第4話 見慣れぬ顔
目、細っ……。
茂人は女の目を見て思った。こんな細い目を間近で見るのは初めてだった。それに、低い団子鼻、手入れのされてないゲジゲジ眉毛、厚ぼったい唇。
こんな不細工な顔、初めて見た! おまけにこの女化粧さえしていない。髪は伸ばし放題にしたのを黒ゴムで一つにくくっている。服も安物のトレーナーにジャケットとよれたジーンズ……。全くの普段着だ。
いいのかこれで?……。
野放しの女の格好を見て、茂人は今の状況のことも忘れ、しばし見入っていた。
「あの……すみませんでした」
女は茂人に向かってお辞儀をすると、近くの床に落ちていた皿を拾った。
「このサラダは大丈夫みたいです」
ポテトサラダが入っていた皿だけは、ひっくり返らずそのまま上手く着地したようだ。皿の中にはこぼれることなく、ポテトサラダが入っている。
女は微笑むと茂人に皿を差し出した。笑うと細い目がもっと細くなって糸のようになる。 待て、このサラダだけ食えっていうのか!?
「いらないよ」
茂人はムッとして女を睨む。
「どうしてですか? このサラダ床には落ちてません。きれいですよ」
女はなおも皿を掲げて茂人に迫る。
「せっかく作っていただいたサラダです。食べないなんてもったいないです!」
「食えるか、そんなの!」
大声を出した拍子に茂人の腹のカレーがダラリと垂れた。
「……」
二人の様子を見ていた学生達から、クスクス笑う声が聞こえる。茂人は今の自分の置かれた状況に気づき、急に恥ずかしくなった。
「ナルシー!」
転んでいる茂人を発見した直樹が、二人の元に駆け寄って来た。
「うわぁ!……こりゃ大変だ。成川君早く着替えなきゃ。カレー染みはなかなか落ちないよ」
「……着替えなんか持って来てねぇよ」
「僕のジャージを貸してあげるよ。昨日体育の授業で使ったのがあるからね」
ゲッ、こいつの着たジャージ!? 想像するのもおぞましかったが、他に手段はなかった。見せ物のようになっているこの場からも早く離れたい。
茂人は腹に乗っかっていたカツとカレーとご飯を手でたぐり寄せ、起きあがってトレーの中に入れた。床に転がっている他の皿やコップも拾い集める。女が手に持っていたサラダは無視した。
「サラダ、食べないなら私がもらっていいですか?……」
女が小声でたずねる。
「ああ」
茂人は面倒くさそうに返事をすると、汚れた床を拭くため食堂の人に雑巾を貸してもらいに行った。女はホッとしたように、サラダを持って立ち上がった。
「あの……これ、クリーニング代です。受け取ってください」
床を拭く茂人に、女が五千円札とメモ用紙を差し出した。
「もし、お金が足りなかったりシミが 落ちなかったら言ってください」
「……」
茂人は黙ってお金とメモを受け取った。
「本当にごめんなさい。……注意して歩いてなかったもので」
女はペコリとお辞儀をし、細い目をもっと細くして微笑んだ。
やむなく直樹のジャージに着替え、午後からの講義を休んで茂人は大学を早退した。汗くさくて小さすぎる直樹のジャージをどうにか着込み、上からカレーの匂いのするジャケットを羽織って、茂人は電車に乗り込んだ。
直樹が持っていた紙袋に汚れたシャツとズボンを入れて持ち帰る。茂人には小さいジャージのズボンは、電車に座ると膝下の方まで上がり素足がもろに出た。耐えきれない屈辱だ。一刻も早く家に帰りたかった。
「……」
ふと、茂人はポケットに入れていた女のメモ用紙を取りだしてみた。そこには女の名前と電話番号が書かれていた。
「本城美子……」
美子。美しい子と書いて美子……。茂人は美子の顔を思い浮かべる。あんなにも名前と顔が一致しない人物は未だかつて見たことがない。完全に名前負けしている。性格だけは良さそうだったが、アレで性格さえも悪ければ救いようがないと思う。
ま、いいか。もう会うこともないだろうし。
茂人はメモ用紙を丸めてくしゃくしゃにし、ポケットに突っ込んだ。