魔女姉妹
ずっと一緒にいるからね……
そう言って、旅立っていったあの子を、私は見送った。
私はミーナ。森に住む魔女だ。
鬱蒼と茂る木々は暗緑の葉を風に揺らめかせ、虫の鳴き声と共に、森の中を彩る。
昼日中でさえ光を遮り薄暗いこの場所に、街の人間は滅多なことでは近寄ろうとしない。
人間嫌いな私には有難いが、人懐っこい妹には、少々寂しい環境のようだ。
「おかえり、お姉ちゃん」
「ただいま」
薬の材料となる薬草を取りに行っていた私が家に入ると、奥の部屋から妹の声がした。
森の中の一軒家。それが私たちの住居。
両親はいない。
妹が幼い頃に、二人とも病で亡くなった。
私たちは、それからずっと二人きりで暮らしてきた。
妹は私と違って病弱で、この家から外に出たことはない。
だから私も、用事がない限りはなるべく家にいるようにしている。
妹が、少しでも寂しくないように。
「お姉ちゃん、今日はどこまで行ってきたの?」
奥の部屋から、妹の声が聞こえる。
外に出られない妹は、見たことのない世界に興味津々だ。
「崖の近くまでよ。そんなに遠くには行ってないわ」
私は摘んできた薬草を煎じながら答える。
数種類の薬草を混ぜると、身体に良い薬湯ができるのだ。
妹はいつも、私の作る薬湯を飲んでいる。
それでも、病弱な体質は一向に改善されない。
根っからの虚弱体質、というやつだ。
私は薬湯を持って妹の部屋に入る。
妹はベッドの上で身体を起こして待っていた。
「ほら、薬湯持ってきたよ。飲める?」
「うん」
妹は薬湯の入ったカップを受け取り、少しずつ口に含む。
物凄く苦いそれを、文句も言わずに飲み干した。
「ねえ、お姉ちゃん」
カップを私に返しながら、妹が私の顔を覗き込む。
「頬を虫に刺されちゃったみたいなの。どうなってるか見てくれる?」
言われて初めて気付いたが、妹の右頬が少し赤い。
私はカップの底に残った薬湯を指に浸け、赤くなった妹の頬に塗った。
「ちょっと赤くなってるけど、大丈夫よ。明日には治ってるわ」
「良かった」
ほっと胸を撫で下ろして妹が笑う。
私は夕食を作るためにキッチンへ移動した。
食事を作るときも、薬を作るときも、私は念入りに手を洗う。
汚れた手で、妹の食事を作る訳にはいかないのだ。
今日のメニューは、森で摘んできた野草を煮込んだリゾットと、同じく森の果実を使ったフルーツパイ。
穀物なんかは、私が時々商人から仕入れるのだが、それ以外は自給自足と狩りが主な収穫だ。
食べ物を出すような、便利な魔法はない。
森の魔女なんて呼ばれてはいるが、単にまじないの知識が他人より豊富なだけなのだ。
魔女なんてものは、知識の足りない一般人が捏造したもので、本当は魔法なんて存在しない。
人は理解の及ばないものを魔法として畏れ、時に重宝し、時に忌避する。
私たちの母は、忌避される方の魔女だった。
街を追い出され、こんな森の奥に住むことになった。
母からはそう聞いていた。
お陰で私たちも街の人から恐れられ、この森から出ることができない。
人間というものは面白い生物だ。
共通点を見付けることに躍起になり、そこから外れる者を外敵に仕立て上げる。
皆と違うものを遠ざけることで、自分たちの身を守っているつもりになっているのだろう。
同じ考えしか持たない者が集まってしまっては、一度非常事態に遭遇したときに、打開策を見付けることができなくなってしまうのに。
先日、旅の商人から聴いた話では、街は流行り病で酷い有り様だったと言う。
薬草一つで改善できるはずなのに、街の人間たちは誰もそのことを知らないらしい。
自分にも感染ったらどうしようかと心配していた商人に、病に効く薬草を渡して、米と小麦を沢山分けてもらった。
今日の夕食も、そのときの米と小麦を使っている。 お陰でここしばらくは、食べ物の心配をしなくてすみそうだ。
翌朝、私は森の中に薬草を採りに行った。
妹のための薬草は、いくら摘んでも足りすぎるということはない。
昨日は崖の方に行ったから、今日は街の方に行ってみよう。
私は南へと足を向け、静かに歩いていく。
歩きながらでも、使えそうな野草は採集する。
食べられるものや、薬になるもの。
珍かな花は、商人に高く売れる。
家から持ってきたかごの中には、早くも様々な野草が集まっていた。
そろそろ町の端にあるボロ小屋が見えてくる。
余り町に近付きすぎてもいけないので、この辺りで薬草を摘むことにした。
町の人間が近寄らない森なだけあって、薬草もほとんど手付かずのまま生えている。
こんなに近くに薬があるというのに、町の連中は形のない森の噂話に怯えて自ら宝を遠ざけているのだ。
その怯懦っぷりには、笑いを禁じ得ない。
まあ、その恐ろしい噂の大半が、私の所為な訳だが。
こんな不便な処に住んでいるのだから、森の中を荒らされないように、ちょっと人を脅かすくらいは大目に見ろと、私は常々思っている。
薬草を摘みながらしばらくうろうろしていると、有り得ないものが見えた。
私は思わず目をこすり、二、三度瞬きをしてそれを見る。
やはり、見間違いなどではない。
そこにいたのは、人間の男だった。
五十センチ程の段差の下で、仰向けに倒れている。
……まあ、足を踏み外して気を失っているのだろうとは思うが……何とも間抜けな男だ。
私はどうしようか迷ってから、その男に近付いていった。
そっと顔を覗き込んでみる。
齢の頃は私と同じか、少し下といったところだろうか。
端正な顔立ちをしているが、今は土で汚れてしまっている。
このまま放っておくという選択肢もあったのだが、流石にそれは良心が痛む。
私がその男を起こそうとしゃがみ込むと、そいつは小さく呻いてうっすら目を開けた。
青い瞳が、ぼんやりと私を見つめる。
私は思わず硬直してしまい、たっぷり数十秒、その男と見つめ合ってしまった。
どどどどうしよう。落ち着け私。普通に対処すれば済む話じゃないか……
混乱した頭で悩むこと暫し。
私の思考が回復する前に、その男が口を開いた。
「あの……」
それをきっかけに、私は急いで踵を返す。
「えっ、ま、待って!」
背後で男が呼ぶ声が聞こえたが、私は全速力で森の奥へと走っていった。
どうして逃げてきてしまったのだろう。
私がそう考えることができたのは、家の近くまで走ってきた後だった。
最初から助けるつもりで近付いたのだから、逃げる必要はなかったのではないか?
いやでも、町の人間に関わっても良いことなどないだろう。
だから、逃げてきて正解だったのだ。
私は頭の中でそうまとめ、呼吸を落ち着けて薬草採集を続行した。
とりあえず、町の方には近寄らない方向で。
その後は町に近寄らなかったせいもあってか、あの男に遭遇することはなかった。
私は籠いっぱいに摘んだ薬草や野草を持って、家に帰った。
「ただいま」
「おかえりなさい、お姉ちゃん」
いつも通り私は、妹の薬湯を作る。
毎日こうして薬を作っているのに、妹の体調は一向に良くならない。
ちょっと目を離すと風邪をひいたり、流行り病をもらってきたりするのだ。
今もそう。
実は妹は、厄介な病気に罹っている。
本人はそのことを知らない。
妹は私が作る薬を、いつもの薬湯だと思っている。
妹には、病気のことは言っていないし、妹自身もまだ気付いていない。
何も知らずに、知らないままに病気が治ってしまえば、それに越したことはない。
精神的に負担をかけたくないのだ。
明日もまた、薬草を取りに行かねばならないだろう。
私は明日に備えて、早々に就寝した。
朝日が木戸の隙間から差し込む。
窓の木板を開けると、涼しい風が部屋に流れ込んでくる。
私は朝の仕事を手早く終え、薬草を摘みに行った。
昨日の今日なので、できれば町には近付きたくない。
なるべく反対方向の薬草を探していたのだが、何故かそこに奴はいた。
「やあ、きみ、昨日の人だよね?」
そいつは昨日の男だった。
私はフードで顔を隠しているのに、何故ばれたのか。
……まあ、この森の中でこんな格好をしているのは、森の魔女である私くらいのものだが。
私が無言でいると、男の方から近寄ってきた。
「覚えてる? 昨日、僕のこと助けてくれたよね?」
いや、助けた訳ではないのだが……
困惑する私に構わず、男はどんどんこちらに歩いてくる。
「あ、心配しないで。僕は怪しいもんじゃないからさ。あっちの町に住んでるんだけど、この森に病気に効く薬草があるって聞いて、採りに来たんだ」
こちらが何も言っていないのに、勝手にぺらぺらと喋りながら、男は私の目の前で止まった。
この森の薬草が目当てだなんて、珍しいこともあるものだ。
普段ならば、町の人間はこの森に近寄ろうともしないのに。
「僕はシャール。きみの名前は?」
無視し続けても良かったのだが、私は何となく口を開いてしまった。
「私は……ミーナ」
私が返事をすると、その男……シャールは嬉しそうに笑みを浮かべた。
「良かったぁ〜。きみ、ちゃんと喋れるんだね」
私が返事をしなかったので、口の利けない女だとでも思っていたのだろう。
シャールは安心したように笑いながら言葉を続ける。
「ミーナは、この森によく来るの?」
「まぁ……」
どう言えばいいのか迷い、生返事になってしまった。
しかしシャールは、そんなことは気にせず言葉を続ける。
「この森って、怖い魔女がいるから近寄るなって言われてるけど、森自体はいいとこだよね。静かだし、空気は澄んでるし」
「そうね……」
……この男は、自分の言っている「怖い魔女」が私だと気付いているのだろうか?
なんだか、気付いていないような気がしてきた。
そうだ、私が魔女だと気付いていたら、自分から話し掛けてきたりしない。
きっと、近隣の村娘だとでも思っているのだろう。
「ところで、ミーナはどこに住んでるの? 町では、見掛けたことないよね?」
私の予想は当たっていたようだ。
正体を明かして騒ぎになるのも面倒なので、適当に誤魔化すことにした。
「この近くよ。森に魔女がいるなんて、知らなかったわ」
我ながら白々しい……と思ったが、この男はあっさり騙されたようだ。
「魔女を知らないの? そうか、それでこの森に入っちゃったんだね。
そんな格好してるから、てっきりきみが魔女なのかと思っちゃったよ」
鋭いのか鈍いのか、よく解らない男だ。
確かに、私の服装はいかにも魔女といった格好だが。
そうするとこいつは、私が魔女かもしれないと思っていながら、話し掛けてきたのだろうか。
何とも、理解しづらい、掴み所のない男である。
まあしかし、多少天然が入っているとはいえ、こういう奴は嫌いではない。
私の姿を見て、魔女だと騒ぎ立て石を投げてくるような連中に比べたら、随分ましだ。
その後は何を話したのかよく覚えていない。覚えていないくらいだから、他愛ない話だったのだろう。
何故か私とシャールは、この日をきっかけに交友関係を持つようになった。
時折会っては、また他愛ない会話をし、次に会う約束をして帰る。
そんなことを続けてしばらく経った後、彼は私の家に遊びに行きたいと言い出した。
「……え?」
「だから、ミーナの家だよ。遊びに行ってもいいだろ?」
「で、でも、妹がいるし……」
「うん、妹さんも、いつも一人じゃ淋しいだろ? たまにはミーナ以外との会話も必要なんじゃないかな?」
確かに。確かに妹は人懐っこい性格で、私なんかより余程話上手だ。
そんな妹が一人で私の帰りを待っているときの気持ちを思うと、話し相手くらいいてもいいんじゃないかという気がしてきた。
それでも、家の場所を知られることには抵抗がある。
シャールが町の連中に教えないという保証もない。
私はどうしようか迷い、妹にも意見を聞きたいと言い訳をして、返事を先延ばしにした。
次に会うときには、私も覚悟を決めよう。
大丈夫、シャールは悪い人ではない。
私は自身にそう言い聞かせながら、家で待つ妹の許へと急いだ。
家に帰り、妹にこの話をすると、妹は無邪気に喜んだ。
そして、「お姉ちゃんばっかりお友達ができて、ずるいわ」と拗ねたりもした。
やはり妹は寂しかったのだ。
その寂しさを埋められるなら、シャールを家に呼ぶことも悪いことではないように思えた。
ただ一つ、問題があるとすれば……
「シャールに来てもらうのはいいけど、姿を見られないようにしなきゃだめよ」
「どうして?」
不思議そうに首を傾げる妹に、私は自分が羽織っているフード付きのマントを被せる。
「病気のこと、忘れたの? そんな顔、他人に見られたくないでしょ?」
「あ……そうね……」
妹の病は顔や身体に出る類いのものだ。
妹自身にも病に侵された姿を見せたくないので、この家には姿が映るようなものは置いていない。
「どうする? 呼ぶの、やめる?」
私が尋ねると、妹は少し考えてから首を振った。
「ううん、来てほしい。お話し、したい」
相当寂しかったようで、妹は被ったマントを身体に巻き付ける。
「こうやって隠せば、恥ずかしくないわ。お姉ちゃん、お願い」
「分かったわ。今度、シャールを連れてくる」
私は妹と約束して部屋を出る。今日摘んだ薬草を煎じるために、自分の部屋へと向った。
数日後、私は約束通りシャールを連れてきた。
妹は包帯で顔や手を隠し、頭からマントを被っている。
シャールはその姿に最初は驚いたものの、病気のことを知ると何でもないように振る舞ってくれた。
その後も何度か、シャールは家に遊びに来た。
しかし町の人間が来ることはなかった。
シャールは私たちのことを、町の人には話していないらしい。
だが恐らく、シャールも私が噂の魔女だと気付いているだろう。
さすがに、ちょくちょく会いに来ているのだから、それくらい気付いている。たぶん。
それでも黙っていてくれるというのは、何故だろうか……
「ねえ、ミーナって可愛いよね」
シャールを町の近くまで送る道すがら、彼はいきなり私の顔を見て微笑んだ。
突然の言葉に、私は思わず頬を染める。
「なな、何よ突然……お世辞なんか言っても、何も出ないわよ」
努めて平静を装い言うが、シャールは笑って首を振った。
「お世辞なんかじゃないよ。初めて見たときから、ずっとそう思ってた」
初めて見たときから? 私を?
そんなばかな。私が可愛いはずがない。
母に似た赤い髪も、父に似た鼻のソバカスも、たれ気味の茶色い目や薄い唇も、可愛い要素なんて一つもないのに。
私をからかっているのだろうか。
そんな私の心境を察したのか、シャールは立ち止まって真剣な表情で私の目を見る。
「本当さ。ミーナと、もっと仲良くなりたいって、毎日そればかり考えてる。
……ねえ、ミーナ、本当だよ。ミーナのことが好きなんだ」
彼は至極真面目に、私の瞳を見つめる。
その顔がだんだん近付いてきて、私は焦った。
だって、彼の瞳に映る私は、本当に可愛くなんかないんだもの。
こんな私を、好きだなんて、シャールはきっと変り者なのだ。
でも、変り者でも、そんな風に好意を寄せてもらえると……嬉しい。
私もシャールのことが好きなのかしら。
だとしたら、私も変り者ね。
「僕じゃ、嫌?」
「ううん、嬉しい……」
二人とも、顔を真っ赤にしてキスをする。
生まれて初めて交わしたキスは、なんだかふわふわして、立っているのか浮いているのか解らないくらい。
少し恥ずかしくて、それでも嬉しくて、夢の中にいるような、不思議な気分だった。
それ以来、彼はより頻繁に私たちの家に来るようになった。
妹を交えて色んな話をして、帰りに私と二人きりで森の中を歩く。
見られるのが恥ずかしくて、私たちは家から離れたところでキスをする。
ときには、木陰に隠れて愛し合った。
私はそれが幸せで、彼が来るのを毎日心待ちにしていた。
彼が来ない日は、妹のための薬草を摘みに行く。
でも心は上の空だ。彼が来る日が待ち遠しい。
きっと私は、傍から見れば滑稽なくらい、浮かれていたのだろう。
それ故に、気付かなかった。
月日を重ねる毎に、彼が私に会いに来る間隔が、長くなっていることに。
妹の病はまったく治る気配がない。
それどころか、徐々に悪化していっているような気がする。
……薬草摘みが上の空で、以前より量が少なくなってしまったからだろうか。
私は少し反省して、薬草摘みはきちんと毎日するようになった。
ある日、私が薬草摘みから帰ると、家の中にシャールがいた。
今日は来る日じゃなかったはずなのに……
「シャール、来てたの? ごめんなさい、今日はお仕事の日だと思ってたから……」
私が謝ると、シャールは笑顔で首を振った。
「ごめんよ、僕が悪いんだ。急に会いたくなったから、仕事を少し抜け出して来たんだよ」
そうだったのか。そんなに私に会いたかったなんて、なんだか嬉しい。
「私が町に行ければいいんだけど……」
「気にしないで。妹さんを一人で残す訳にもいかないだろう? それに、町の連中にはきみを良く思ってない奴もいるし……」
シャールが私を気遣ってくれるのが嬉しかった。
こんな何気ないことでも、彼が私を愛してくれているのが解る。
彼は仕事を抜け出して来たので、すぐに帰ってしまった。
私は妹の部屋に、作ったばかりの薬湯を届けに行く。
「遅くなってごめんね。薬を……」
言いながら妹の部屋に入ると、妹は顔を包帯で覆っていなかった。
まさか、シャールに顔を見られたのだろうか。
「おかえり、お姉ちゃん。
大丈夫よ、見られてないわ。急に彼が来たから、私、頭からシーツを被ったの」
妹は私が心配していることに気付いたのか、普段通りの笑顔で言った。
それなら、良かったけど……でも、私の心には、この日のことがしこりのように残ってしまった。
薬草を摘みに行っても、またシャールが突然訪ねて来ていないかと、気が気ではない。
だって、妹の病は……
それをもし、シャールが見てしまったら……
私は何度も、気にしすぎだと首を振った。
しかしある日、どうしても心配になって、薬草摘みの途中で家に帰ったのだった。
思えば、もっと早く気付くべきだったのかもしれない。
もう何日も、シャールの顔を見ていない。
その代わりのように、妹の病は酷くなる。
嫌な予感が、胸に広がる。
そして。家の前に来て気付いた。
中から、妹とシャールの声がする。
私は二人に声も掛けずに、妹の部屋の扉を開けた。
そこで見たのは、一糸纏わぬ姿で抱き合う、シャールと妹の姿だった。
「お、お姉ちゃん?」
「ミーナ……!」
二人同時に声を発する。
私はもう、訳が解らなくなった。
目の前の光景が、信じられなかった。信じたく、なかった。
心のどこかで、これは間違いだと訴える私がいる。
しかし、二人の顔を見た瞬間に、ふっと確信してしまった。
私は、裏切られたのだと。
私は狂ったように叫びながら、妹の部屋から飛び出した。
もう、何もかもがどうでもよくなって、キッチンにある包丁を掴み取る。
それを握り締め、再び妹の部屋に戻った。
酷く慌てた様子のシャールと妹が何事か叫んでいる。
何を言っているのかまったく解らなかった。
あれは本当に、人の言葉だったのだろうか。
ひょっとしたら、悪魔の言葉かもしれない。
そうだ、二人は悪魔に取り憑かれてしまったのだ。
ならば、私が悪魔を退治してやらなくては。
だって私は、呪いも悪魔祓いも知り尽くした森の魔女なのだから。
私はシャールの姿をした悪魔に、握り締めた包丁を突き立てた。
何度も何度も、悪魔が完全に動かなくなるまで。
次は妹の番。
妹の顔をした悪魔は、怯えたような悲鳴を上げる。
妹の姿をした悪魔に包丁を突き刺して、私はやっと気付いた。
妹の病も、悪魔の仕業だったのだ。
だって、そうでなければおかしいではないか。
私の妹が、こんなに美しい女であるはずがないもの。
妹の顔は母にも父にも、まして私にもまったく似ていない。
金色の髪に澄んだ青い瞳、紅色の唇や長い睫毛。
私とまったく似ていない、綺麗で可愛い、美しい顔。
これはきっと、病に違いない。
私はそう思って、妹に毎日薬湯を飲ませ続けた。
家族の誰とも似ていない顔を妹が見て、落ち込んでしまわないように、鏡やそれに代わるものは全部捨てた。
しかし妹の病は一向に善くならず、シャールに会ってからは益々美しくなる。
でも……そうか。悪魔の仕業だったのか。
私はようやく納得して、真っ赤に染まった妹を見下ろした。
「お……ねぇちゃ……」
悪魔は、まだ息があるようだ。
いけない、ちゃんと止めを刺さないと。
「ゆ……さな……から……しぬまで……呪って……」
悪魔は私を見上げて何か喋っている。
でも私はほとんど聞き取れなかった。
私は包丁を振り下ろす。
「おまえがしぬまで……ずっといっしょにいるからね……」
刃が肉に突き刺さる鈍い音が、悪魔の最期の言葉を遮った。
ああ、悪魔の血がこんなに……早く浄化しなくては。
私はふらふらと立ち上がり、家の外に出る。
家の裏に置いてある薪に、火を点けた。
悪魔の血を浄化するには、炎で焼き尽くすしかない。
燃え上がる家を見て、私は高らかに笑った。
魔女の森が燃えた。
その報は、一日で町中に知れ渡る。
これで魔女に怯えなくて済むと喜ぶ人々を尻目に、頭からマントを被った一人の女が、町の外へと歩いていった。
数年後、一人の魔女が火炙りにされた。
魔女は夜な夜な、金髪の美しい少女を襲い、その顔を自らの爪で切り裂いたという。
狂った魔女を狩るために待ち伏せしていた兵士によって、その魔女は捕らえられた。
炎の中で笑い続ける魔女の背には、金髪の少女が抱きついていたと、刑を見物に来た人々は言う。
その少女が誰だったのか、知る者は誰もいなかった。
END