第8話 意外な急接近!
足いてぇ……。お昼を食べ終わり、学食から中庭に出た茂人は、太股辺りに筋肉痛を感じた。
昨日、『にこにこ食堂』まで往復九十分自転車で走ったことが堪えたようだ。おまけに帰りは段ボール箱に目一杯野菜を積み込んでいたため、かなりきつかった。
最近運動不足だもんなぁ。やばいやばい、二十歳過ぎたら老化は始まるって言うし……。茂人は今までも運動らしい運動はしてこなかった。とてもスポーツマンという柄ではないのだが。
しかし、筋肉痛に苦しみながらも、茂人は新鮮な野菜をたくさん手に入れたことに大満足していた。母親も大喜びで、また買って来なさい、と頼まれたくらいだ。母親の場合は、『新鮮な』野菜というより、『無料』の野菜というのが魅力だったのだと思う。
茂人は良い気分だった。春のような爽やかな今日の天気のように、気持ちがすっきりしている。空には太陽が、実際の太陽は眩しすぎてとても直視出来ないが、もし太陽に顔があるなら『にこにこマーク』のような顔だろうと思った。
うわっ……あの女の顔思い出した。茂人の頭には美子の笑顔が浮かぶ。糸目で団子鼻、下ぶくれの美子の顔。すごく不細工だが、嫌な気分になる顔ではなかった。なんとなく、ホッと出来る顔だった。
やば……あんな顔、俺の趣味じゃねぇや。第一、俺とは釣り合わないもんな。茂人は頭の中から美子の顔を追い出した。
俺に釣り合うのは、百合香だ。篠原百合香。
「……!」
茂人は突然立ち止まる。キャンパスの中庭の隅に、その百合香が立っていた。百合香は男子学生と二人で向き合っていた。
「あっ、俺の百合香に!……」
男子学生が百合香の肩に馴れ馴れしく手をかけたのを見て、茂人は思わず二人の方へ足を進めた。
「……?」
茂人が近寄って来たのに気付き、男子学生は茂人をチラリと見た。茂人は無言で二人の前に立ちつくす。勢いで飛び出してきたのはいいが、どうすればいいのか分からない。
「何か用?」
不機嫌な顔で男子学生は聞く。
「成川君」
百合香は男子学生の手を軽く払うと、少し安堵した表情で茂人に笑顔を向けた。
「何? 百合香の知り合い?」
百合香だと!? 呼び捨てとは馴れ馴れしい! 茂人はムッとして男を見るが、何も言い返せなかった。
「そうよ、クラスが同じなの。良かった、ちょうど成川君に用があったの」
百合香はそう言うと、茂人の腕に軽く手をかけた。
「えっ!?……」
不意に百合香に触れられ、茂人は暑くもないのに汗ばんでくる。
「向こうに行きましょう」
「あっ! ちょっと、まだ話終わってないよ。百合香!」
後で男子学生の声がしたが、百合香は構わずグイグイと茂人の手を引いていく。
「あ、あの……」
何? 何? この展開どうなってんだ!? 俺、今、百合香に腕組まれてんだよな! 茂人は狼狽しながら、あたふたと百合香についていく。
「ごめんなさいね、成川君。付き合わせちゃって」
中庭の木の下まで来て、百合香は茂人の腕を放す。
「いや、その、全然大丈夫だから!」
茂人は出てもない額の汗を拭いながら、笑ってみせる。
「さっきの三年の先輩なの。付き合ってくれってしつこくて……」
百合香はフーッと息を吐く。
「でも、私はその気ないから断ってるんだけど、なかなか分かってもらえないの」
「だ、ダメだよね。しつこいのって……」
「そうよね」
百合香は茂人を見つめて笑う。
「ハハハッ……」
茂人は苦し紛れに笑った。笑うしかなかった。あの憧れの百合香と見つめ合いながら笑う。最高のシチュエーション! なのに体は強ばり、笑顔はひきつる。
こっ、これは当然の成り行きだ……美男美女のベストカップルじゃないか! 段々と直樹の喋りに近づいてる自分に狼狽えながらも、茂人は平気を装った。
「わわわっ……ミスキャンパスと成川君のツーショット!」
木の陰から、直樹はその様子を密かに見ていた。
「き、昨日のデートって、もしかしてミスキャンパスと!?……」
直樹は思わず大声を出しそうになり、慌てて自分の口を押さえる。
「……信じらんないなぁ。成川君は絶対彼女出来ないタイプだと思ったのに……」
見つめ合う二人の姿を眺めながら、直樹は目を丸くして呟いた。