ティラの報告(2)
「え?」
「ちっこいがきが、最近エストレージャに入ったはずだ」
「あぁ、あの子供か。それがどうしたんだ?」
「そいつのことを探りにでもきたんじゃないのか? あいつの病気も知らないと?」
「病気?」
「知らないのか? ……ふうん……でも、じきに知ることになるだろう」
「それはそうだろうな。エストレージャは皆、隠し事をしない」
「へぇ」
ティラはにやりと笑うと、続けた。
「それは敵に対してもか?」
「どういうことだ?」
「ルーン」
ティラは目を細め、言った。
「お前、本当に私に惚れたのか?」
「あぁ。何度でも言う。君が好きだ。君のために何でもする」
「証拠を見せろと言われたら?」
「君が望むものならなんでも」
「エストレージャの情報がほしい」
「そんなことでいいなら、いくらでもやる」
「本当か?」
「信じてくれ……」
ラインはそう言うと、ティラの金髪をそっと指に絡めた。
「本当に……どうにかなってしまいそうだ……君の喜ぶ顔が見たいんだ」
「……私は今まで数々の男に好意をもたれたが、ここまで早く、あっさりどっぷりと落ちたやつは初めてだよ」
ティラは、勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「君の初めてになれただけで幸せだ」
ラインはにこりと笑顔を返した。
「お前、本当の名前は?」
へぇ、なかなか疑り深い奴じゃないか。ラインは心の中で思った。
いいねぇ、こういう娘。本当に、嫌いじゃない。
「エリック」
ラインはまた、嘘をついた。
「エリックね」
ティラは、ラインが即答したために、その名前を疑うことはなかった。
「どうして偽名を使った?」
「外で働くときは偽名を使えと、上司から言われている」
相変わらず二人の距離は近く、もう少しでラインの唇がティラの額に触れてしまいそうなほどだった。
「なぁ……ここじゃぁ人に見られないかな」
「問題はない」
「僕が気になるんだよ」
ラインはそういうと、そっと頭を下げ、ティラの耳元で囁いた。
「もっと暗い路地裏で話さないか」
「なぜだ」
「聞き耳を立ててほしくない。あくまで僕は君だけに情報をあげたい。別に君が得た情報は、誰に言ってもかまわない。だけど……」
「いわゆる独占欲、というやつだな」
ティラはそう言うと、するりとラインの腕の間をすり抜けた。
「ついてこい」
「あぁ」
ラインはうっとりと、ため息を漏らすような声を出した。
面白いなぁ。
ラインは頭の隅でにやにやと笑っていた。ティラという娘、まんざらでもなさそうだ。
これだからやめられないんだよなぁ。
ティラは、先ほどいた場所からほんの少ししか離れていない路地裏に、ラインを連れて行った。本当に狭い路地裏で、人が二人入るのがやっとだった。日の光も差し込まず、夕方のようにやんわりと光が入りこんでいるだけだった。
「ここなら誰にも聞かれないだろう」
ティラはそう言うと、壁にもたれた。腕を組み、ラインを見つめる。
ラインはためらうこともなく、先ほどと同じように、ティラの顔の横に手を置いた。
「……離れろよ」
「いやだ」
ラインはにこりと笑った。
「君を近くで見たいんだよ」
「歯の浮くようなセリフが言えるんだな。慣れっこか?」
「まさか」
ラインはティラの細い手を取り、自分の胸に押し当てた。ラインの心臓は、強くはやく鳴っていた。
「ほら。どくどく言ってるだろう」
「…………」
「本当は緊張しているんだ。君を見ていると、本当にどうにかなってしまいそうだ。歯の浮くセリフなんか言ったこともない。でも不思議と、あふれ出てしまう。止められないんだ」
ラインはそっと、ティラの手を自分の胸から離した。そのまま、何の違和感もなく、流れるような動作で自分の指をティラの指に絡ませる。
「……さっきの話の続きをしよう」
ティラは顔色一つ変えずに、ラインを見つめた。
「エストレージャには上司がいるのか?」
「いる」
「会社なのか?」
「営利目的で働いたことはない」
「じゃぁ仮に、交渉を金で持ちかけても、答えないということか」
「基本エストレージャは、金をつまれてもだめな物はだめだ、という考えの奴が多い」
きっとこの交渉、というのは「発作の原因が分かったニールと、金の交換」を意味するのだろうと、ラインは思った。
結構突っ込んで聞いてくるな、こいつ。
「なるほどな。ではお前はエストレージャの中で、どのくらいの地位にいるんだ?」
「会社で言えば副社長だ」
その返答に、ティラもさすがに驚いたようだった。
「……見えを張ろうとは」
「していない」
へぇ、とティラは笑った。
「なかなかやるじゃないか。まだ三十もいっていないだろう?」
「平均年齢が若い集団なんだよ」
「どうしてそこまで高い地位を得られた?」
「僕はエストレージャ創設者のひとりだから、最初からこの地位にいた」
このことは嘘ではなかった。しかし、実際にティラが考えているほど、その副社長――エストレージャ内では副ボス――の地位は、高いものではない、とラインは思っていた。ただ、ボスがラインに与えただけで、実際にはみんな俺より働けるから、実際の会社だったら俺はいつまでたっても平社員だろう、というのがラインの考えだった。
もちろんこの考えはラインだけのもので、他の人に言わせれば、ラインにはボスと同様絶対の信頼と尊敬の念を抱いているので、ライン以外に副ボスはありえなかった。
「なるほどね。エストレージャは若い集団だと聞いているからな」
君たちほどではないだろう、とラインは心の中で苦笑する。
「リッツは?」
「残念ながらそちらの散策には何一つ乗らない」
「あぁ……たまらないよティラ」
ラインはそう言うと、繋いでいない方の手の親指を、そっとティラの唇に這わせた。
「やめろ」
「ごめん」
ラインは素直に謝ると、それでもなお、ティラを見つめ続けた。
「他に聞きたいことは、ある?」
「お前の連絡先を教えろ。会いに来いと言ったら、会いに来るか?」
「もちろんだよ」
ラインは目を輝かせると、ポケットからメモ帳とペンを取り出した。そこに自分の電話番号を書き記し、破ってティラに渡した。
「用意のいいことで」
ラインはティラの言葉を笑顔で受け流す。
「僕の携帯にかかるようになっている。いつでも連絡をくれ」
ティラはそれを受け取ると、ポケットの中に折りたたんで入れた。その後、乱暴にラインの持っていたメモ帳を奪い取った。ペンも取り上げ、何かを書いて渡す。
「この時間帯に、何かあれば連絡しろ」
そこには、細切れに書かれた暇な時間と、電話番号が書いてあった。
「電話番号を教えてくれるのか……!」
「悪用しようとしても無駄だからな。私はいくつも電話を持っている。それはその中の一つに過ぎないんだから」
「悪用なんてするもんか……ありがとう、ほんとうに。何かあったら逐一連絡をするよ」
ラインはそのメモ帳をぎゅっと両手で握り、感動したように目を閉じた。その隙に、ティラは片眉を吊り上げる。
表情を隠しておくのは結構大変だ。こいつ、いったい何を考えている? ほんとうに惚れてしまったのか? それならば話しは早いが、エストレージャからどうやってニールを奪還しようか考えてきた矢先に、こんな都合のいい話があっていいのだろうか。でもこいつが演技をしているふうにも見えないし、しかし怪しいことには間違いない……こいつ、何がしたい?
ティラの頭の中は、クエスチョンマークで埋め尽くされていた。しかし、素性はおろか、メンバーさえよくわからない。
エストレージャからの接触は、ティラにとってマイナスにはならない、と彼女は考えていた。 エストレージャについて知っていることと言えば、本当かどうかもわからない噂ばかりだ。黒い屋敷に住んでいるというのは本当らしい……これは結構信憑性のある噂だが、だれもそこに行って確かめようとはしなかった。万が一恐ろしい集団だったら? 門の前に立っただけで射殺されでもしたら?
つくづく、こいつらはよく分からない集団なのだ。まぁなんにせよ、こいつと接触したことを上の方々に伝えたら、報酬はもらえるだろう。
いつかくるリッツの華々しい出発の日に、できるだけ高い地位にいるために、私は小さなことからこつこつと、頑張らなければいけないのだ。
目を開けて、じっとティラを見つめてくる目の前の男を睨みつけながら、ティラは心の中で決心した。こいつをうまく使おう、と。
ティラは左腕にはめている時計を見た。もうそろそろ戻らなければ。
「私はそろそろ戻る」
「また連絡するよ、ティラ」
「時間外にかけてきたら、私はもうお前とは接触しない」
「大丈夫、心配しないで」
「エストレージャの連中にばれないようにしろよ。まぁ、お前がエストレージャであるなら、の話だが」
「なんなら、今度証拠を持ってくる。何がいい?」
「……証拠か」
ティラは一考すると、こう言った。
「お前たちの住んでいる場所は、あの黒い屋敷か?」
「知ってるの?」
「あぁ。本当なら、その内部でも写真に収めてこい。そしたら信じるかもしれない」
「分かった。お安い御用だよ」
趣味は写真だし、怪しまれないよね、とラインは笑った。
「じゃぁ、また」
ラインはそう言うと、ティラの手をそっと取り、ティラが何かを言う前に、そっと手に口づけをした。
「大好きだよ」
にこりと笑うと、ラインは静かにその場を離れた。しばらくして、その場に残ったティラがふうん、と声を出した。
「よくわかんないな……まぁ取りあえず、報告か」
ティラはそう言うと、リッツのたまり場、通称「ビーノハウス」へと早足で向かった。