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第二話 龍馬との邂逅

 神谷彦太郎(かみやひこたろう)は、まだ夢の続きを見ているような気持ちだった。


 目の前に広がる神社の境内は、どこか神聖というよりも「時代が違う」感覚を強く訴えてくる。木造の社殿。手入れは行き届いておらず、屋根の苔や柱のひび割れが、その古さを物語っていた。玉砂利は粗く敷かれ、歩くたびに音が鳴る。蝉ではなく春鳥の鳴き声が、控えめに空に響いていた。


 そして何より、空気の匂いが違った。草いきれと、ほんのり漂う焚き火のような香り。それが彦太郎の鼻腔をくすぐり、否応なく現代の空調された空気との差を意識させる。


(これ、もしかして……マジで、タイムスリップ?)


 胸ポケットにしまってあったスマートフォンを取り出す。電源は入ったが、画面には「圏外」とだけ表示され、時計は「--:--」のまま凍っていた。


(終わった……文明が、ない)


 ガジェット中毒ではないつもりだったが、この小さな端末が無力化したことで、何か大きな支えがなくなった気がした。


 空を見上げると、雲がゆっくりと流れていく。どこか絵画のような、それでいて肌に刺さるような現実味のある色合いだった。鳥の声、風の匂い、葉擦れの音――それらが妙に鮮明で、現代にいたときよりもずっと「世界」が濃く感じられた。


(いや、違う。これは……本当に、別の時代なんだ)


 足元の砂利を踏むたび、ザクッ、ザクッと音が鳴る。なぜかその音すらも懐かしく、怖かった。


 立ち尽くす彦太郎の背後で、ふいに「おい」と声がした。


 びくりと肩を震わせて振り返る。そこには一人の男が立っていた。

 旅装束に刀を差し、草履姿。日焼けした顔に精悍な目つき。肩には少し埃が積もっており、長旅の途中であることが窺える。


 だが何よりも、彦太郎の目を捉えたのは、その男の顔だった。


(え、ちょっと待って。え、え、え……)


 その男は、まさしく――坂本龍馬だった。


 教科書で、歴史書で、何百回と見た肖像画。その特徴的な顔立ちと雰囲気は、一目でわかるほどに一致していた。視線が合った瞬間、背筋がぞわりと粟立った。


 ただの肖像画ではなく、血が通い、呼吸し、目の奥に意思を宿す「本物の人間」としての坂本龍馬が、そこにいた。


「此処でなにをしちゅう? 旅の者かえ?」


 柔らかく、しかし鋭い目を向けてくる。声には土佐訛りが混じりつつも、どこか親しみを感じさせる響きがあった。


 彦太郎は口をパクパクさせながら、なんとか返す。


「え、あの、はい……旅人、です。ちょっと……道に迷って……」


 声が震えているのを自覚していた。が、それを押さえ込むことはできなかった。


「ふむ。けんど、その格好は見たこともないな。袴も羽織も着ちょらん。足袋も無しか……」


 龍馬は顎に手を当て、彦太郎の足元から頭までじろじろと観察する。目つきは好奇心に満ちているが、どこか底知れぬ警戒心も感じさせた。


 その目を正面から受け止めながら、彦太郎は背中に冷や汗を感じていた。


(マズい、下手なこと言ったら捕まる。異人扱いされるかもしれない。最悪、斬られる……!)


 しかし、龍馬の顔は緩んだ。観察を終えた彼は、ふっと笑みを浮かべて言った。


「ま、えいわ。行く宛がないがなら、ついてこい。ちくと飯でも食わさんとな」


「えっ?」


 予想外の展開に、彦太郎は素っ頓狂な声を上げた。


「人相は悪うない。嘘もついちょらん目じゃ。今は、そういう直感が大事ながじゃ」


 ぽん、と肩を叩かれた感触が、妙に温かかった。異常な状況の中で、それが現実味をもたらす要素として機能する。


 龍馬はもう振り返らずに歩き出す。その背中を見送るうちに、彦太郎の足が自然と動き始めていた。


 歩きながら、龍馬は時折振り向いては言葉を投げかけてくる。


「名は? 名乗っておかにゃ、飯もまずかろう」


「あ、えっと……神谷、彦太郎です」


「ほう、彦太郎。なんかの武家の出かと思うたが、そうでもなさそうじゃの」


「ええと……はい」


 ぎこちない返答に、龍馬はくすりと笑った。


「ま、名乗るだけでもたいしたもんじゃ。ここらの田舎侍なんか、斬るより先に喚くばあおるき」


 冗談なのか、本気なのか判断がつかない。だが、こうして龍馬と話していること自体が信じがたく、彦太郎は返事すらままならなかった。


 しばらく歩いたところで、龍馬が立ち止まり、山道の脇に腰を下ろした。彦太郎も少し遅れて座る。


「腹は減っちょらんか? 芋があるき、食べや」


 龍馬は風呂敷を解いて、焼き芋を取り出した。香ばしい香りがふわりと漂う。


「ありがとうございます……」


 芋を受け取った彦太郎は、思わずほろりと涙ぐみそうになった。空腹と安心感、それにこの非現実的な出会いへの感情がない交ぜになっていた。


 後に歴史を動かす男と、現代から堕ちた少年。

 ふたりの歩みは、時代という名の川を越えて、いま重なった――。


 それは偶然か、運命か。まだ誰も知らない。

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