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第7話 『にこにこ青果店』

「この間は本当に申し訳ありませんでした!」

 突然、美子はペコリと九十度頭を下げる。最敬礼のお辞儀だ。

「クリーニング代足りましたか? カレーの染みはおちましたか?」

 美子は顔を上げ、心配そうな瞳で茂人を見つめる。……否、目が細すぎて実際には瞳までは分からなかった。

「あ、染みはおちたから……それと、これお釣り」

 茂人はポケットから財布を取りだし、クリーニング代の釣りを美子に差し出す。

「いえっ! いいんです。お釣りはとっておいて下さい!」

 美子は頭を振り、一歩後ずさる。

「けど、クリーニング代安かったから、だいぶあまったし……」

「結構です! どうか貰ってください。私の責任ですから!」

「いや、でも……」

 何もそんなにムキになることでもない気がする。茂人は軽く息を吐く。

「じゃ、これで買うよ野菜」

「そんなにたくさんですか!?」

 美子は目を丸くしながらも、嬉しそうな顔をする。もちろん、目の細い美子の目は丸くはならない。

「は?……あぁ」

 ま、いいやどうでも。茂人は自転車を店の前にとめて店に入った。

「どうぞ、新鮮な野菜がたくさんありますから」

 美子はまた、にこにこマークの絵のような顔になって、茂人の側に寄って来る。

「何?……君、ここでバイトしてんの?」

 美子をうっとうしく思いながらも、茂人は聞いてみる。

「そうですね。ここ、私の家ですから。今、母親が風邪で寝込んでいるので、フルでバイトしてます」

「ふ〜ん、じゃ、今父さんと二人でやってるんだ?」

 茂人はキャベツを籠に入れながら聞く。

「いえ……父は半年前に病気で亡くなりましたので……」

 美子が言葉を切り俯く。やば……余計なこと聞いたかな? 茂人は慌てながらも、二個目のキャベツを籠に入れる。

「……キャベツお一人様一個限りって訳じゃないよな?」

「はぁっ、いいえ! うちは何個買っていただいても構いません!」

 美子はサッと顔を上げ、また笑顔を作る。

「そ、そう……」

 茂人は三個目のキャベツを籠に入れる。

「大根や玉ねぎもいかがですか?」

 美子が満面の笑みで茂人に迫る。

「あ、あぁ」

 茂人は勧めにのって、大根と玉ねぎもそれぞれ二つずつ籠に入れる。……なんか、買いづらいなぁ。向こうに行ってくれりゃいいのに……。茂人がそう思い始めた頃、レジに並んだ他の客が美子に声をかけた。

「はい! 今行きます!」

 美子は元気に返事を返すと、レジに走って行った。茂人はホッとする。いくら美子が不細工とは言え、若い女性に付きまとわれた経験のない茂人には、女性と二人でいるということに慣れていなかった。


 しばらく店内を見回った後、茂人は籠の中に山のように野菜を詰め込んでレジに向かった。

「ありがとうございます!」

 美子はまたペコリとお辞儀をした。

「お会計は結構です。さっきのお釣りで充分足りてますから!」

「そ、そう……」

「段ボールにお入れしますね、袋には入りきらないと思います」

 言いながら、美子は次々と段ボールの中に野菜を詰めていった。

「あのさ……今、一人で店の番してる訳?」

 手当たり次第バラバラに野菜を詰め込む美子を見ながら茂人が聞いた。あっ、大根はみ出てる……。

「あ、俺が入れるよ」

 要領の悪い美子を見かねて茂人が言った。

「あっ、すみません!」

 美子は悪びれず、茂人に任せる。

「もうすぐしたら、中学生の孝子と小学生の和彦と浩二が帰って来ますから、一緒に手伝ってもらいます。そしたら私、幼稚園に恵子を迎えに行かなきゃならないんです」

「はぁ……」

 何人きょうだいがいるんだ?

「じゃ、最近大学行ってないの?」

「えぇ、母の風邪が治るまでは休もうと思います」

「ふ〜ん、大変だな」

 特に大変だと思った訳でもないが、茂人は適当に返事をする。よし! バッチリ詰め込めたぞ! 茂人は色んな種類の野菜を小さな段ボールにキッチリと詰め込んだ。

「じゃ、ありがと」

 茂人は段ボールを抱え、店を出ようとする。

「あっ、あの、待ってください!」

 美子は慌てて追いかける。

「お名前まだ聞いてませんでした」

「名前?……」

 ゲッ、この女俺に惚れたんじゃないだろうか??……。茂人に一抹の不安が走る。

「成川茂人……」

「なるかわしげと」

 美子は茂人の名前をリフレインすると、レジに走って行き何かを書き込んでまた戻って来た。

「これ、ポイントカードです! 今度からこれを持って来て下さい。カードのにこにこマークがいっぱいになったら、五百円引きさせていただきます!」

 美子はにこにこ笑顔で、手書きのカードを差し出す。

「……」

 カードには三つのにこにこマークが押されていた。……この女、結構商売上手だな。

「箱に入れておきますね。また来て下さい」

 両手のふさがった茂人を見て、美子は段ボール箱にカードを差入れ、また深々とお辞儀をした。

「ありがとうございました!」

 後で美子の大きな声を聞きながら、茂人は店を出た。自転車の荷台に段ボールを置いて、カードを取り出す。

「……」

 さっきのカードの名前欄には、ミミズのような文字で『鳴河繁斗』と書かれてあった。なんだこの名前は! 茂人は軽く舌打ちする。あの女、わざとらしく名前を書き間違えやがった……。これからまた四十五分間自転車を漕がなきゃいけないかと思うとうんざりしたが、無料で山のような野菜をゲット出来たことは幸運だった。

「にこにこ青果店か……」

 また、来てみようかな。茂人はもう一度すり切れた看板を見て、自転車のペダルを踏んだ。



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