夜の仕事は盗み聞き(3)
「そそ。ヤツキがこういう仕事は適任でしょ」
ほぼ確信に近い確認をしたアクルだったが、それでも内心驚いていた。
自由奔放なあいつに、よく連絡がすぐに取れたな。そもそもこの屋敷にいたのか? ……それすら分からない。彼女は多くの謎に包まれた少女だった。
いや、アニータやボスとは頻繁に連絡を取っているらしいので、少なくともアクルにとっては、謎の多い少女だった。
アクルがヤツキに最後に会ったのは三カ月以上前だ。エストレージャの人々とは、二週間顔を合わせないとそれは長く会っていないと感じるのだが、ヤツキとは三カ月以上前にあったきり。しかも廊下を歩いているのを偶然見かけただけだった。
確かスキップをしていた。
その姿を見て、アクルは久しぶりだな、と声をかけるでもなく、無言で、ぽかんと口を開けてその姿を見ていた。幻覚か? と思わず勘違いしてしまったのだ。それほど彼女の姿を目撃することは、珍しい。
エストレージャの一員でありながら、姿を見ること自体が珍しいのだ。
ヤツキ。確か夜の月という意味がある名前だと言っていた。東洋系の、かわいらしい女性だ。
「盗み聞きに行って、いざたまり場に入ろうってときに鍵が開いてなかった、ちゃんちゃん、じゃかわいそうでしょ? それに、襲われちゃったら、ヤツキひとりじゃ大変じゃない。ってことで、鍵開け兼護衛で、よろしくアクル」
「わかりました」
「んじゃぁすぐに着替えて、行ってきて」
「はい。ヤツキはどこにいますか? どこで待っていれば……」
アクルの言葉に、うーんとボスはうなった。その理由が分からず、アクルは首をかしげる。
「何か変なことでも聞きましたか……?」
「いや……なんか凄い」
「え?」
ボスの言葉に、アクルはますます混乱する。
何が怖いのですか。
アクルが尋ねようとした瞬間だった。
「嬉しいですねぇ、ボス。お褒めにあずかり光栄です」
と、アクルの真後ろから声が聞こえた。アクルの心臓が跳ね上がった。反射的に腰にあった銃を抜いたが、そこで動きを止める。
「アクル兄さんの背後、簡単に取っちゃいましたよー」
そういうと、声の主はゆっくりとした歩調で、アクルの隣に座った。アクルは黙って銃をしまうと、あぁと顔を手の平で覆った。
「もうやだヤツキ……」
「嫌われちゃいましたかー、ふふふ」
ヤツキは嬉しそうに微笑んだ。
アクルの後ろにいた少女は、真黒な服に身を包んでいた。首まで隠れるタートルネックの服に、黒い手袋。実際に肌が見えている部分は、顔しかない。装飾も一切されていないその服は、黒い屋敷に嫌というほど溶けこんだ。真黒な黒い髪は、左右にお団子で結んである。耳の前に少しだけ垂れた髪は、ウェーブがかっている。笑みを絶やさない口元だけが、ほのかにピンク色だった。
「俺それなりに鍛えてるはずなのに、真後ろ取られても気が付かないとかへこむ……」
アクルはため息をついた。ボスは苦笑する。
「アクルが未熟なんじゃなくて、ヤツキが凄すぎるんだよ。あそこまで気配を消せる奴を、俺は見たことがない。数センチ近くにいる人をアクルが探す姿は、もうなんつうか、怖かったぞ」
「怖かったんですか?」
「その光景が異様だったんだよ」
「ふふふ、なるほど」
ヤツキは落ち込むアクルの背中をぽんぽんと叩くと、立ち上がった。
「アクル兄さんに、本当はパーティーの時もいたんだよ、なんて言ったらへこみますかねぇ」
「嘘だろ!」
アクルが顔をあげ、叫ぶ。
「本当だ」
ボスがにやりと笑う。
「嘘だ……」
アクルは天井を仰ぎ、ううとうなると、もう一度顔を両手の平で覆った。背後をとられたことに加え、食事での気配に気が付けなかったことも、よほど悔しいらしい。
「まぁ、私の実力はどれほどのものかと試したのですが、ほとんど誰も気が付きませんでしたよ。なまっていなくてよかったよかった! さぁアクル兄さん、さっさと仕事に行きましょう!」
「おうし、いってらっしゃい。ほらアクル、着替えて行って来い」
ボスの命令に、アクルはしぶしぶと立ち上がると、指をごきごきと鳴らした。
「汚名返上のためにも、しっかり護衛してきますよ」
「よろしくな」
アクルは頭を下げると、
「いってきます」
と言った。
「いってきます」
ヤツキもそれに続く。
「ふたりともとりあえず明日の朝には戻ってきてね。アクルには、できればニールの症状、見といてほしいし。ヤツキはずっと気配消してて疲れるだろうから、帰ったら俺に報告、その後すぐに休むこと。それと、しばらくは働いてもらうかもしれないから、勝手にどこかに行かないように」
「わかりました」
「んじゃ、いってらっしゃい」
アクルとヤツキは顔をあげると、部屋の出口へと向かった。
「くれぐれも気をつけて」
背後からしたボスの言葉に、アクルとヤツキは顔だけ振り向き、
「お任せあれ」
と、返事をした。ボスは満足そうにうなずくと、ふうとベッドに横になった。それと同時に、ドアのしまる音がした。
「あー……」
部屋の中で、ボスがため息ともつかない声を発する。
黒い天井を見上げた。吸い込まれそうだと思った。
「疲れたぁ」
目をゆっくり閉じた。もうこのまま寝てしまおうと、ボスは思った。