10 ティラの報告(1)
ラインは、駆け足のまま、ギルに見せてもらった地図通りの場所へ向かった。広い道を右に曲がると、遠くに金髪の娘が見えた。黒いタンクトップに、迷彩色のズボンをはいている。タンクトップはとても短く、へそが顕わになっている。ひとりで壁に寄りかかり、煙草を吸っていた。
あの子だな。
ラインは心の中でそう思いながらも、表情には出さなかった。
ターゲットを確認し、彼女へ向かって全力で走る。足音が近付くにつれ、彼女もラインの存在に気が付いた。自分にむかって突進してくる男がいる。いや、違うか、急いでいるのだろう。そう彼女は思った。
しかしそうではなかった。ラインは彼女のすぐそばでスピードを落とし、息を荒げながら、微笑んだ。汗が滴り落ちる。
「あぁ……よかった……」
ラインはそう言うと、彼女を見つめた。娘はちらりと、視線だけラインに送った。
「あの、いきなりでもうしわけないんだけど……君、今暇かな?」
「………………」
娘は眉間にしわを寄せると、目の前に立つ男性をじろりと睨みつけた。男はにこにこ微笑んでいる。
「あぁ……すまない。急になんだってかんじだよね。俺はルーン」
ラインは偽名を使った。仕事の時も、女性を誘う時も、いつだって彼は偽名を使う。本名を使うのは、エストレージャにいるときだけだった。
「その……驚くかもしれないんだけど、君を三日前に見かけて、それで、その……」
「声をかけたかったと?」
娘はそう言うと、にやりと笑った。
「そう言いたいのか?」
「……あぁ」
ふうん、と娘は言うと、煙草を壁で消し、そのまま捨てた。その場所には、いくつかの吸い殻が捨ててあった。
「それは光栄なことだ。私も君に会いたかった」
「え?」
意外な言葉に、思わずラインの顔から微笑みが消えた。
「どういうこと?」
「私はティラ。君は……エストレージャ、だろ?」
ぞくり、とラインの背筋が凍った。
「エスト……なんだって?」
「とぼけるな、汗をかいているぞ」
ティラはラインを睨みつけた。眼光鋭いまなざしに、ラインはため息をつく。
「汗をかいているのは、走ったからだよ」
「おっとそうかい。しかし表情が硬くなったぞ?」
ティラは表情一つ変えずに、声のトーンを落とす。
「なんだい、エストレージャのルーンさん?」
ラインは、冷や汗が背中をつたうのを感じた。
この女、何を言っているんだ? 情報が漏れていたか? いや、違う、情報が漏れていたなら、俺が偽名を使ったことにも気付いたはずだ。しかし、外見の情報だけ握られている可能性も、ないわけではないか? どうしてばれた? ……はったりか? 鎌をかけたか? それとも、エストレージャから接触があるだろうと、読んで?
頭の中でぐるぐると思考が回ったが、ラインはふっと笑うと、一つの結論に至った。
凄いじゃないか。いいなぁ……こういう子。
落としてみたい。
ラインは、感心した。そしてその後、悪い癖が顔をのぞかせてしまった。
「……君、いや、ティラ。僕はこんなに感激したのは初めてだよ」
ラインは、ティラの手をそっと取った。彼女は満足したような視線を投げかけると、そっと手を振り払った。
「スパイか? それとも詮索か?」
「違う」
ラインは真剣な顔で、ティラを見つめた。金色の目が、緑色の目を捕える。ティラの頬が、少し紅く染まった。
「じゃぁなんだ?」
「君に一目ぼれしたのは事実なんだ。そして、エストレージャだというのもまた事実。しかし、君に一目ぼれしたのは間違っていなかった。その警戒心、揺るぎない強い自信。僕は強い女性が好きなんだ。今、君について行こうと決めた」
「何を言っているか分からないな。嘘つきも大概にしろ」
「馬鹿を言わないでくれ」
ラインは壁に手をついた。腕の中には、ティラがいた。ティラは顔一つ分背の高いラインを見上げた。ラインはティラを見下ろしていた。肌があと数センチで触れてしまうような距離にいる。
「信じてくれ。君に惚れた。こんなに心が動いたのは初めてだ」
ラインは囁くように言った。ティラは何も言わず、その場にいた。ラインの長い髪の毛が、ティラに触れた。
「すぐに惚れてしまうような男は信頼できないか?」
「お前が嘘をついてる可能性はある……」
ティラの言葉を遮るように、ラインは右手のこぶしで壁を叩いた。ティラは驚いて、身をすくめた。
「嘘なんてつくか! 俺はエストレージャだが、スパイなんてそんなことするはずがない。そもそもする理由すら分からない。君のことが気になっていて、個人的に声をかけたにすぎないんだ」
「……ニールを知っているだろう?」