8 作戦(1)
五時ちょうど、ニールの寝室に入った。そこには、ボス、医者のルークに看護師のアズム、双子のミクロとマクロ、ライン、それにアニータとギルのカップルがいた。皆、パイプ椅子に腰かけている。ミクロとマクロはニールのベッドを挟むような形で待機をしている。ボスはニールの足の先に座っている。ボスから少し離れた場所に、他の人は座っていた。アクルは軽くお辞儀をすると、ボスの傍へと寄って行った。
「おはようございます」
「おはよう。ミクマクと話しあったんだが、今日はニールの体力消耗は避けたいため、起きた瞬間に押さえつける。ミクマクの二人に押さえつけてもらうが、二人じゃどうしようもなさそうだったり、ちょっときつそうだったりしたら俺が行く。アクルは、指示があるまでその場を動くな」
ボスがニールを見つめたまま、小声で、早口に言った。
「分かりました」
「パイプ椅子ならそこに立てかけてあるやつを使え。静かに待ってろ。時間がかかるかもしれないから、なにか本でも読みたければ、持ってくるといい」
「はい」
アクルは返事をしたが、実際に本を読もうとは思わなかった。他の人も、ただ黙って、ニールの目覚めを待っている。ルークとアズムだけが、懸命に何かをメモしたり、ニールの容体を確認したりしていた。きっとふたりは寝ていないのだろう、とアクルは思った。
アクルはパイプ椅子を持ち、部屋の隅に座った。
それから二時間と少しが経過した。ニールの異変に最初に気が付いたのは、アズムだった。
「あ、起きるかもしれない」
何かそのような予兆があったのか、はたまた勘なのかは分からない。しかしアズムは、ぴたりと作業を止め、ニールを見つめて呟いたのだった。
ミクロとマクロが身構える。
「ルーク、アズム、少し離れていろ」
ボスの命令に、二人は頷くと、素早い動作で壁によった。しばらく、沈黙が続く。
「ん……」
ニールの声が、沈黙を破った。ニールが目をこする。
起きる、とその部屋にいる誰もが思った。
ニールは長いこと目をこすり続け、うーんと唸ると、ゆっくりと上半身を持ち上げた。足元にいたボスの視線と、ニールの視線が交差する。次の瞬間、ニールはかっと目を見開き、勢いよくボスに飛びかかった。しかしボスは、そこから動こうともしなかった。黙ってその様子を観察している。
ミクロとマクロが、ニールの両腕を掴んだ。
「ガアアアアッ!」
ニールの叫び声にひるむことなく、二人は同タイミングで、ニールの肩を押さえ、そのままベッドに押し戻した。
「ガアアアア! アアッ! アアアアア!」
ニールは仰向けになりながらも、必死に抵抗を試みていた。体中をひねらせ、足をばたつかせる。ニールの足を、ミクロとマクロが足で押さえつけた。完全に身動きが取れなくなったニールは、それでもなお、必死の抵抗を試みた。
「ガァ! ウガアッ!」
ミクロとマクロはいたって冷静だったが、余裕があるわけではなかった。どちらかが少しでも油断してしまったら、ニールはその隙を逃しはしないだろう。
同じ年端の子が、ここまで力を出せるとは。双子は驚いていた。
いくらミクロとマクロが女の子だといっても、彼女たちは日々訓練をしている。それなりに力もある。それなのに、二人がかりでやっとのこと押さえつけられるレベルだ。
それは、傍から見ても十分に分かった。皆何も言わず、じっとその様子を眺めている。叫びながら、苦しみもがくように、必死に自由になろうとするニールの声だけが響いた。
随分と長いこと、双子はニールを押さえていた気がする。突然ニールは力尽きたように、暴れるのをやめた。それでも双子は、手に入れる力をゆるめはしなかった。
「…………あ……」
ニールが顔をゆがませた。またやってしまったのか、といった苦難の表情であった。
双子はしばらくニールを見つめていたが、大丈夫だと分かると、静かに手を離した。そして笑顔で、
「おはよう、ニール」
と言った。ニールは驚いたように双子を交互に見つめた後、お、おはようございます、とぎこちない返事をした。
「おはよう」
ボスは立ち上がると、ニールに微笑みかけた。ニールはゆっくりと体を起こすと、頭を下げた。
「おはようございます……今日もまた、暴れてしまって……」
「でもずっと押さえつけていた。けが人は出なかったし、ニールの傷が開いたりもしてないみたいだ。大丈夫だよ」
「大丈夫だよー」
双子は、ニールを両脇からぎゅっと抱きしめた。不慣れな優しさに、ニールは感謝の言葉をうまく紡げず、黙ってしまった。
「さてニール。寝起きに悪いが大切な話がある。いいか?」
「はい」
ニールの真剣なまなざしを見て、ボスはにこりと笑う。
「今、ラインに時間を計ってもらっていた。ライン、時間は?」
ボスが振り返り、ラインに尋ねた。ラインは手に持っていた懐中時計を見、答えた。
「四分二十三秒だ」
その言葉に反応したアズムは、ベッドに駆け寄ると、傍に置いてあったカルテにその時間を書きこんだ。あまりの素早い行動に、ニールはぽかんとしていた。
「ま、こんな風に毎日どれくらいの時間あばれていたか、記録していく。今日はニールがどれぐらいの力で暴れるのかが分かった。数値化みたいに具体的な表示ははできないが、双子が押さえつけられる力、だ。
明日からも、時間の計測、それと、違ったシチュエーションでどのように発作が起きるのか、いろいろ試させてもらおうと思っている。シチュエーションを変えることで、もしかしたらその発作が起きる環境や原因が分かるかもしれないからだ。そういう、いわゆる実験のようなことをしていってもいいか?」
ボスの要求に、ニールは頷いた。
「全てを託すつもりで、エストレージャに入りました。そこまでしていただけて、嬉しい限りです」
少年らしくない丁寧な言葉遣いに、皆驚いていた。ニールはゆっくりと、頭を下げた。
「今後ともみなさん、よろしくお願いします」
ボスはニールの態度を見て、困ったように頭をかいた。気を使わなくてもいい、ということをどのように伝えればいいだろうか。
その悩みを解決してくれたのは、双子だった。双子は、同時にもう一度、ニールの肩を抱いた。
「ニール、あのね。そんな風に思わなくてもいいんだよ」
「そんな風に、思いつめなくていいんだよ」
「こっちにはね、ニールのために仕方なくやってる、なんて意識はこれっぽっちもないの」
「ニールのためになるならなんだってする、って思ってるの」
「だからそういう風に言わないで」
「たっくさん頼っていいんだよ」
双子は優しく、そう言った。ニールは息が詰まるほどの感情に包まれたが、なんとか、先ほど言えなかった言葉を口にすることができた。
「……ありがとう」
ふふ、と双子は同時に笑った。