第6話 衝撃の再会
結局、美子に貰ったお金のお釣りは、まだ茂人が持っていた。美子にカツカレーを浴びせられて数日経つが、あれ以来大学では美子の姿を見かけていない。カレーまみれになっていたシャツもジャケットもズボンも、綺麗になってクリーニング店から戻って来た。 お釣りのことは美子に電話をかければ済むことだ。だが、茂人はなかなか電話をかける気にならなかった。
あんな女に電話なんてかけられるか。と茂人は思っていたが、実は茂人は今まで一度も女の子に電話をかけた経験がない。美子だって一応若い女性。『女性』に電話をかける! と考えただけで緊張して手が震えてしまうのだった。
「そんじゃ、行って来ま〜す!」
今朝も健人は大慌てで朝食を済ませ、あたふたと家を出ていく。
後、十分早く起きろっての。健人の後姿を目で追いながら、茂人はゆっくりとモーニングコーヒーをすする。
「今朝のチラシはと……」
新聞の折り込み広告を片手でチェックする。いつも立ち寄る大型スーパーのカラーチラシ。あの店はダメだ、商品高すぎるもんな……。電気店やパチンコ店のチラシをめくっていくと、一番最後に二色刷の小さなチラシが入っていた。
「なんだこれ? 『にこにこ青果店』……!」
茂人は、初めて目にするそのチラシにくぎ付けとなる。
「やっ、安い」
どの品もいつも行く大型スーパーの半額以下だ。しかも、『本日限りの百円均一セール』を行っている。キャベツ一玉、大根一本、玉ねぎ一袋がオール百円!
「どこ? どこ? どこ!」
茂人は食い入るようにチラシを見つめ、店の住所を探す。
「ちょっと遠いなぁ……けど、行かないわけにはいかん!」
自転車を必死で漕いでも三十分以上はかかる距離だった。今までチラシが入らなかったのも遠すぎるせいだろう。だが、茂人の心はもう決まっていた。
「よし! 今日は『にこにこ青果店』に直行だ!」
担当教授が欠席したため、茂人のその日の講義は午前中で終わった。
ラッキー! 『にこにこ青果店』に早く行けるぞ! 茂人が喜んで帰ろうとした時、後に嫌な気配を感じた。
「なっ、成川君!」
直樹だ。彼奴の声を耳にすると悪寒が走る。
「この間はありがとう。僕のジャージ洗濯してくれて。柔軟剤仕上げまでしてくれて嬉しかったよ。すごく良い香りがしてた」
直樹はヘラヘラと笑う。柔軟剤仕上げは当然だろ。茂人は無視して足を進める。
「あっ、僕も今日は終わったんだ。一緒に帰ろうよ。良かったら秋葉原まで付き合ってよ」
「ダメだ。俺、これから行くとこあるし」
「えっ、どこ? 僕も一緒に行っていい?」
直樹はしつこくついて来る。
「ダメ!」
「えっ? なんで、なんで?」
茂人が小走りになると、直樹も小走りになって追いかけてくる。
「もっ、もしかして、デート??」
「は?……ま、まあな」
面倒くさくなった茂人は適当に答える。
「えっ? ええ!?」
驚きのあまり立ち止まった直樹を置いて、茂人は逃げるように走って行った。
『にこにこ青果店』までの道のりは、予想以上に遠かった。自転車で四十五分も走った後は、さすがに息があがった。
「って、店はどこだ?……」
住宅街らしき細い道に入り込んだ茂人は、辺りをキョロキョロと見回す。しばらくすると、買い物かごにたくさん野菜を詰め込んだ主婦らしき女性が通りかかった。
「あの、『にこにこ青果店』って?……」
「えっ? あそこよ。にこにこマークの絵が描いてあるでしょ」
主婦は、後を振り向いて指さす。その方角を見ると、普通の家の二階部分に看板が掲げられ、黄色いにこにこマークのイラストと『にこにこ青果店』という文字が読めた。辛うじてそう読めた。看板はだいぶ古くなっていて、色が随分と薄れていたのだ。
「今日は特別安いわよ。早く行かなきゃ売り切れになるからね」
主婦はケラケラを笑いながら去って行く。茂人はダッシュで自転車を店の前まで走らせる。小さい店の割にはお客が多いようだ。キキキィとブレーキをかけて自転車を止めると、店の中から店員らしき女が店頭に出てきた。
「いらっしゃいませ!」
明るく澄んだ声。茂人は顔を上げて、声の主の方を見た。
「あっ!!……」
茂人は思わず絶句する。糸のような目をして満面に笑みをたたえる、看板の『にこにこマーク』そのものの顔。ここ数日、茂人の頭から離れられない顔だ。正確には、離したくても離れないあまりに印象的な顔……。
「あっ……」
そのままの笑顔を崩さず、美子も驚いて茂人を見つめ返した。