうから、このまま話し続けるよ。大丈夫、エストレージャの一員は、個人の部屋にノックもせずにはいることはないよ」
ラインは、ゆっくりと、楽しそうにそう述べた。
ウラウは横目で、ティラの表情を伺った。ティラは下唇を噛みしめながら、じっと前を見つめていた。
「残念ながら、盗聴のことはばればれだ。俺はそれなりに、危ない仕事をしてきているからね。こんなの慣れっこなんだよ。俺を突き飛ばした時に盗聴器を忍ばせた……なかなか上手だったけど、もうすこし分かりにくくしなきゃだめだ。まぁ……でも、安心して。盗聴器が付いているっていうのを分かりながら、自分の作戦をぼろぼろこぼすなんて、馬鹿げているだろう?」
そこで、ラインは少し間をおいた。ティラとウラウは、だまって次の言葉を待った。
「そうだよ。ご察しの通り、わざとなんだ。俺は、今回の作戦に乗り気じゃなくてね。というより、そもそも最近エストレージャのやり方があまり好きではなくなったんだ。あのアクルと言う……先ほどまでいた男が、このエストレージャの参謀だ。なかなか優秀だよ。でも、結構力づくで事を進めたがる。しかもボスの右腕で、ボスに気に入られているから厄介だ。エストレージャのみんなも、やけに信用している。不信感を持つ者なんていない。俺一人を除いてはね。今までは作戦通りにやってきたけど、もう限界だ。この作戦はさすがに、嫌になったよ。子供相手に力づくなんて……賛同しかねる
簡単に言うとね。
俺はエストレージャを裏切ることに決めたんだ」
ラインは、はっきりとそう言った。
あぁ、彼は部屋で、きっとにこにこしながらそのセリフを言ったのだろう。何故だかティラは、そう思った。その思いは、確信に近いものだった。
「ちなみに、ティラ、君に惚れていたというのは嘘なんだ。本当に申し訳ない。そうやって近づくのが一番てっとりばやかったんだよ。しかし、君に惚れかけているのは本当だ。君のような強い女性、大好きだよ。
まぁそれは、今は置いておこうか。
どうも話が長くなってしまうのが俺の癖で、申し訳ない。
簡潔に言う。提案があるんだ」
ラインは独りで、話し続けた。
「本当は俺なりの案もあるんだけど、それを言ってしまったら、誘導しているみたいだろ? 俺はそっちに信用してほしいからね。だからとりあえず、そちらの望む情報をあげるよ。俺に分かることなら何でもね。
俺の携帯の電話番号、知っているだろう? そこに電話をしてくれ。必要な情報、ほしい情報を言ってくれればいい。今から直接会うのは不可能だ。俺が今から出かけるのはちょっと不自然なんだよ。仕事が終わったら屋敷に閉じこもるキャラできてるからね。それに、万が一俺たちが会っているのを見られたらいやだろう。
さっき聞いたと思うけど、明後日からはそちらに見張りが付く。とろとろしてると、あっというまにこちらから仕掛けてしまうよ。残念ながら、それを止める権限は俺にはないんでね。
もちろん、得体のしれないエストレージャから逃げてもいいが、そちらはニールを必要としているんだろう? あぁ、そっちの考えていること、こちらには残念ながら筒抜けだからね。
彼の病気は確かに深刻だ。しかし、彼の力は、なかなか手に入るものじゃない。違うか? 彼の病気の面倒をみるのは大変かもしれないが、それに見合った力を彼は提供してくれる。その人材が、いなくなるのは、惜しいとは思わないか?
それと、今言っておくが、彼の病気が早く解明されるのでは、という希望的観測はやめておけ。エストレージャの医者が、というかエストレージャ全体が彼の病気の解明を試みているが、到底解明できそうにない。
とりあえず……連絡があってもなくても、明日の朝、俺は近くの公園で君を待つ。朝の九時から昼の十二時まで。それ以降は残念ながら待てない。エストレージャに怪しまれるといけないからね。
電話をくれれば、どんな情報でも明日のその時間に持って行くよ。電話はいつしてくれてもいい。
もし俺のことを信じてくれるなら、とりあえず来てほしい。というか、正直なところ、来た方がいい。俺を頼むから信じてくれ。リッツの情報は、そちらが思っているよりも漏れているよ。
例えば、そうだな……」
すらすらとよどみなく話していたラインは、ここでひとつ息をつき、深刻な声で言った。
「マリアーナ、とか」
ティラの目が大きく見開いた。こいつ、今、なんて? ティラに考える余裕も与えず、ラインは言った。
「脅迫みたいな形で終わってしまって申し訳ない。しかし、俺がそっちに協力したいと思っているのは事実だ。これに乗らない手はないように思うけどね。じゃぁ」
ごそごそ、と音がし、バチッと何かがはじけるような音がした後、すぐに通信が途絶えた。
「ちっ、盗聴器をつぶされたか」
ウラウはそう言うと、ヘッドホンを投げつけた。
「めんどうくせぇことになっちまったおい……」
横目で、ティラを見て、思わず一瞬言葉を詰まらせる。
「……ティラ? お前どうしたんだよ?」
「ウラウさん……」
ティラは汗をたくさんかいていた。まるで運動した後のように、髪の毛までも、ぐっしょりと濡れていた。
「エストレージャ……なんなんだ……」
「どうした?」
ウラウはあくまで冷静に、ティラに問いかけた。ティラはゆっくりとした動作でヘッドホンをとると、床に静かに置いた。
「マリアーナ」
「……最後にあいつが言っていた女の名前だな?」
「私の名です」
床を見つめながら、ティラは小さく言った。
「数年前、親に捨てられたころ、一緒に捨てた、私の名前です」