いちのに
──ガサゴソ……。ドンドン。
「……ふうぅ~……」
ジャンケン大会に敗けたアタシが意を決して異臭の源泉を突っ切って換気設備を動かしてから、早小一時間。
換気設備が起動したのを確認したアタシたちは直ぐに清掃に取り掛かり、今現在はフロア面積の3分の1ほどまでゴミを片付けた。
それにしても──
すでに中身がパンパンで口が閉めてあるゴミ袋群と手にしているゴミ袋の中に収まっているゴミのほぼ全ては、食べ物の包装素材と食べカスと食べ残し。
その中で、異臭の主な原因は食べ残しされた物の腐敗臭。
換気をしていて尚、僅かに臭う凶悪さはまさに異常。
「──一体、どんな化学反応が起これば、こんな事に……?」
「……フム。多分だが、『忘却領域』の所為かも……な」
──はい? 何ですか、その厨二全開な単語は??
思わず、口に出しそうになった失礼極まりない疑問は、なんとか喉元で押し留められた。
でも、『忘却領域』なる単語を聞いたのは今のが初めて。ついでにアタシが副店長から厨二病な発言を聞いたのも、これが初めてだ。
もしかして、副店長はこの異臭で毒されてしまったのかもしれない……。でも、もしも、正常で先の単語を口にしたのなら…………『忘却領域』って、なに?
──う~ん……。
…………
……………………
…………………………………………ダメ。全然、分からない。
考えても分からないことを延々と思考しても、不毛ぐらいにしかならないし、ここは素直に聞いた方がいいだろう。
「……あの、『忘却領域』って、なんですか?」
「あー、……今は仕事中だし、説明すると長くなるから、極端に言うと、『忘却領域』ってのは“偶発的に原因その他不明の異常が起こる空間(?)”みたいなもんだ」
──へ? …………………………ナニソレ???
ますます意味が分かんない……。
──ガサゴソ……、ドンドン、シュルッ、キュっ。ドサっ! バサッ。ガサゴソ……。
「ま、偶発的って言っても、ここだと特定条件下じゃなきゃ、稀だけどな」
──…………あー、うん。
聞いても、ワケが分からないことだけは分かった。
「……えーと、つまりは、その稀が起きて、ゴミの腐敗が促進された──というわけですか?」
──ガサゴソ……。
「ああ、おそらくな。──ところで、手が止まってるぞ、嬢ちゃん」
「──え!? あ! はい、すみません」
見ると、副店長はアタシと話していた間も手を動かしていたようで、満杯になって口を閉じられたゴミ袋が1つ増えていて、副店長の手には新しいゴミ袋が握られていた。
──数時間後。──
フロアに散乱して異臭を放っていたゴミをゴミ袋の中へと片付ける作業が漸く一通り終わった……。
「……ふう。やっと、一段落ついたな。よし。そんじゃ、昼飯休憩にするか」
「はい、そうですね」
「……うへー、この臭いちゃんと取れるかな……?」
屈みながらの作業で凝った筋肉をマッサージやストレッチしたりしつつ、アタシは中天にギンギラ太陽が居座る空を仰ぎ見る。
元が天文台ゆえ、星の観測の為に天井から階下に続く通路に続くヵ所を除いた全ての壁までが、ガラス張りのドームになっているこのフロア。
燦々と陽の光りは注がれているのに、不思議と熱さはない。
しかも、依然として換気をしているとはいえ、夏特有のムッとする蒸し暑さは室内になく、室温湿度ともに異臭の残り香さえなければ程よい。
──ああ、そういえば、さっき叶ちゃんが臭いが落ちるかを気にしてたけど、落ちてもらわないとアタシも困るな。いろいろと……。
「…………あ、暑い……」
『星見の塔』の屋内から一歩外に出た瞬間、夏の暑さがアタシたちを襲ってきた。
今日の気温は気候制御装置が実用化されてからは珍しくなった真夏日の30℃超え。
なんでも、気候制御装置が運用される以前は、温暖化で夏場は言うに及ばず、その前後の時期まで35℃超えの猛暑日の日々が当たり前だったとかで、真夏日の今日の気温でも充分に暑いのに気温が35℃以上とか想像できない。
本当、気候制御装置様々である。
「あー、そうだ。二人とも昼飯どうする? オレはゴミを処理場に置いてきたら、こっちに戻る途中で適当な店で食ってくるつもりだが……」
荷台にゴミ袋の山を積んだレンタルトラックの運転席に乗りかけた副店長は一旦動きを停めて、アタシらを昼食に誘う。
──そうだな……、アタシもお昼は適当でいいし、
「はい、それじゃ、ご一緒させていただきます」
「ボクも、一緒でいいです」
どうやら、叶ちゃんもOKのようだ。
「んじゃ、二人とも乗ってくれ。すぐ出発すらから」
「あ、はい」
「はい」
──ガチャ。ガチャ。
「よ、っこら、しょ」
「……」
──バタン。バタン。バタン。ジー……、カチャ。
「全員、シートベルトは締めたな?」
「はい」
「うん」
アタシは助手席に、叶ちゃんは後部座席に乗車して、シートベルトを装着した。
それを確認した副店長は「じゃあ、行くぞ」と言うと、エンジンをかけてアクセルを踏みトラックを出発させる。
動きだしたトラックは低速でまずは『星見の塔』がある私有地の敷地を出て、殺風景な道路を少し走り、普通の市道に出る。
「いやー、二人が昼飯の誘いに乗ってくれて、助かったよ。さすがに一人だと、荷台の荷物を降ろすのきつそうだったから、ね」
──あ~、うん。副店長は『してやったり』な顔をしているけど、アタシはこの事をわかっていた上で了承したので別段驚いたりしない。叶ちゃんもアタシと同様で、バックミラーに映り込んでいる彼女の表情は、
「悪いね~、二人とも無理に手伝わせちゃって」
「いえ、アタシは別に」
「ボクも、詩音さんのお手伝いすること自体はやぶさかではないですけど、『ささやかな特別手当て』くらいは出るんで・す・よ・ね?」
笑顔だった!? それはもう、不純物を含まない『そうあること』が当たり前と、言外に断言している笑顔。
「あ、……ああ、ももも、勿論だとも! そうだね……、今日の昼飯を奢るでどうだい?」
副店長は叶ちゃんの笑顔にたじたじ。早々に白旗を挙げた。
「はい、ありがとうございます。なんか、すみません、強要しちゃったみたいになっちゃって」
「いやいや、オレの方こそ、無理強いするのにお礼もなしなんて、親しき仲の礼儀に欠けてたよ」
…………。
「「あはは……」」
重なり合う2つの乾いた笑い声。されど、笑いが収まった後の表情は、片や副店長は「ですよね~」といった感じで、片や叶ちゃんは「勝ちました」感満載の笑顔、と明暗がわかれた。