第16話 恋煩い
昨日からどうもおかしい、と茂人は思う。何故か美子の顔が頭から離れない。どこをどう見ても美人とは言えない美子の顔。俺、熱でもあるのかなぁ……。自分で自分の額に触ってみるが、普段どおりの平熱の温かさだ。
眠る前だって美子のにこにこ笑顔と明るい声が頭に浮かんで、なかなか寝付けなかった。美子が夢にまで出てくるんじゃないかと思ったくらいだ。だが、美子のことを頭に描くと、なんとなく心地よくてほんわかとした気分になる。夢に美子は出てこなかったが、いつの間にか眠っていた。
おかしい、絶対おかしい! あんなに不細工な顔なのに。茂人はハァーとため息をついて、教室の机に突っ伏した。今朝はのんびり家でくつろぐ気にもなれなかったから、早めに学校に出てきた。
「あっ、成川く〜ん!」
ダラリと机に伏している茂人の元に、直樹が駆け寄ってきた。今日はいつも以上にテンションが高い。
「どうしたの? まだ眠いの?」
直樹は茂人の横の席につく。
「昨日は急に帰ったりしてさぁ。すごく楽しかったんだよ。成川君も来れば良かったのに」
茂人はゆっくりと身を起こす。そうだ、昨日はカラオケをドタキャンしたんだ……。百合香は怒っていないだろうか? 茂人はキョロキョロと百合香の姿を探すが、この講義を百合香は受講していないことに気付いた。
「……お前、四時間も歌ったのか?」
「うん、みんなとは四時間歌った。と言ってもねぇ、みんな恥ずかしがって歌おうとしないから、ほとんど僕が歌ったよ。歌ってるとすごくのってきたから、みんなが帰った後も僕一人で二時間歌ったんだぁ」
茂人は深く息を吐く。恥ずかしがった訳じゃなくて、直樹の歌にドンビキしたんだ。きっと、最悪の雰囲気だったんだろうなぁ……。もう二度と百合香達からはカラオケには誘われないだろうと、茂人は確信した。
「ねぇ、どうしたの成川君? なんか元気ないね」
直樹は心配している風もなく、ヘラヘラ笑って聞いた。
「お前なんかに聞いても無駄だろうと思うけどさ……」
「えっ? 何々? もしかして恋煩い!?」
「恋煩い?……」
茂人は直樹の分厚い眼鏡を見つめたまま固まった。茂人の胸が小さく疼く。
「わ、わっ! 成川君図星?」
直樹が眼鏡の奥で目を瞬かせる。
「篠原百合香の顔が頭から離れなくて、ず〜っと彼女のことばっか考えてるんでしょ」
「百合香?……」
いや、俺の頭から離れないのは百合香の顔じゃなくて……。茂人の頭にまた美子の顔 が浮かんできて、心臓がバクバクしてきた。
「ああ、いいなぁ〜そんなに人を好きになるなんてさぁ。あっちも成川君に気があるみたいだしね」
「……」
や、百合香じゃないんだ。……えっ? でも、まさかあの女なんか……。茂人は動揺する。
「もうすぐバレンタインなんだし、きっと篠原百合香からアピールあるんだろうなぁ。いっそのこと成川君の方からも彼女にアピールすれば?」
「……」
「成川君? 聞いてる?」
「え? あ、あぁ」
「いいよなぁ。本物の恋なんてさ。僕はまだアニメキャラの女の子にしか恋せないんだよね」
「……」
恋。考えてみると、茂人は今まで一度も女の子を好きになったことがなかった。自分の周りに女の子が寄って来ないことを不思議に思いながらも、茂人の方から近寄って行くということがなかった。百合香のように、いいなぁと思う女の子は今までも何人かいたが、この気持ちは今までとは違う。
何考えたんだろ、俺! 美子なんか考えられない。俺が好きなのは百合香だ! 茂人はそう思いこもうとするが、追い払っても追い払っても美子の笑顔が頭から離れなかった。
「ねぇ、成川君、本当に大丈夫?」
さっきから黙って頭をブンブン振っている茂人を、直樹は不思議そうに見つめた。
「こりゃ、重症の恋煩いだね」
直樹の言うことなど茂人の耳には届かない。もちろんその日の教授の声も全く耳には入ってこなかった。