52 希望と夢
夜が始まった。
アルバスは目を覚まさない。
ふと、そんな彼にハクアは声が出た。
「旅に出ようよ。アルバス」
それは提案で、希望で、夢だ。
「ここじゃないどこか、今じゃないいつか、二人で幸せに暮らせる場所を探そうよ」
これからどうしようかと考えても何も無い。
自分の人生は今日で終わりだと思っていた。
角落市で誰かに買われ、その先で磨り減らされるだけの虚無の時間だけが続くのだと思っていた。
それでも良いとは思った。
ずっと逃げてきていて、ずっと怯えていた日々だった。
それは希望が見えない闇の日々だ。ハクアは疲れ果ててしまっていて、もう未来の全てを終わりにしたかった。
しかし、その未来はアルバスによって変わってしまった。
「やりたい事があるわけじゃないの」
そんな物を持てる様な生き方では無かった。
「なりたい姿があるわけじゃないの」
そんな事を考えられる様な生き方では無かった。
「でもさ、」
でも、体に伝わる少年の熱が、少女の心に欲を産む。
もう、この暖かさを手放したくなかった。
もう、この陽だまりから離れたくなかった。
「一緒に居ようよ、アルバス」
だから、ハクアの口から言葉が出る。
アルバスは寝ていて、この言葉を聞く者は誰も居ないから出せる言葉だ。
カツーン。
その時、音が鳴った。大穴の方からだ。
ピクリとハクアは固まり、すぐに音の主が現れた。
「……連れて行くのか?」
そこに居たのは三角帽子を被った灼髪の少女で、紅玉の瞳がまっすぐにこちらを見ていた。
「……誰?」
黒服とは違う雰囲気の魔法使いだ。
敵意も害意も感じない。目つきは鋭いのに、今にも泣き出してしまいそうだった。
「……ルビィだ。アルバスの、妹だよ」
妹。アルバスの家族。彼女が本当の事を言っているとハクアには何故だか直ぐに分かった。
紅玉の杖を持ち、背後にホウキを浮かせ、ルビィという少女がこちらへと歩いてくる。
「……」
ハクアはほとんど無意識にアルバスを抱く力が強くした。
「アルバスは寝てるのか」
ルビィがハクア達の直ぐ傍で立ち止まり、ジッとアルバスを見て、その右手が握っている白晶の杖に気づいた。
「……あの魔法を撃ったのはこいつか? お前の角を使って?」
「……うん」
「そっ、か。魔法、使えたのか」
そっかぁ、とルビィが深く息を吐いた。
万感の思いを込めた様な声で、郷愁の思い出を語る様な声だった。
「お前、アルバスを連れて行くのか?」
ルビィの視線はアルバスから外れない。
目線からは質問の意図をうかがえなかった。
連れて行かないで、とも取れる。
連れて行ってしまえ、とも見える。
どちらの回答をこの少女が望んでいるかは分からない。
「うん。連れて行くよ」
それでも驚くほど素直にハクアの口から声が出た。
ルビィは少しだけ瞼をピクリと動かす。
でも、それだけだった。少しの沈黙の後、ルビィは一度ゆっくりとまばたきをする。
「……連れて行けよ。こいつもきっとそれを望んでる」
ルビィが膝を折り、その手がアルバスの頭を撫でた。
「魔法が、使えたなぁ、アルバス」
声は平坦で、無理をして平坦な声を出しているのが分かる程に無機質だ。
「無駄な努力だって、思ってたよ。いくら魔導書を読もうが、いくら魔術書を試そうが、杖無しのお前じゃ魔法は使えないって」
ルビィの息は深くて重い。
ハクアはアルバスの過去を知らない。
彼に語ってくれと頼んだ事も無い。
だから、これはアルバスとルビィの間でだけ意味を持つ言葉で、アルバスが眠ってしまっているから言えた言葉なのだろう。
「きっと母様も父様もお喜びに成るぜ。やっとお前が魔法を使えたって聞いたら一族上げての大宴会かもな」
すぐに自分の言葉をルビィは鼻で笑った。
「……アタシ達にはお前の魔法を祝う権利が無い、か」
そして、ルビィが立ち上がり、こちらへと杖先を向けた。
「フロート」
「!」
瞬間、ハクア達の体が浮かび上がる。
重力を失った体。ハクアは飛んでいかない様にアルバスの体を抱き止める。
「町まで運んでやるよ」
「……ありがとう」
ルビィが頭を振った後、三角帽子を深く被り直した。
「お前の為、じゃないよ」
そして、ルビィが乗るホウキに引っ張られ、ハクア達は空を飛んだ。




