トロい女
俺の彼女はトロい。
死ぬ程、トロい。
例え一緒に食事をし出したとしても、俺が完食してから2時間後に彼女が食い終わるぐらい、トロいのだ。
その間、何をしているのかと思えば、普通の人間なら気にもしない下らない事ばかりやっている。
どれから食べようかなとか。
食事中に、どう料理を並べ変えようかなとか。
お箸を使っていたと思ったら、途中からフォークに持ち替えてみるとか。
食べた肉の欠片を、モグモグと10分ぐらいかみ続けたりもする。
この上なく、トロい。
同棲している俺からすれば、早くしろよ、と言いたくなるのも分かってもらえるだろう。
行動が遅くなれば洗い物や片付けの時間が延びるだけだ。
俺の彼女は、見ていると本当に苛つく。
あー、鬱陶しい。
その日も、あまりにも苛ついていた俺は、また彼女にキレた。
僅か10枚の洗濯物を畳むのに3時間も掛けてやっていたので、いい加減にしろと、怒鳴ってやったのだ。
すると、彼女は俯いてしまった。
その反応を見て、少しは懲りたかなと思った。
いや普通なら、懲りる筈だ。
だが、それは甘い認識であった。
俺が晩飯にラーメンを作ってやっても、食べ終わる頃には麺の太さがうどんのように伸びていたのだ。
全てが台無しである。
こっちは出汁もとって、良い麺やチャーシューをネットで探し、高い金を出して購入したというのに。
まるで苦労が報われないではないか。
もう、バカにしているとしか思えない。
カッとなった俺は彼女の髪の毛をグワッと掴み取ると、汁が残っていたラーメンの器の中に顔を押し込んでやった。
そして、まるで果実を搾るようにグリグリと頭を沈めたのだ。
あー、気持ちいい。
彼女は溺れた虫のように手足をばたつかせていたが、軈て俺の手を弱々しく握っていた。
それは、まるで、
「助けてください」
「お願いします、助けてください」
と、言いたかったようである。
息が出来なくて苦しいというのに、爪を立てたり握りしめるといったマネはしなかったのだ。
その哀願で気分が良くなった俺は、ゆっくりと手を放してやった。
すると勢いよく顔を上げた彼女はゼーゼーと荒い呼吸で酸素を吸い込み、そして強ばった笑顔を無理やり作っていたのだった。
流石に、これで懲りただろう。
そう俺も考えた。
だが、またもや期待は裏切られてしまったのである。
次の日、風呂の掃除をすると言い出して、半日も風呂場に籠もっていたのだ。
カッとした俺は怒鳴り込み、一番温度を高くした熱湯のシャワーを、彼女の全身に浴びせ続けてやったのである。
泣き叫ぶ悲鳴を聞き続け、俺はやっと落ち着く事ができたのだった。
俺の彼女は、本当にトロい。
此奴と一緒にいて苛つかない奴が要るのなら、会ってみたいものだ。
ある日、俺は1人で憤慨していた。
彼女は買い物に出かけてしまったので、部屋の中に座り込んでムカムカとしていた。
だが怒りというものは、数時間もしてしまえば極端に冷めてしまうものだ。
そして一旦、冷静になった俺は、ある事に気が付いていたのだ。
そういえば、何で俺達は付き合っているのだろうか、と。
こんな苛ついたり怒ったりしているというのに、なんで無理をしてまで一緒にいるのだろうか、と。
イヤな気分になると分かっていて、同棲する必要があるのだろうか、と。
無い。
そんな理由などある筈も無い。
彼女の事が胸くそ悪いのなら、とっとと別れるべきである。
いや、別れた方がお互いのためだろ。
そう思い立った俺は、スッと立ち上がった。
もう彼女との思い出がある部屋に居たくなかった。
そして俺は荷造りもそこそこにして、同棲していた部屋を一歩飛び出したのだ。
そうだ。
始めから、こうすれば良かったのである。
始めから。
始め。
いや、待てよ。
始め、って、何だ。
俺と彼女が付き合いだした時の事か。
それとも、同棲し出した時の事か。
あれ。
そもそも、どうやって付き合い出したんだっけ。
いや、その前に、何時、知り合ったんだっけ。
そう部屋から飛び出した俺は暫し考え込むも、やがて意識がうっすらと揺らいできていた。
そして膝から崩れ落ちそうになるも、なんとか壁にもたれ掛かって耐えたのだった。
あれ。
どういうことなんだ。
これは、何なん―――
そこで俺の意識は完全に消え、二度と目覚める事はなかったのである。
数日後。
紺色の作業着を着て工具を持った男性が、彼女の部屋を尋ねてきた。
「すいません。今日、お伺いする予定だった佐藤という者ですが」
「あー、はーい、よろしくお願いしますー」
「はい、それでは早速、ご相談にありました商品を拝見したいのですが」
「ああ、こっちですー」
「はいはい、なるほど」
「お手数を掛けますねぇ。でも、私は何にもしてないのに壊れちゃったんですよー。酷いと思いませんかー」
「いやいや、お嬢さん。機械って物は、壊さないと壊れないんですよ。自動的に壊れる機能を付けてる企業なんてありませんからね」
「ええー、そうなんですかー。でも、私は何もしてませんよー」
「私達に修理を依頼する人は、皆そう言うんですよ。でも、大抵原因はお客さんにありましてね」
「そうなんですかねぇー」
佐藤は喋りながらも、商品の部品チェックを済ませた。
「んー、お嬢さん、これはもう修理するよりも新しい奴を買った方が安いですよ」
「ええー、そうなんですかー。結構、愛着持ってたのに残念だなー」
「っていうかね、お嬢さん。どんな使い方をすれば、恋人ロボットがここまで壊れるんですかね。もうBIOSからメチャクチャになってますよ」
「あははは。私ってロボットも満足に使えない、トロい女、なんですよー」
オチたような、オチてないような。