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09 魔術書と記憶



 五日の時が経ち、ハクアに巻かれた包帯の数が随分と少なくなった。日常動作であれば問題が無い程度にハクアは回復し、昼間は起きていて問題が無くなっていた。

 さすが鬼だとアルバスは思った。魔法使いの自分であったなら、あれだけの怪我が治るのに数ヶ月は要するだろう。

 これだけ怪我が治ったのだ。少しくらい家の周りを散歩しても良いかもしれない。ハクアはずっと家に閉じこもっていた。少しくらい外の空気を吸いたいだろう。

 そうアルバスは思っていたが、今日はあいにくのザーザー降りの大雨だった。

 木組みの屋根からは辛うじて雨漏りはしていないが、窓を打ち付ける雨音は激しい。この様な日に外に出る気には成らなかった。

 故に、アルバスとハクアは家の中で静かに過ごしていた。


「……アルバス、そう言えばいつも何を読んでいるの?」

「ん? 魔術書だよ。ハクアも読む?」


 ベッドに座わり、チクチクと穴が空いた衣類を繕っていたハクアがふとアルバスに質問した。

 ベッドの隣に置いた椅子に座っていたアルバスは読んでいた魔術書をハクアに見せる。

 初等魔法教育入門Ⅰ。魔法使いならば幼少期に習う様な基礎の魔術書だ。


「ボロボロね」

「もう十年以上の付き合いだからね。まあ、一回もこの本に書かれた魔法ができたことは無いんだけど」


 ハクアがアルバスから手渡された本を持ち、パラパラと捲っていく。

 基本も基本。きっとハクアでも杖を持てばできるような魔法ばかり。けれど、鬼の彼女には必要の無い技術だ。鬼にとって魔力とは放つ物ではなく集める物なのだから。


「あ、でも、ボロボロだけど、良い本ね。古いけど良い紙だわ。王都製?」

「分かるんだ? そ、昔、王都に住んでてね。その時の本なんだ」


 王都製の本であるとハクアが分かった事がアルバスには意外だった。紙の質で本が作られた場所が分かるというのは相当詳しい者だけだ。


「わたしも昔、王都に居たことがあるの。ずっと閉じ籠もっていたけど、本はいっぱい読んでたから」

「へー。もしかしたら近くに住んでたかもね」


 ハクアの顔を見てみるが、彼女はこれ以上今の話題を広げる気は無い様だった。だが、過去の事を話してくれたのはこれが初めてだ。

 あまり無理をさせてはいけない。きっとこのまま時間を置けば、いつかハクアの口から色々な事を話してくれるかもしれない。

 そう自分を納得付けて、アルバスは右手に持った黒い杖を構えた。


「……やるか」


 集中する。魔術書には色々な表現で魔力放出の基本が書かれている。

 曰く、集中し、体内に巡る魔力を杖先に集める

 曰く、体に穴を開けてそこから魔力を流す。

 そのどれもアルバスには分からない。自分の血は魔力を溜め込めない。だから、魔力が体を巡る感覚を知らない。

 魔力が巡る感覚が分かる事を前提にあらゆる魔術書は書かれている。

 誰もが当たり前の感覚だとアルバスに言う。きっと、彼ら彼女らにとっては心臓の鼓動の様な物なのだろう。

 だから、そもそも、その感覚を持ちえないアルバスがいくら魔術書を読んでも報われる事は無いのかもしれない。

 それでも、アルバスは集中する。体から魔力を放出する。基本も基本。魔法使いならば誰もができるという簡単な事をするために。


「ふぅ」


 額に汗が流れ、世界から音が聞こえなくなる程に感覚を研ぎ澄ます。

 ああ、けれど、分からない。分からない。体に魔力が流れるとは何なのか。

 いくら杖先へ力を込めても、そこに魔力と言う物が集まる感覚が無い。

 想像するしかなかった。

 体に魔力が循環しているとして、それが血に宿っているとして、血に宿る魔力を意志によって動かせるとして、魔力を杖に集められるとして、全てを仮定して、魔力を放つのだ。

 想像である。その想像で補った高揚感が最大に成った時、アルバスは今だと口を開いた。


「放て」


 ゴォオオオオ! 杖先から魔力が放たれ、家の壁を突き破る。

 嘘だ。何も起きていない。

 経年劣化でボロボロな壁がそこにあるだけだ。

 想像は、やはり、想像でしかなかった。


「……今日も駄目か」


 はぁ、少しだけ深く息を吐いて、額の汗をアルバスは拭う。結局何も起きていない。外の雨音の強さも変わらなかった。

 アルバスは色が無い自分の髪を触る。杖無しの証であるこの髪がアルバスは嫌いだった。

 毎日毎日、アルバスは愚直に魔法を使わんと杖を持つ。手に入る魔術書はほとんど集めたし、試した。

 だが、今のところ、その努力が報われる兆しは無かった。


「……おつかれ」

「何もしてないけどね」


 集中し過ぎて喉が渇いた。アルバスは立ち上がり、水瓶から水を汲み、一口飲む。

 背後のベッドからハクアの視線を感じたが、振り返らない。既に何度も魔法の失敗を彼女には見せていたけれど、それでも失敗する姿を見せるのは恥ずかしい。


「……お腹減ったな」


 気付けば時刻は昼を回っている。意識すると胃が空腹を訴えていた。

 ふと漏らしたアルバスの言葉に待っていましたとハクアがベッドから降りた。


「料理? 任せて」

「良いの? 怪我はまだ治って無いんだから寝てても良いんだよ?」

「住まわせてくれてるお礼をしたいの。気にしないで」


 言いながらハクアは台所に向かい、テキパキと慣れた動きで竈に火をくべ、鉄鍋を取り出す。


「ほら、アルバスは座ってて。ちょっとした煮込みでも作るから。ナイフは借りるね」

「……ありがと。よろしくね」


 フンス、とハクアが黒石のナイフを使い、材料を刻み始める。

 トントントン。ザクザクザク。小気味の良いナイフが食材を切っていく音が鳴る。

 アルバスはベッドに置かれた魔術書を取りながら椅子に戻り、読み直そうと開いて止めた。


「~~♪」


 機嫌が良さそうに鍋を振るうハクアの後姿が目に入る。腰ほどまでに届く黒髪を揺らし、テキパキとアルバスのために料理を作る姿だ。

 この数日で何度か見たソレにアルバスはまだ慣れていない。

 遠い記憶、誰かが自分のために料理を作った事があった気がする。それはもしかしたらただの勘違いかもしれなくて、それくらいには記憶が曖昧だった。


「……きたない字」


 閉じた魔術書の裏表紙を見る。そこにはまだ幼い頃に書いたアルバスの乱れた名前が書かれていた。

 まだ綺麗に文字を書けなかった頃、それでもッ綺麗に書こうと頑張った幼子の文字だ。

 同級生は皆、親に書いて貰ったのか綺麗な文字だった。

 乱れた文字が恥ずかしくて、裏表紙の名前が見えない様にいつも隠していたのをアルバスは覚えている。


「ハクア、手伝うことはある?」

「大丈夫、すぐにできるから。のんびりしてて」


 ジャッジャッジャ。勢い良く鍋を振るい、ハクアはこちらを振り返らない。

 それで良かった。もしも振り返られたら今の自分の顔が見られてしまう。

 それはとても恥ずかしかった。

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