いちのよん
──────────は?
ドームの割れた部分のガラスが重力その他諸々な法則なんかを無視して元に戻り、呆気にとられた瞬きの間にガラス越しの空の色がオレンジ色に染まった!?
「──ぬぎョワふっ?!!?」
──はえ?? 横にいる筈の副店長の意味不明な驚きの声が後ろ側から聞こえた???
「あ、詩音さんが気が付いた!」
──はへ???? 今度はこの場には居ない筈の希ちゃんの声が副店長の声が聞こえてきたのと同じ後方から聞こえてくる?????
──一体全体、
「──ナニ? なんなの……?」
次から次へと起こる異常事態にアタシの頭の中の情報処理が追い付かず、理解不能……。
「あ、きびさんも気付いたよ!」
叶ちゃんの声に反射的に振り返る。
異常だらけの中から目醒めるために──正しくは、理解不能な状況から目を逸らすため……。
しかし、そんな淡い現実逃避は失敗した。
振り返った視線の先には、アタシ同様にクエスチョンマークを量産する副店長と『お店』の制服を着た希ちゃん、そして──希ちゃんと同じく『お店』の制服を着た叶ちゃん!?
──はれ?
副店長のドッキリを端に発した一連の出来事は長く見積もっても10分には充たない。そんな中、叶ちゃんが作業装備から『お店』の制服に着替えてるのはおかしい。
何故なら、第一に依頼の清掃作業が終わっていないし、第二にこのフロアの床はドームのガラスと違って普通に歩いてもある程度の足音が出る。
でも、現在に至るまでの数分間以内にアタシが聞いた足音は、アタシ自身の足音と副店長が場所を譲ったときのモノだけ。
「きびちゃん、大丈夫?」
「……エ? あ、……うん、たぶん大丈夫……」
勿論、ウソ。頭の中は絶賛パニック状態が継続中。
「……そう。立ったまま目を開けて約二時間近くも気を失ってたから、やっぱ気絶状態でも長時間の立ちっぱなしは疲れたのかな、って」
──ゑ?!
「希ちゃん……あの……、いま何て……──?」
「…………。『立ったまま目を開けて約二時間近くも気を失ってた』だけど。……まあ、もっとも厳密には気絶とは違うんだけどね──」
──『約二時間も気を失ってた』? それって、詰まりは────
──アタシが数分間の出来事と感じていた事が……………………いや、そうじゃない! ドームのガラス越しの空の色が変化したのが瞬きの刹那だったから──
──即ち、アタシが“一瞬と感じていた時間”は実際には“2時間近く経過していた”ということ!?──
────俄かには、信じられないし、信じたくないけれど、ドームの割れた部分のガラスが不可思議現象で元通りになった後のアタシに混乱をもたらした数々の事に説明がつく。
まずは、ガラス越しの空がオレンジ色に染まった理由。これは単純明快で、単に時間の経過で太陽が傾き夕方になっただけ。
次に、──
「もう、叶から『お店』に連絡が入ったときは驚きましたよ、『二人が立ったまま気絶してる』って。音恋さんは立場上『お店』から離れるわけにいかないから、あたしが来たわけなんだけど、マジで立ったまま気絶していて二度驚いたわ。ただ、簡易チェッカーで診たら異常ナシって出たから救急車は呼ばないで、二人が気が付くのを待つ事にしたんだけど、二時間近く経っても気付く気配もなくて、これ以上暇が続くのは退屈だったから介抱し始めたところで二人が共に気が付いたんです」
「──そうか……。オレらが気を失っていた間の経緯の説明をありがとう、希ちゃん」
──これで、副店長の位置が変わっていたことと希ちゃんがこの場に居る説明がついた。
あとは──
「──……あー、それにしても、参ったな……。清掃作業が途中のままだ……。今日一日で終えられると思って、明日の予定に別の依頼を入れちまった…………どうすっかな……?────」
「それなら、安心してください、詩音さん。ボクと希とで残りは済ませておきましたから」
「──マジか?!」
「ええ、もちろんよ! ハイ、依頼完了確認証明書。先方からのサインもちゃんともらったし、『お店』への報告も済んでますよ」
「そうか! すまない、助かったよ二人とも、ありがとう!」
「「どういたしまして♪」」
──成る程、それでか。依頼の清掃作業が終わったのだから、叶ちゃんが作業装備から『お店』の制服に着替えているのは道理。
これにて、一通りの謎はすべて解けた!
「あれ? 希ちゃん、証明書が二枚あるんだけど、お客様控えを渡し忘れた?」
──あー、アタシもたまにお客様控えを渡し忘れそうなる。前に一度渡し忘れて、お客様の自宅まで追い掛ける羽目になって、あの時はしんどかった……。
「いえ、違いますよ。そっちは『飛び入り』の依頼完了確認証明書です」
──『飛び入り』?!
「……あー、希ちゃん、すまないが、説明願えるかな? オレらは連絡を受けてないんだけど……」
そう、副店長の言った通り、アタシたちは新しい依頼の連絡を受けてないし、それにそもそも依頼の内容さえも知らない。
「はい、いいですよ。じゃあ、順を追って説明すると、叶から『お店』に連絡があってすぐに今度は『お得意さま』──音恋さんは『お得意さまのドン』って言ってた──から、“『星見の塔』の観測フロアのドームのガラスの調査並びに実験のデータ収集”の依頼が入ったの」
──へ? なにその依頼内容……。
「それで?」
「音恋さんはその依頼内容に一旦は首を傾げたんだけど、先方と何か話しあったあとにその依頼を請けて、「話は通しておいてくれるらしいから、詩音くんたちの容態如何に係わらず飛び入りの方の証明書にはサインを貰ってきて……──」って」
「それから?」
「あとはさっき話した通りで、清掃作業をあたしと叶で終わらせて先方の人に来てもらって依頼完了の確認と証明書へのサインをしてもらって、一緒に飛び入りの方にも証明書にサインをもらったんです」
「──成る程。しかし、どういうことだ? それに、オレらはなにもしてないんだがな…………」
──確かに。
希ちゃんの話を聞くに、アタシと副店長が『気を失っていた間』に依頼が入って、店長が依頼主と会話でのやり取りをしたら依頼が完了していた。
それに、依頼内容からしてココで調査や実験をしなくてはならない筈なのに、アタシと副店長は何もしていないし、希ちゃんの話し振りからして希ちゃんたちが何かしらをした様子は伺えない。
あからさまに不可解──。
「なんだって、『お得意さま』はそんな依頼を? それに、何もしていないのに依頼完了だなんて………………?」
アタシも副店長同様に依頼主が何でそんな依頼をしてきたのか、とんと見当もつかない。
「あー、そういえば、あたしも飛び入りの依頼がなんで完了済みなのか不思議に思って、依頼完了の確認に来た人に聞いたら監視カメラの映像データを見せられて合点がいったわ」
監視カメラの映像データ──?
「よかったですね。詩音さんもきびさんも建造物損壊の前科がつかなくて」
「──なッ!? 前科、だぁ~?!」
──はヰゐぃぃ~!?
いきなり、前科云々とか、叶ちゃんは何を言って……──いや、待てアタシ。
これまでの事を今一度整理して、振り返ってみよう。
まずは……────
────……で、……────
────……確か……────
────……そこから……────
────……これらに、希ちゃんたちの話の内容を合わせて考えて、導き出される答えは────────
──あー、うん。飛び入りの依頼が無かったら、アタシと副店長はお巡りさんのお世話になってた!──
────────だ。
「……………………そういう事……か」
副店長も答えに至ったみたいで、二枚目の依頼完了確認証明書が有る事について納得がいったよう。
「──さてと、詩音さんたちも無事に目を覚ましたことだし、そろそろ帰りましょう」
「うん、そうだね。ボク、もうクタクタだよ……」
「ああ、そうだな。あーっと、持ってきた用具は?」
「それなら、簡単な手入れをしてあそこに置いてありますよ」
「そうか、ありがとう。じゃあ、後は他に忘れ物がないか確認したら撤収だ」
「は~い」
「はい」
「あ、はい」
アタシたちは一通り観測フロア内と使用した場所を見回り忘れ物がないことを確認して、『星見の塔』を後にした。
──それにしても、今日は肉体的以上に精神的にどっと疲れた1日だった……。
科学万能に近づく昨今の時代に、科学では説明出来なそうな超常現象。厨二病全開な単語の“『忘却領域』”──それに関して、副店長の話にも改めて考えるとおかしな点があったし……──。さらに、希ちゃんも何か変なことを言ってた気がする……。
あと、ガラスに触れた時に顕れた幾何学的紋様。あの時の事をよくよく思い返すと────
──この木製の腕輪にも“記号みたい”な文様が浮かんでいた──
中学生の時にいた自称魔法使いの友人が、転校する数日前に『友情の証』としてアタシにくれた腕輪。
周りの大人が身嗜みにうるさい中高生時代は大切に保管して、大学生になって以降は肌身離さず身に付けている。
ただ、今日のあの時まで、一度たりとも不可思議な現象が起きたことはなかった。
友人も『友情の証』以外には「お守り」とくらいしか言ってなかったし……
──……ハァ~……。
まぁ、この案件はさして重要な事ではないし、考えてもわからない以上は放置で、いいや。
さて、明日も肉体労働の依頼だし、もう休もう──。
──おやすみなさい────