39 逃走と煙玉
「おい、待て!」
赤鬼が目を押さえたままこちらへ手を伸ばす。それを間一髪で躱してアルバスとハクアは壇上から飛び降りた。
爆光苔の光は収まっている。客や黒服達の視界が回復するのも時間の問題だ。
一気に走り、会館の外へとアルバスとハクアは跳び出した。
「魔隷角が逃げたぞ!」
「何処だ!?」
「逃がすなぁ!」
急げ、急げ、急げ。息も忘れる程に走る。今の内に少しでも距離を稼がなければならない。
「急いでハクア! 早く速く逃げるんだ!」
未だ呆けたままのハクアの手を引きながらアルバスは叫ぶ。
「ッ!」
「え、うわっ!」
瞬間、ハクアがびくりと震え、アルバスを片手で持ち上げて、その足を一気に加速させた。
鬼の膂力は凄まじい。激しく揺れる視界はアルバスでは出せない速度で動き、見る見ると黒服達と距離を離していく。
その視界の中でハクアの泣き出しそうな声がした。
「何で来たの!? わたしなんて放っておいてくれれば良かったのに!」
「言ってる場合!? とにかく外へ! 森の中に逃げるんだ!」
引き返せる状況ではない。アルバスは矢を放ち、ハクアは手を取ってしまった。ならば、もう逃げるしか二人に道は無かった。
「何で、何で来ちゃうの!? あなたが生きてくれればそれで良いのに! わたしなんてどうでも良いのに!」
悲痛な声だ。ここまで感情を荒げるハクアの姿を見たのは初めてだ。
アルバスは謝罪をしない。何を言ったとしてやる事が変わらない。今考えるべきはどうやって二人で逃げるのかのただ一つだ。
ハクアに抱えられたまま、前と後ろを見る。追手が直ぐに現れた。
「居たぞ!」
「捕まえろ! 逃がしたら終わりだ!」
前方から屈強な体をした鬼の黒服達がこちらへと突進してきた。
「ッ!」
「止まるな!」
足を止めそうになるハクアを叱咤し、懐のポケットからアルバスは鉄カビの煙球を投げ付けた。
地面に当たったそれは爆発し、一帯を赤黒い鉄カビで包み込んで、追手の視界を奪う。だが、敵のマギアが杖を掲げ、探索魔法を使用した。
「サーチ!」
魔力の波。アルバス一人ならば問題ない。けれど、ハクアの角の魔力は簡単に捕捉されてしまう。
「あっちだ! 場所は俺が指示する! 行け!」
鉄カビの向こうでマギアの指示がされ、鬼達の力強い足音が鳴った。
早く次の手を打たなければ。向かってくる黒服達。捕まったら終わりだ。
「こっち向くなよハクア!」
揺れる視界の中でアルバスは爆光苔を染み込ませた布を巻いた矢を地面に投げ付ける。
「ぐっ!」
ピカァアアアア! 爆光苔が再び激しく発光し、煙の中から飛び出たばかりの鬼達の目を焼いた。
「走ってハクア!」
「ッ!」
今の内だ。敵が混乱している今の内に森へと逃げなければ。
ローブからありたっけの道具を取り出す。どれもこれも逃走用。アルバスは魔法を使えない。まともに戦うのは不可能だ。
「はぁ! はぁ! はぁ!」
ハクアの足は速かった。視界は強烈な速度で動き、目まぐるしく変わっていく。
「くらえ!」
アルバスはまた一つ鉄カビの煙球を投げつけた。
ハクアが逃げ、アルバスが妨害する。それが数度続いた。アルバスもハクアも顔は歪み、息を切らしている。
煙球を投げ、矢を放ちながらアルバスはハクアへと問い掛ける。最も危険な男の姿が見えなかった。
「ハクア、ヴェルトルは何処!?」
「分からないよ! もう何にも分からないの!」
ハクアの声は泣きそうだ。彼女はただ出口を目指して走る事しかできていない。
分からない。今、ヴェルトルが近くに居るのかどうか。
けど、あの大魔法使いが居ないのなら好都合だ。あれが現れる前に逃げ切らなければ。
「止まれ!」
進路の先、大屋敷の影から黒服達が現れた。マギアは杖をこちらに向け、間髪入れずに捕縛魔法を放つ。
「バインド!」
典型的な捕縛魔法。触れた物を光輪で縛る単純明快な汎用魔術。
物理的な干渉でこの光輪は無効化できた。瞼に貼り付く程に魔術書は読んできた。汎用魔術の仕組みならばアルバスは熟知している。
「知識だけはあるんだよこっちには!」
吐き捨てる様にアルバスが鉄カビの煙球を投げ付ける。
地面に落ち、周囲にボン! と散乱する鉄カビ。それに光輪が接触し、瞬間、鉄カビを捕縛する。対象を間違えた光輪は鉄カビごと地面に落ち、アルバス達には届かない。
「なんだそりゃ!?」
アルバスの想定外の対処に、煙の向こうで敵の動きが一瞬固まった。アルバスは三角帽子を被っていたから、黒服達はアルバスがマギアだと思っている。ならば、捕縛魔法への対処は単純な魔力壁で事足りる筈だ。
マギアがわざわざこんな小細工で捕縛魔法を止めようとする発想が黒服達には無いのだ。
「っ!」
ハクアがアルバスの腰を強く抱き、一際強く加速して鉄カビの煙の中へ突っ込んだ。
「魔隷角だ! 捕まえろ!」
煙の中から現れたハクアとアルバスに黒服達が手を伸ばす。
「跳ぶよ!」
それをハクアは全力の跳躍で跳び越えた。
アルバスの視界が回る。その中で爆光苔の矢を黒服達の足元へと投げ付けた。
「くそがぁ!」
ピカァアアアア! 光が黒服達の目を潰す。その呻きを聞きながら、アルバス達は大屋敷を超えた。




