43 憧れと嘲り
「レインフォース!」
ヴェルトルが身体強化魔法をかけた。ただの汎用魔法だったが、その練度が並ではない。一切の淀みなくヴェルトルの全身を魔力が巡り、その身体能力を十数倍に膨れ上がらせる。
「追いつけると思うのかっ!」
だが、いくら身体能力を上げたとしても魔法使いのそれは鬼に劣る。
大槌が唸りを上げる。質量を持った暴風と化した赤鬼の攻撃をヴェルトルはギリギリでしか躱せない。
いや、そもそも魔法使いが鬼相手に近接戦を仕掛けられている事自体がおかしいのだ。
鬼と魔法使いでは命としての強度が違う。
「行け行け魔物共ぉ!」
近接戦が成立しているのはヴェルトルが指揮する魔物達に依る物だった。
「「「「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!」」」」
指揮棒の様に振るわれるヴェルトルの杖に従い、爪と牙、そして翼と四肢があらゆる角度から赤鬼を攻め立てる。
赤鬼が暴風であるとするならば、ヴェルトル達は濁流だった。
大きな一つの流れとなった魔物達が大槌の暴風を止めんと突撃する。
「シッ!」
濁流となる魔物達が赤鬼の大鎚によっていとも簡単に砕かれていく。一度でも当たればヴェルトルの体は砕けてしまうだろう。
「強いなぁボス! ああ、思い出すねぇ昔をさぁ!」
しかし、ヴェルトルは皮一枚で躱し、杖を振るい続ける。
当たれば死となる大槌の何がそんなに楽しいのか。アルバスには分からない。
風圧で裂けたのか、氷の反面から血を流し、ヴェルトルの杖が大きく唸る。
「集まれ集まれ魔物共ぉ! お前らの餌はここだぁ!」
「ラァ!」
ブォンブォンブォンブォンブォンブォンブォンブォン! アルバス達の髪を赤鬼の暴風が乱す。土塊の様に砕けて散っていく魔物達の残骸が目に付いた。
赤鬼の動きは百鬼と呼ばれる当代頂点の戦士達に優るとも劣らない。少なくともアルバスにはそう見えた。
赤鬼の体力は無尽蔵に見えた。大鎚を振るう力に陰りは見えない。眼光は鋭く、ヴェルトルとの距離は詰めたままだ。
赤鬼の暴風は凄まじい。だが、それ以上に魔物の濁流が膨大だった。
どれだけ砕いても、どれだけ壊しても、魔物達は次から次へと会場に入り、赤鬼を襲う。
限りの無い濁流が赤鬼の体力を削る。
少しずつ、少しずつ、ヴェルトルが赤鬼の大槌を躱すのに余裕が出てくる。
魔物達の濁流が少しずつ赤鬼の腕や足を打つ。それによって僅かに大槌の軌道が乱れる。その乱れの隙間へヴェルトルがその体を入り込ませていたのだ。
「チィッ!」
このままでは完全に躱されるのも時間の問題だと悟ったのだろう。赤鬼の巻角が一際強く発光し、それと同時に大槌が振り上げられた。
決める気だ。アルバスがそう理解する前に、赤鬼は今までで一番の踏み込みを見せ、ヴェルトルへと大槌を振り下ろした。
ヴェルトルの爛れた唇が吊り上がった。
「多重展開」
言って、防護魔法が展開される。ヴェルトルの体に避ける仕草は無い。
ここに来て初めて、ヴェルトルは真正面から大鎚を受け止めたのだ。
ガガガガガガガッキイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィン!
大鎚が魔力の盾を砕き、砕き、砕き、砕き、砕き、砕き、砕き切れない。
赤鬼は力を込めた筈だ。であるならば魔力壁では防ぎきれない筈だ。だが、事実として赤鬼の大槌は多重に貼られた魔力壁を砕き切れず、その途中で止まってしまう。
発生するのは反力。自ら振り下ろした大鎚の力によって赤鬼の体が僅かに浮いた。
「しまっ──」
「──捕まえろぉ!」
隙とも呼べない僅かな間が致命的だった。
上下左右全てから魔物の濁流が赤鬼を襲い、その体を拘束する。
ダァン! 数十体の魔物に首以外の全てを押さえ付けられ、赤鬼が地面へと押し倒された。
勝敗が決し、沈黙が流れた。
ヴェルトルの爛れた左の顔が激しく歪む。
「やっとだぁ。やっとボスを見下ろせたなぁ」
ヒヒッ。顔半分を笑わせて、ヴェルトルが赤鬼へ杖先を向けた。
「いやぁ、最後は賭けだったぜぇ。ボスの渾身の一撃を防ぎ切れるかってのが肝だったからなぁ。やっぱあんだけ動くとボスも疲れちまうかぁ」
ヒヒッ。愉快痛快だとヴェルトルが笑い、クルクルとその杖先を回した。
動く杖先を赤鬼が見る。しばらく間を持った後、淡々とヴェルトルへと問いを放った。
「……裏切った理由は?」
「ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒッ。先に俺を裏切ったのはボスじゃないかぁ」
問いにはまともに答えず、ヴェルトルの杖先に魔力が集まって行く。
「感謝してるよぉ、ボス。力が無い奴に生きる資格が無い。ボスの教えのお陰で俺はここまで強く成れたんだからさぁ」
「……クソが」
視線だけで人が殺せるのでは無いか。そう思わせる程の殺意を乗せて赤鬼がヴェルトルを睨み上げる。
「なぁボス? こんなもんじゃないだろぉ? 本当は他に奥の手があるんだろぉ? 昔のボスならもっと強かった筈だぜぇ? 百鬼だった頃のボスならこんな拘束簡単に外せた筈だぜぇ? 俺に言ったじゃないかぁ。最強を教えてやるってぇ。何かあるんだろ? ここから俺を殺せるような何かがよぉ? なぁ、あるなら早く見せてくれよぉ?」
ヴェルトルが笑いながら赤鬼に懇願した。
もっとお前は出来る筈だ。
もっとお前は強い筈だ。
憧れなのか、嘲りなのかは分からない。
だが、誰の眼か見ても赤鬼にもう打つ手が無い事は明らかだった。
本当に赤鬼がもう動けないと分かり、短く笑った後、ヴェルトルは息を吐いた。
「あ~あ、本当はもっと強かった筈なんだけどなぁ。やっぱり実戦に出なくなった戦士は駄目だなぁ」
ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒッ。
乾いた笑い声を大きく上げてヴェルトルが赤鬼の額に杖を当てた。
「それじゃあ、ボス、死ねぇ」
杖の光が赤鬼の頭を貫き、それで二人の会話は終わりだった。
ブツリ! 赤鬼が舌を噛み切り、地に伏した。




