6 新メンバー(1)
「だから、帰ります」
そう言ってニールは、長い話を切り上げた。もう泣いてはいなかった。赤い目をこすり、ひとつため息をつく。
「そうか……」
と、ボスは呟いた。他は誰も口を開かなかった。アクルは黙って、病気について考えていた。きっと医者二人もそうだろう。
破壊衝動……どうしようもなく何かを壊してしまいたくなる。それに加えて、何もかもが武器に見えてしまう。
先天性の病気と、後天性の病気。
アクルは素直に同情した。大変だっただろうに。苦しかっただろうに。
きっとこの少年は、まだ十五もいっていないだろう。その少年にかける言葉を、アクルは見つけることができなかった。だから沈黙した。治療室に、少しだけその沈黙が広がる。空気が乾き、時間が止まったようだった。
しかし、ボスによって、すぐにその時間は動き出す。
「よぉし、ニール! ここに残ったらどうだ!」
「えっ」
声を上げたのはニールだったものの、皆ボスの言葉に驚きを隠せない。
どういうことでしょう? アクルは、そこの空気が疑問符で埋まったような気がした。
そんな空気など気にもせず、ボスは続ける。
「お前、辛かったな」
と、素直な言葉で、ニールを憐れむ。ニールの表情が、少しだけ歪んだ。それは、ボスの言葉を肯定していた。
「苦しかったし、大変だったな。俺の感想だが、お前がその年でそんな病気にかかって、ここまで生きてこられたのは凄いことだ。死にたい、消えたいって思ったかもしれないけど、それを実行せずに、生きてきたのは凄いことだ」
「……死ぬのは、怖かったからできなかったんですよ」
下唇をかみ、ニールは言った。そうかい? とボスは笑う。
「生きるのはもっと怖いと思うけどな。生きている限り何かは起こるだろ。お前は人を殺していたかもしれないし、殺されるような怖い思いをしたかもしれないんだ。でもラッキーだったな」
「ラッキー?」
「そうさ、お前は俺たちに出会えた。今まで頑張って生きてきたご褒美だと思いな。俺の名と人生にかけて、もうお前をひとりぼっちになんかさせない。リッツの連中みたいに、ひとりぼっちにして暴れさせたりしない。発作が起こるときは、必ず誰かが傍にいてやる。解決方法を探してやる。部屋もあげるし、食事もやる。何もかも武器に見えてしまうその病気は、絶対にニールの強みになる」
「強み……」
自分に言い聞かせるかのように、ニールは復唱する。
「そうさ」
それをボスは肯定する。
「どうする?」
どうしよう。ニールの目に、はっきりと迷いが見えた。澄んでいる瞳が、右往左往する。
「お前がどうしたいか、だぞ」
お前が、を強調してボスは言った。その言葉に、ニールの目が止まる。
「僕がどうしたいか?」
「…………」
ニールは自問した。皆黙って、その答えを待つ。
「リッツでの生活は、一人ぼっちで寂しい。一人ぼっちから抜け出せるのなら、僕はここに残りたい」
自分の質問に、ニールは即答した。
「でも……」
ニールの答えには続きがあった。皆何か言おうとしていたが、寸でのところでそれを止める。
「リッツの人たちになんて言えばいいのかとか、よく分からなくて心配です。それと、やっぱり迷惑をかけてしまうのは怖いです」
「前者……リッツを抜けられるかどうかは心配するな。多分大丈夫だ。今エストレージャの一員が、リッツに向かってるんだよ」
えぇっ、とニールは驚きの声を上げた。まぁまぁ落ち着け、とボスはニールの両肩を叩く。
「ケンカ売りに行ってるんじゃないよ、様子見、様子見。そいつらに連絡して、交渉するように頼んでみることができる、どうする?」
「……できるんですか」
「たぶんね。挨拶したいっていうんなら別だけど」
「……正直あの集団にいるのは怖いんです」
「じゃぁ逃げちゃえ逃げちゃえ」
「……交渉、お願いしてもいいですか」
「いいこと教えてやろうか」
ニールの慎重な態度に苦笑しながら、ボスは言った。
「子供はワガママ言っていいんだよ」
思わずニールは笑ってしまった。その笑顔を見て、ボスも微笑む。医者の二人も微笑んでいたが、本心は笑ってなどいなかった。
アクルは、作り笑顔で笑うことすらできなかった。
その言葉はニールだけに向けて言っている言葉ではない気がしたからだ。
その言葉はまるで、サキ様に向けた言葉じゃないか。
「じゃぁ、お願いしたいです」
はにかみながら言ったニールの言葉に、アクルははっと顔を上げた。
だめだ、だめだ。今は、ニールのことを考えなければ。アクルは頭を軽く振り、ニールを見つめる。
しかしなぁ、と思う。
この子は一体どういう生活をしてきたんだろう。過去の話を少し聞いただけでも、大変だったはずだ。大変なんて言葉が、軽々しい感じがしてしまうほどに、大変だったに違いない。
でも笑っているから、よかったなとも思う。
「笑顔」が一番だ。
……あぁ。またそこに持っていくか。俺は、馬鹿か。
アクルは心中で、ため息をついた。
ボスと一緒で、結局アクルは一番大切なものに思考を繋げてしまう。その事実を、癖ともいえる思考を、アクルは認めていた。
そうだよ。なんだって「ボスの幸せを願うこと」に繋がってしまうんだ。あの問題が、解決しない限りは、この癖はぬけることがないだろう。
やめだやめだ。
アクルは意識的に、目の前の問題に集中した。
「んじゃ後で頼んでおくよ」
ボスの顔には、笑顔が浮かんでいた。それは偽物の笑顔ではなかった。
ボスは表情豊かな人だ。アクルはそこを、ボスの魅力の一つだと思っている。
「それと、迷惑かけるのも子供の仕事だから心配すんな! わかったか!」
「えっ」
「わかったねっ!」
「は、はいっ」
最後は気合で勝った。無理やりにも見えるボスのやり方に、アクルは少し笑ってしまった。
「んじゃただいまを持ってニールはエストレージャの一員になりました! 以上、解散!」
ボスは立ち上がると、腕を組んだ。偉そうだ。偉いんだけど。
「俺はギルとアニータに交渉するように頼む。もしかしたら現場に向かうかもわからん。そのときはアクル、呼ぶから」
「分かりました」
「それまでアクルは休養してろ」
「仕事はないんですか?」
アクルの言葉に、ボスは口の端を下げて、信じられないと言った表情を作る。
「休めるんだから休んどけよお前……仕事の虫」
「いや……なんか悪いなぁと……」
「んじゃぁアクルは体力回復のため休養してろ」
「はい」
アクルはにやりと笑い、ボスの命令を承諾した。
「ニールも休養! 起きて暴れるのは朝だけなんだろう?」
「多分」
「んじゃぁまだ昼前だし、大丈夫だろう。心配すんな寝てろ寝てろ」
「でも万が一……」
と不安がるニールに、ボスはぴしゃりと言った。
「大丈夫! 俺が保証する。安心して寝るのがお前の初仕事だ」
ニールは黙って頷いた。
「アズムとルークはつきっきりで診てあげて」
「分かった」
ルークが答えた。
「何かあったら俺に電話くれ。内線じゃなくて携帯の方でよろしく。ニールのことは、今日の夕飯で詳しく話そうかな。みんな参加するように連絡しよう。ニールも起きてたら連れてきて。起きなかったら、二人はここに残って診ててね」
「はい」
ルークがにこりと笑って頷く。
「んじゃ、お疲れさまでした。お休みニール」
「……ありがとうございました」
「どういたしましてっ!」
ボスは嬉しそうに歯を出して笑うと、部屋を出た。それにアクルも続いた。黒く、長い廊下に出る。治療室が人でにぎわって暑かったものだから、廊下は普段よりさらに寒く感じた。思わずアクルはぶるっと震える。
「朝から大変だったな、アクル。お疲れ様」
「お疲れ様でした……まさか仲間が増えるとは思っていませんでしたよ」
「俺も」
ボスはにこにこと、楽しそうに笑っていた。それほど仲間ができたのが嬉しいのだろう。それはアクルも同じだった。思わず頬の端が緩む。
「んじゃ、また夕飯で」
「夕飯の知らせは?」
「俺がしちゃう」
「大丈夫ですか? 結構忙しくないですか?」
「大丈夫!」
任せろ! とボスはアクルの背中を思いっきり叩いた。
「いでぇ!」
「お前は寝ろ! 顔が疲れてんだよ!」
「まじすか」
「まじです、隈がヤバいです。寝ろ」
「了解です」
「じゃ、おつかれさーん」
ボスは跳ねるように歩いて、アクルと反対側へ去って行った。きっといったん部屋に戻るのだろう。ボスはスキップしながら帰って行った。くすり、とアクルは笑った。
「仲間ができると嬉しいですよね」
ボスの背中に、アクルはそっと呟いた。