第21話 本気の本気
「あのさぁ……」
茂人は箸を休めて、口を開く。今日は食欲がない。日替わり定食Aセットもまだ半分しか食べていなかった。
「はい? 何でしょう?」
美子は最後の唐揚げを口に入れると、茂人の方を向いた。山盛りのご飯も全てたいらげ、美子のトレーは綺麗に片づいている。
「俺、バイト辞めようと思うんだけど……」
茂人は美子の顔を見ずに答えた。
「お母さんの具合も良くなっただろ、別に俺がいなくても大丈夫そうだし」
「そうですかぁ」
美子は口をモグモグさせて唐揚げを飲み込むと、最後に一気にコップの水を飲んだ。
「ごちそうさまでした!」
まるで洗ったかのように綺麗になった食器を前にして、美子は両手を合わせた。
「私、図書室に用があるので、これで失礼しますね」
美子は腕時計を確認しながら立ち上がった。
「あ、ちょっと」
まだ話終わってないだろ。俺が考えに考えてバイト辞めるって言ってんのに、『そうですかぁ』の一言で済ませるのかよ。
「すみません、急いでいるもので」
「で、良いの? 辞めても」
「成川さんが辞めたいのなら構いませんよ。バイト代は計算して後でお渡ししますね」
美子はニコッと微笑みかけると、トレーを持って足早に去っていった。
「……」
茂人は、スタスタと歩いて行く美子の後ろ姿を目で追った。どっと力が抜けていく。
なんだ、あの女は!? 人の気も知らないで。もうちょっと残念がるとか寂しがるとか出来ないのかね? 茂人はもう定食を食べる気もしなくなり、コップの水をゴクリと一口飲む。
待てよ。俺、美子に何期待してんだろ? 『成川さん、辞めないでください!』なんて言葉を期待してるのかな?……。あの細い目をウルウルさせて。そんな事を考え、茂人の頬は赤くなる。
ばかばかしい。茂人は半分残った定食のトレーを持つと、席を立った。
学食を出た後、茂人は中庭の芝生に出てベンチに腰掛けた。春を思わせるような日差しがポカポカと降り注いで、日向ぼっこにはちょうどいい。風は少し冷たかったが、さわさわと木々を揺らす風の音は、子守歌のように耳に心地良かった。
茂人はポケットからコンパクトを取りだし、鏡の中の自分の顔を見てみる。目がとろんとして、瞼がくっつきそうになっている。……そう言えば、最近コンパクトを覗いたり、鏡に映る自分の姿をチェックしたりしてなかったなぁ。茂人はふと思った。
前は、自分のことにしか興味がなかったような気がする。何でも自分が一番。全ては自分中心に回っている。他人のことになど関心なかった。
でも、今は──。コンパクトの中の茂人の頬がピンクに染まる。
「成川君、隣り構わない?」
ボーッとしていた茂人の斜め上から、突然声が聞こえた。
「あっ」
仰ぎ見た茂人の視線の先には、百合香の笑顔があった。茂人は慌ててコンパクトをしまう。
「ど、どうぞ……なんか、暑いね今日は」
百合香が隣りに座り、茂人は手で顔に風を送りながら無意味に笑った。
「良い天気よね」
百合香も茂人に合わせて笑った。笑い合った後、しばらく沈黙が続く。百合香、俺に何の用だろ? 軽い緊張感で、茂人の眠気は飛んでいった。
「……あの」
「成川君」
茂人が話を探して口を開くと、百合香が茂人の方に向いて声をかけた。
「はい」
茂人は声をうわずらせて返事をする。
「この前話したわよね。バレンタインに手作りのチョコを渡すって」
「あ、うん……」
俺にくれるって事かな? 緊張感が高まる。
「私、本気で好きな人にしか渡さないの」
「あ……義理とか友達には渡さないタイプなんだ」
茂人は顔を強ばらせて笑った。百合香の真剣な表情に笑うしかない状況だった。
「軽い気持ちでとか遊びでは、恋愛はしたくないの。本気の恋愛がしたいのよ。分かる?」
「……うん」
つまり、チョコを渡された相手は結婚を前提とした付き合いが始まるってこと!?……茂人はゴクリとつばを飲み込む。
「だから、私ってなかなか恋愛出来ないんだと思う……」
百合香は目を伏せて、自分の手を弄んだ。……百合香ならいいじゃないか。け、結婚相手になったとしても。茂人は百合香の花嫁姿を想像したりする。
「でも」
百合香は顔を上げると茂人を見つめた。その美しい顔に茂人はドキッとする。やっぱり百合香は綺麗だよなぁ……。最近美子の顔ばかり頭に浮かんでいたため、茂人は余計にそう感じた。
「私は、相手にも同じように真剣で本気の恋愛をして貰いたいと思ってる。だから、もし相手にそういう気持ちがないなら、チョコは受け取って欲しくないと思うの」
「う、うん……」
茂人は冷や汗が出てきそうだった。これは、俺への忠告だろうか? 百合香ならいいじゃないか、望むところだ。
「お、俺もそう思うよ。恋愛ってのは本気の本気でしなきゃいけないって」
茂人はどうにか笑顔を作りそう言った。額からタラリと一筋汗が流れ落ちた。