第23話 相合い傘とチョコレート
「あの、私も講義終わったので、駅まで一緒に帰りませんか?」
「え?……あ、うん」
いつもと変わりない美子の笑顔。相変わらず目が細くて団子鼻で化粧っ気のない顔。百合香の美人顔を見た後には、余計に見劣りのする顔。だけど、茂人は美子の顔を見て、なんとなく安心した。
「あ、傘忘れたんだった」
パラパラと降っていた雨が、本格的に降り始めた。
「私の傘がありますから」
美子が赤い傘をさしのべる。
「俺が持つよ」
茂人は立ち上がると、美子から傘を受け取った。茂人にとって生まれて初めての『相合い傘』だ。少し照れて先に歩き出すと、美子が小走りに駆けてきた。
なんか、相合い傘で歩くのって難しいなぁ。歩く速さも合わせなきゃならないし、傘の位置も考えなきゃならないし……。
美子は歩くのも遅く、茂人についていくため早足になる。茂人が自分の方に傘を寄せるため、美子の右半分は雨で濡れた。それでも、ちょこちょこと美子は茂人についてきた。
「成川さん」
しばらく無言で歩き続けた後、美子が突然口を開いた。
「え? あ、悪ぃ、傘独占してた……」
茂人は慌てて傘を美子の方にかざす。美子のジャケットの右肩には、大きな雨の染みが出来ていた。美子は気にしている様でもなく、フフッと笑った。
「今日はバレンタインですね」
「は?……」
茂人はドキッとして、思わず立ち止まる。
「そ、そうだな」
「成川さんに教えて貰ったようにトリュフを作って、今朝父に供えて来ました」
「そ、そう」
美子は上手く作れたのだろうか? 茂人は少し不安だった。
「私、成川さんの分も作ったんですよ。成川さんのチョコは父のとは違うものを作りました」
美子は鞄の中から袋を取り出す。『にこにこ青果店』のにこにこマークつきの袋だった。美子は茂人を見上げ、恥ずかしそうに微笑んだ。その笑顔を目にした途端、茂人の顔は見る見る赤く染まっていく。
「どうぞ、受け取ってください」
「……あ、ありがと」
茂人は差し出された店の袋を、カサカサ言わせながら受け取った。
「あの、それと、成川さん、良かったらバイト続けて貰えませんか?」
「え? バイト? 母さんの具合もういいんじゃないの?」
「はい、そうなんですが……私、成川さんに家事のこともっと教えてもらいたくて。ダメですか?」
美子は視線を落とす。
「い、嫌じゃないけど……」
美子の笑顔が消えそうになり、茂人は慌てて答えた。
「良かった。それでは、また明日から来て下さいね」
「うん……」
茂人と美子はまた歩き始める。茂人はホッとした。自分の正直な気持ちとして、本当はバイトを辞めたくないんだということを確信する。
「成川さん、その傘使ってください」
駅に着いた時、美子が言った。
「私、駅に着いたら家に電話して弟か妹に迎えに来てもらいますから」
美子はフフッと笑い、茂人が返そうとした傘を断った。
「今度、バイトに来られる時返して貰ったらいいです。では、さようなら」
そう言って、美子は歩いて行こうとする。
「あっ、ちょっと」
茂人は鞄の中からもう一つの袋を取りだした。
「これ、俺が作ったチョコレート」
「え? 私にもくださるんですか!?」
美子は驚いて、顔がくっつきそうになるくらいチョコレートの袋に顔を近づけた。
「あ、あの、それ、父さん用だから。お供えしてあげろよ……その後、皆で食べたらいいだろ」
「ありがとうございます! 父もきっと喜びます!」
美子は満面に笑みを浮かべチョコレートを受け取る。そして、ペコリと頭を下げると、そのまま走って行った。
彼奴の手作りチョコじゃぁ心配だからな……。茂人は美子の赤い傘とスーパーの袋に目をやる。……しかし、もうちょっと女の子らしいラッピングとかしないのかねぇ? これ、店の袋だろ。ま、そこが彼奴らしいってことか。
茂人はニヤリと笑う。赤い傘は、俺がもう一度美子の店に行くための保険なのかなぁ? 否、口実? そんなに俺に来て欲しいと思っているんだ……。な、ことは彼奴はちっとも思っていないんだろうけど。
ドタドタと躓きそうになりながら階段を駆け上がって行く美子。その後姿を眺めながら茂人は微笑んだ。
「ハート、壊れてんじゃん……」
家に帰った茂人は、美子手作りのチョコを眺めて呟く。どうにかハートマークに見えるでこぼこしたチョコは、真っ二つに割れていた。
ハート形のチョコを贈るのはタブーだろ……。ま、見栄えは悪いけど、味だけは良いのかもしれないな。 茂人にとって初めて貰う手作りチョコだった。やっぱり嬉しい。
二つに割れたハートをまた小さく割って口に含んでみる。
「……まずっ」
思わず顔が歪む。美子にはみっちり料理を教え込まなきゃいけないと茂人は思う。付き合う付き合わないは別として、百合香の手作りチョコを食べたかったと思う茂人だった。