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第22話 バレンタイン・デイ、運命の日

 明日はバレンタイン・デイ。

 ベッドに入った茂人は、なかなか眠れないでいた。このところ寝不足気味だ。食欲も落ちて体重も減った気がする。ハァーと、茂人は深くため息をつく。今夜は特に眠れそうもない。

 美子の店のバイトにも行っていない。まだ正式に辞めた訳ではないが、ここ数日は店に行く気がしなかった。美子にも会っていなかった。

 さっき百合香からメールが届いた。内容は、『明日、授業が終わったら中庭に来て』という簡単なメッセージだった。明日がバレンタインということを考えると、百合香がチョコを渡すのだろうということは分かり切っていた。

真剣な恋愛。本気の恋愛……。あの憧れの百合香と本気の恋愛が出来るなんて、最高の幸せのはずだ。『付き合ってください!』なんて言われたら、一つ返事でOKだ!

 しかし、そう思っても、茂人は何か心に引っかかるものがあって、幸せな気分になれないのだった。その原因は美子に間違いない。百合香のことを思い描こうとしても、何故か美子の顔が浮かんでくる。真面目で一途な百合香は、相手が他の女のことを考えているなんてことは許せないだろう。

 百合香をふるなんて、そんなもったいない事出来ない! あんなに美人でスタイルよくて優しいのに、手放せるか! 百合香の真剣な眼差しを思い出し、そんなことを考える自分に自己嫌悪を抱く。茂人は頭から布団を被ると、ウォーッ! と声にならない叫び声を上げた。こんな時は直樹と馬鹿話で気を紛らせると良いが、直樹はまだインフルエンザでダウンしていた。

 頭はどんどん冴えてきていっこうに眠れそうもない。バレンタインなんかなければいいのに……。茂人は布団をはねのけるとベッドに身を起こした。ここ数日の寝不足のため、目の下にはくっきりとクマが出来ている。明日は一層酷いクマになりそうだ。

 どうせ眠れないんだ。なら、いっそのことずっと起きているか。……逆バレンタインなんてのも有りかもしんないし。茂人はふとある事を思いつき、上着を羽織ると台所に駆け下りていった。


 バレンタイン当日。

 前日の晴天とうって変わり、朝からどんよりと曇っていて今にも雨が降りそうだった。昨夜、茂人は結局一睡も出来なかった。徹夜明けのぼんやりとした頭で大学に向かい、半分眠ったような状態で講義を受けた。

 バレンタインということで、キャンパス内は朝からざわめいていた。浮かれた顔をした人、ソワソワと落ち着きのない人。義理チョコ、友チョコ、本命チョコの受け渡しは、既に朝一番から始まっていた。

 茂人は今年も義理チョコ類は一個も貰えなかった。まだ、去年までのように何も考えずのほほんとバレンタイン・デイをやり過ごす方が良かった。今年は運命の『本命チョコ』が待っている。帰りに中庭に行くのが恐い。バレンタイン・デイなんかなくなれ! と茂人はまた思う。


 傘持って来るの忘れた。茂人は泣き出しそうな空を見上げて気付いた。家に帰るまでなんとかもってくれたらいいけど。

 講義が終わり、ついに運命の時が訪れる。茂人の頭はブレイク寸前だった。もうどうにでもなれ! 緊張と不安を通り越し、茂人は開き直る。

 中庭のベンチに腰掛け、百合香が来るのを待った。今日、何度か百合香の姿を見かけたが、出来るだけ近寄らないようにして話もしていない。百合香の方も茂人を避けていたようだ。

「あっ……」

 足を投げ出しダラリとベンチに座っていた茂人だが、百合香の姿を発見すると胸がドキドキ高鳴ってきた。慌てて姿勢を正し座りなおる。百合香が手に抱えている透明ラップでくるんだ籠の包みが、嫌でも目に入ってくる。

「ごめんね。待った?」

 百合香が笑顔を向ける。

「う、ううん」

 茂人もどうにか笑顔を作った。百合香はちょこんと茂人の隣りに座る。

「……」

 しばらく、百合香は黙ったまま膝に乗せた包みを見つめていた。

「あ、あの」

 茂人はゴクンと生唾を飲み込み、口を開く。

「し、篠原さんには、男の友達っていうポジションは必要ないのかな?」

「友達?……」

 百合香は顔を上げて茂人を見つめる。その少し動揺したような真剣な眼差しに、茂人の心は一瞬たじろぐ。

「も、もし、俺が篠原さんのチョコ受け取れなかったら……その、俺、篠原さんの友達にもなれないのかなぁと思ったりして……」

「無理」

 百合香は再び目を伏せた。

「私は、男の友達なんて出来ない。友達のままでいることなんか無理だもの……」

「そ、そうか……」

 再び沈黙が続く。茂人の頭の上にポツリと雨粒が一つ落ちてきた。頭のてっぺんがひやりとする。

「……それが答え?」

 しばらくして、百合香がぽつりと言った。

「え?」

「成川君は私のチョコレート受け取らないっていうこと」

「いや、その、えーと」

 百合香が茂人を見て微笑んだ。その笑みが少し寂しげで、茂人は泣きたい気持ちになる。しかし、茂人は百合香のチョコレートを受け取れなかった。

「分かった。この手作りチョコは私が食べるわ。結構時間かけて作ったから、いい出来だったんだけど」

 百合香は包みを握りしめる。

「成川君は他の男の人と違って、すごく素直で正直でいい人だなぁと思った。一緒にいてとても安心出来たの。でも、仕方ないわね。ありがとう」

 百合香は立ち上がった。雨粒がポツリポツリと体に落ちてくる。

「あ、あの、待って」

 茂人は鞄の中から包みを取り出し、百合香に差し出した。

「この前話したよね。俺、チョコ作り上手いって。それで、昨日作ってみたんだ。あの、良かったら食べてもらいたくてさ」

 百合香が不思議そうな顔を向けた。茂人の心臓は早鐘を打つ。

「べ、別に意味ないから。その、バレンタインとか関係ないし。ただ、俺のチョコ食べてもらいたいだけだからさ。……友達として」

「……ありがとう」

 百合香はチョコの入った紙包みを受け取る。

「成川君となら、もしかしたら友達でいられるかもしれないね」

 百合香は口元を弛めた。

「彼女と上手くいくといいね。私、応援してるから」

 そう言い残し、百合香は去って行った。茂人の体中の力が抜け落ちていく。今にも失神しそうだ。雨足が段々と強くなってきたが、茂人はしばらく茫然としていた。

 百合香のチョコを受け取らなかった! 百合香をふってしまった! 茂人の頭の中で叫びにも似た声がこだました。

 ……『彼女』? 『応援する』? ふと、茂人は百合香の言葉を思い出す。あの彼女っていうのは──。

「成川さん、濡れますよ!」

 体を濡らしていた雨が突然止んだ。見上げると赤い傘が開かれ、、にこにこ笑顔の美子が茂人を見下ろしていた。

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