新メンバー(2)
アクルは部屋に直行し、倒れこむように眠りについた。自分では疲れていないと思っていたが、体は正直で、数分もたたないうちに眠りに落ちた。
夢は見なかった。見たかもしれないが、内容は覚えていなかった。
ふと目を覚ました時、何時間自分が眠りについたのか想像もつかなかった。カーテンは閉め切っていたので、外の景色もよく見えない。壁に掛けてある時計に目をやった。四時を過ぎた頃だった。
「うわ……」
寝すぎたな、と思った。四時間以上は寝ていただろう。むくりとアクルは起き上がり、クローゼットまで向かった。寝ていたためにしわしわになってしまったシャツを脱ぎ、新しい白いシャツを着る。ネクタイはつけようと思ったが、今日はもう特に用事があるわけではなかったので、つけるのをやめた。
シャツを着た後に、風呂に入ろうと思いたった。朝から運動をしたから、何となく入っておきたかった。大浴場に行こうかとも思ったが、早く入っておきたかったので、自室のシャワーを浴びることにした。
一度着たシャツを慎重に脱ぎ、ベッドの上にそっと置いた。そこで、ふとニールの様子が気になり、アクルはベッドのすぐ横に置いてある、黒い電話を取った。治療室の番号を押す。
「もしもし治療室アズムです」
電話に出たのはアズムだった。
「もしもし、アクルです」
「アクルさんこんにちは、ルークさんに?」
「んにゃ、ニールが元気かどうか心配になっただけ」
「先ほど起きて元気にルークさんと話をしていますよ」
「そりゃよかった。起きて……その、異常はなかったんだな」
「はい」
「うん、ならいいんだ、今日の夕飯は来れそう?」
「はい。七時からで変更はありませんよね?」
「あぁ、七時に大食堂」
「大丈夫です」
「オッケー。んじゃ、ありがとうね、ルークによろしく」
「分かりました」
短い通話は終わり、耳の向こうでがちゃりと受話器を置く音がした。
「よかったよかった」
アクルは独り言をつぶやくと、んっとひとつ伸びをした。力を抜くと同時に、ため息が出た。体がだるい。こんなときはシャワーをあびるに限る。
アクルは長いことシャワーを浴びていた。浴室から出て、髪を乾かし、軽くセットした。準備が終わったころ、時計は六時十五分を指していた。少し時間があったので、アクルは読みかけの本を読んだ。うっかりはまってしまい、気が付いたら時計の針は四十五分を指していた。
「あ、やばいやばい」
アクルは立ち上がると、急いで部屋を出た。七時に集合のため、五分前に出ても十分に間に合うのだけれど、性格上少し早く着いていたい。
大食堂の扉をあけると、食堂の奥にある大きな長テーブルの真ん中に、豪華な食事が用意されていた。
「アクルさん」
アクルの姿をいち早く見つけ、にこりと微笑んだのはファインだった。小走りで、アクルに近づく。
「豪華だな!」
「今日は時間があったので」
「凄いよ。なんか手伝うことは?」
「いえ、もう準備は終わりましたから、どうぞ席に座っててください。飲み物は何を?」
「どうしよっかなぁ。酒は……やめとくわ。フルーツのジュース、ある?」
「フルーツのミックスジュースでよろしいですか?」
「うん、それで」
「かしこまりました」
ファインはにこりと笑うと、小走りで大食堂の左にあるドアに向かって行った。その扉の向こうに、大きな調理室があるのだ。
アクルは、豪華な食事の向こうに双子を見つけた。その双子は、ある男性を挟んで着席していた。
その男は、褐色の肌をした男だった。長いウェーブがかった黒い髪をうしろで結んでいる。スーツから見えている首や胸元、手には白い包帯を巻いている。その包帯は、顔にも少しだけ巻いてあった。頭に怪我をしたかのように、額に何週か巻きつけられた包帯は、両目の間を斜めに通り、首に向かって伸びている。
一見不思議な格好をした男性だったが、奇妙で近寄りがたい印象は与えない。むしろ中性的で謎めいたその男は、とても魅力的に見えた。男のアクルでも、どきりとしてしまう美しさを持っている。女性は放っておかないだろう美しさだ。
そんな男性は、双子に挟まれて楽しそうに会話をしていた。両方から繰り広げられる双子のステレオトークに、うんうんと頷いて返事をしている。
「ラインさん」
アクルはその男の名前を呼んだ。男はふっと顔を上げた。頭を軽く下げるアクルを見て、微笑む。
「アクルじゃないか。久しぶりだな。といっても三日ぶりぐらいだけど」
アクルはラインの前の席に座ると、改めて頭を下げた。
「三日でも随分久しぶりに感じてしまいますね。お仕事は無事終わりましたか」
「あぁ、なんとかね。困った誘拐事件もあったもんだよ。俺が誘拐犯と交渉して、なんとか娘さんを助けに行ったんだよ。そしたら、助けた矢先に、いきなり帰りたくないと言われてね。実は誘拐された娘は、父親とけんか中だったみたいでさ」
「信じられませんよね!」
「ありえないです、もう!」
と、口を挟んだのは、両脇に座る双子だった。ラインはくすりと笑うと、双子の頭を同時に撫でる。長い指で、猫をあやすように双子の頭を撫で続けながら、ラインは続けた。
「結婚さわぎだったみたいなんだけど……親父さんが結婚を認めてくれないっていう、まぁありきたりな理由だよね。それで、犯人との交渉の次は、親父さんと交渉だ。信じられるか?」
思わずアクルは吹き出した。
「まさかの!」
「笑っちゃうだろう」
ラインも面白そうに微笑む。
「それで、なんとか説得して、結婚を許してもらって、ハッピーエンド。俺に仕事を頼んだのはそこの奥さんなんだけど、ここまでしてもらってすみませんでしたって平謝りでね」
「そりゃそうでしょうね。娘さんを保護するのが仕事だったのに」
「だろう? 表面上は大丈夫ですよってにこにこしといたんだけどさ。ちょっと報酬と割に合わないなって思って、娘さんの唇奪って帰ってきちゃった」
「うえぇ!」
アクルは大声をあげた。
「また……ラインさんは!」
ふふ、とラインは不敵に笑った。
「やっぱりまずかったかなぁ?」
「結婚前なんじゃないんですか!」
「そうなんだけどね。もちろん誰にも見られてないよ。帰り際に娘さんに呼びとめられて、ありがとうございましたとお礼を言われたものだから、んじゃぁ最後に手にキスをさせてくださいって頼んでさ。はいって素直に手を出すもんだから、こう、その手をぐいと引っ張って、唇重ねて……なかなか魅力的だろう?」
「その娘さん泣かなかったんですか……」
「ほわんとしてた」
「いやいやいやいや!」
あぶねぇ!
「キスだけですませた俺は、なかなか偉いと思わないか」
「ダメでしょ」
「やっぱりか」
ふふ、とラインはもう一度、愉快そうに笑った。反省の色は少しもない。
「さすがにヤバかったかなぁって思って、懺悔。アクル君聞いてくれてありがとう。双子ちゃんにはちょっとショッキングな内容だったかな?」
「全然!」
「もう驚きませんよ!」
双子はきゃらきゃらと笑った。
アクルは呆れたように、ラインを見つめた。普段は、紳士的で優しく、頭の切れる男なのだ。頼りにもなるし、人望もある。それに加えて、高い背に美しい目、素敵な笑顔、真白な歯、深い声。もてる男なのだ。
そこまではいい。しかし、問題はそこからだ。
アクルは未だに半信半疑なのだが……ボス曰く、ラインは女癖がひどい、と言うのだ。
結婚前の女性にキスなんて、握手をするのと同じこと。今はだいぶましになったらしいが、彼が若かったころは、夜毎に女性をとっかえひっかえ、いろんな女性と関係を持っていたらしい。
さらには、ボスを誘惑したことがあるらしい。馬鹿じゃねぇの、と一蹴されたらしいが。
ボスはそんなラインに、一人の女性を愛してほしいのだと、アクルに打ち明けたことがある。
「あいつは、誰かをひたすらに愛すってことを知らないんだ。いつか分かってくれると信じているよ。一人の女性を愛すことが、どれだけ幸せで美しいことか。」
そう言っていた。
ラインはエストレージャの副ボスの位置にあたる地位におり、エストレージャ創立のころからいる、数少ない人の一人だ。というより、エストレージャ結成時は、ボスとラインとルーク、もう一人の四人だけだったのだが。
創立当初から、ボスは何度も何度も、女癖が悪いラインのことを注意していた。最初こそうるさいと突っぱねていたラインだが、次第にボスの言うことを聞くようになり、今ではだいぶましになったとボスが言っていた。
それでも、時々こっそり、ボス以外のエストレージャの仲間に、実はね、と懺悔することがある。そこで叱ってもらって、やっぱり悪かったよね、と反省するのだ。
さすがに結婚前の女性に手を出したのには驚いたが……きっと本気を出せば、その娘に「パパ、やっぱり私結婚やめる!」と言わせるほどの魅力を、彼は持っている。
魅力と言うより、もうそれは魔力のような力に近いとアクルは思っている。俺は落ちなかったけどさ、とボスは苦笑していた。
「それでも、あいつに恋しちゃおうかなぁって思わせる何かを、あいつは持ってるなってことはわかったよ。オーラ? フェロモン? なんか出てるよ、あいつからは」
と、そんなことも言っていた。
アクルは、それが何となくわかる気がした。男のアクルでさえ、ラインを綺麗だな、と思うからである。このことは誰にも言っていない、トップシークレットだった。
「はい、アクルさん。フルーツジュースです」
ファインがそっとアクルにジュースを差し出した。グラスの中に、オレンジ色のジュースが入っている。ほのかな甘い香りが匂った。
「お、ありがとう。なぁファイン、ラインさんの懺悔聞いた?」
アクルは、ラインに聞こえないように、ひそひそとファインに言った。ファインはくすりと笑う。
「先ほど聞きましたよ。私にはまねできません」
「普通できないよ」
「アクルさんならできますよ」
「どういう意味!?」
「かっこいいという意味ですよ」
思いがけないほめ言葉に、アクルは言葉を失う。そんなアクルの反応を見て、ファインは楽しそうに調理室へ戻って行った。
アクルは知らない。
これはファインなりの、そのかっこよさにボスは惚れてるんだから、馬鹿野郎! の合図である。
恋愛事にはよくあるパターンだが、屋敷の中でも案の定、ボスの気持ちに気が付いていないのはアクルだけだった。その状況に、あるものは苛立ち、あるものは楽しんでいるのだ。ファインは後者に当たる。
アクルの後ろで、扉の開く音がした。アクルは体を後ろに向け、誰が入ってきたかを確認する。
「よお」
アクルの視線に気が付き、手を上げて挨拶したのは、情報屋のギルだった。紫色の長髪を、後ろでひとつに結んでいる。服装はスーツだ。
「アクル、久しぶりー」
ギルの隣にいたのは、ギルの恋人であるアニータであった。淡い桜色の髪の毛は、肩の上でまっすぐにそろえてある。スーツ姿に、頭には薄茶色のキャスケットをかぶっている。とろんとした垂れ目が、アクルを捕えてにこりと笑う。
「ギルお疲れ! アニータ久しぶりだな! なんだよカップルで登場かよ」
「妬くな妬くな」
にやついた笑いを浮かべ、ギルはアクルの横に座った。ギルの隣に、アニータも腰掛ける。その後二人は、目の前に座るラインと双子に挨拶をした。
「朝からデートだなんて羨ましいね」
ラインは二人を見ながら、にやにやと笑う。
「そういうラインさんは、最近おとなしいみたいじゃないですか?」
というギルの言葉に、アニータ以外の全員がにやりとほくそ笑む。そんな全員の反応を見て、アニータは苦笑する。
「もしかして、またなんかやらかしたんですか?」
「さっきまで懺悔していたところだよ」
「んもぉ……ラインさんはこりないですねぇ」
ラインの両脇にいる双子が、ぐいと体を前に出す。
「今回の相手は」
「いつもとは一味違うんですよ」
双子の言葉に、アニータは片眉を吊り上げる。
「えー、それどういうこと?」
「後で俺の懺悔話でも聞いてよ。もうすぐボスが来るだろうから、今は言えないけどね」
「楽しみにしときますよ」
くすくすとアニータは笑った。