51 吐息と抱擁
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また、夕陽の音が訪れた。
あたりにはハクアとアルバス、鬼と魔法使い、二人以外何も残っていなかった。
魔弾が会場の全てを破壊し、沈もうとする夕陽の光がハクアの眼を貫いた。
「終わっ、た」
アルバスが小さく呟き、その右手に持った杖から光が消える。
パキイイイイイイイイイイイイイイイイイイイン!
ハクアとアルバスを包んでいた魔石が魔素と成り、輝きながら砕けていく。
それと同時に、ハクアを抱きしめていたアルバスの体から力が消えた。
「え?」
ドサリ。突然で、ハクアはアルバスと共に地面に倒れ込んだ。
「アルバス? ねえ? アルバスっ?」
ハクアは自分を覆い被さるように倒れたアルバスを揺さぶり、声を掛ける。
「……」
けれど、アルバスに反応は無い。ただ無言で眼を閉じている。
「っ」
ほとんど無意識にハクアはアルバスを仰向けにして、その口へ手をかざし、胸に耳を押し当てる。
スー、スー。トクン、トクン。
「……生きてる」
呼吸は安定していて、鼓動もする。彼は穏やかに眠っていた。
体から緊張が解け、ハクアはふぅっと体をアルバスへ預けた。
吐息がかかる距離で、ハクアはアルバスの顔をジッと見た。
その体は傷だらけで、何故だか堪らない気分に成って、ハクアは両腕でアルバスを抱き締めた。
腕に上手く力が入らなかった。アルバスに角を捧げたからだ。
角を無理矢理折ったのだ。ハクアの中で魔力の流れが乱れている。
それでも良かった。ちぐはぐな感覚のままハクアはアルバスを抱き締めたかった。
「お願い、謝らないで、アルバス」
アルバスはきっと後悔している。ハクアがそうさせてしまったのだ。
彼は優しい人だから、きっとこの角を折ってしまった事を許せない。ずっと今日この時の選択を後悔して生きるのだ。
「あなたは、わたしを救ってくれたのよ」
でも、ハクアは救われた。
アルバスが助けに来てくれただけでハクアは救われていた。もし、助けに来なかったとしても、あの家に住まわせてくれただけで、もうそれで良いと思えたのだ。
左角の割断面に陽が当たる。敏感なそこは熱を持ち、痛い痛いと泣いている。
「嬉しかったの、アルバス。あなたと話せて、あなたと過ごせて、あなたと触れ合えて、嬉しかったの。だから、謝らないで」
アルバスは眠っている。
この声は届いていない。届いていないから言える言葉もあった。
初めてで最後だと思った穏やかな時間。それをくれたのはアルバスだ。
ギュウッと強くアルバスを抱き締める。彼の頭を触り、自分の首に押し付ける様にハクアは力を込めた。
カァン、アルバスの右手から軽やかな音がする。そこにはアルバスの右手が握ったままの杖があった。
アルバスの体からは力が抜けているのに、杖だけは握り続けているのだ。
「アルバス」
それもまた、ハクアには堪らなかった。
彼に捧げた杖。彼に捧げられた杖。
良かった、とハクアは思った。
母を殺し、父が守り続けた、未折の杖は遂に折られ、その価値を失った。
喪失感はある。痛みもある。取り返しの付かない事をしてしまったという不安もあった。けれど、それ以上にあったのは安堵の心だった。
亡き父と母にハクアは思う。
怒らないでくれ。
悲しまないでくれ。
この優しい魔法使いに捧げたいと思って、捧げられた。
それはきっと幸せな事なのだから。
「アルバス、ありがとう。本当にわたしは嬉しかったの」
強くアルバスを抱き締める。
夕陽の音が少し変わるまで、しばらくハクアはそうしていた。




