03 理性と弓矢
「……は?」
少女、血まみれ、何故、どうして?
大量の疑問がアルバスの頭を走った。
狂鳴の森は人が寄りつかない死の森だ。稀に魔石取りの狩人が来るくらいである。
間違っても少女が来るような場所では無い。
「……生きてるのか?」
崖下の少女。岩肌から動かない。落下したのだ。数階建ての高さから。
死んでいると、アルバスは思った。
黒髪の鬼は血まみれ生気が感じられない。
アルバスは気付く。集まっていた魔物達の目的は少女の様だった。
あれらの魔物はあの血まみれの鬼を狙って集まり、殺し合っているのだ。
「鬼の角か」
少女は鬼だ。その角は高純度な魔石である。
魔物達は生きる為に、そして強くなる為に魔力を喰らう。きっと、魔物達は角ごと少女の体を喰い漁りたいのだ。
「……」
魔物同士が喰い合う光景ならば何度も見てきたが、人を喰おうとする光景を見るのは初めてで、アルバスは息を詰まらせた。
眼を逸らしたくなる。このままここに居ても、まだ綺麗に形を保っている少女の体が無残に食い荒らされる姿を見るだけだ。
「!」
けれど、眼を逸らす直前、アルバスは気付いてしまった。
うつ伏せに落ちた少女の胸が僅かに上下している。
「あ」
生きている。
生きていて、今まさに死のうとしている。
「助けなきゃ」
ならば、助けなければ。
それ以外の言葉が頭の中から消えた。
アルバスは少女を凝視する。彼女は本気で走って数秒の距離に居た。
魔物達の殺し合いは拮抗状態にあり、空と地それぞれで爪と嘴と牙が縦横無尽に動き回っている
全ての魔物が少女へ口を開き、互いが邪魔者で、だからこそ殺し合いが起きていた。
いつ少女の肌へ牙と嘴が突き立てられてもおかしくない。
「……急げ」
アルバスはリュックを置き、弓を手に取り、矢先に爆光苔を染み込ませた布を巻いた矢をつがえた。
そして、矢を放とうという時、アルバスの理性が囁いた。
見捨ててしまえ。お前には戦う力が無いのだから。
逃げてしまえ。この十年、ずっと魔物から逃げてきたじゃないか。
どうして、見ず知らずの少女のため、命を危険に晒すのだ?
アルバスは理解している。このまま放って置けば少女は遠からず死に、死体を魔物達が食すだろう。
それは森で見てきた食物連鎖だ。気にする事ではない。
もしも、アルバスが少女を見捨てて逃げたとしても誰にもバレないし、バレたとしても誰にも責められない。
「……考えるな」
矢羽を掴む指に力が入る。
助けなければと思ったのだ。
ならば、助けなければ。
そうでなければ何か大切な物を失ってしまう気がする。
息を止め、眼を大きく開けて、岩肌を狙ってアルバスは矢を放つ。
「いけ」
ヒュウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!
風切り音と共に矢は真っ直ぐに岩壁を目指した
矢に巻いた布、それに染み込ませた爆光苔は衝撃を与えると激しく発光する。
はたして、矢は岩肌に激突し、牙の崖を激烈な光で包みこんだ。
ピカアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!
「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!」
突然の発光。血走った眼を見開いていた魔物達が金切り声を上げて暴れ狂う。
「シッ!」
僅かに緩んだ光の中をアルバスは駆けた。
光の中を駆け抜ける三角帽子のアルバスの姿を眼が潰された魔物達は認識できない。
尖った岩肌を跳びはね、全速力でアルバスは鬼の少女の元に辿り着いた。
「ッ!」
近くで見れば少女の怪我は酷かった。四肢は何処もおかしな方向を向いていて、裂傷も酷い。破れた体からは今も血が流れていて岩肌をじっとりと赤く染めている。
酷い怪我だったが、持ち上げ方を考えている暇はない。
魔物に囲まれている。今はとにかく逃げなければ。
少女を両手で抱え、歯を食い縛りながらアルバスは元来た道を駆け戻った。
「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!」
少女が動いている事に魔物達が気付く。
魔物達にとって少女はご馳走だ。横取りは許さない。
少女の居場所を頼りに魔物達の牙や嘴や爪を伸びてくる。
アルバスのナイフよりも大きく鋭い牙や嘴や爪がアルバスのローブの端を切り裂く。
「!」
歯を食いしばってアルバスは悲鳴を飲み込む。まだ爆光苔の光は続いている。魔物達の眼は潰れたままだ。
早く、早くここから逃げるのだ。
ローブをボロボロにしてアルバスは森の中へと到達する。
ザワザワ! パキバキ! 風が木の葉を揺らし、アルバスの靴が枯れ枝を踏み折った。
「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!」
魔物達の狂鳴が背後に聞こえる。振り返る余裕は無い。
もう爆光苔の光の範囲からは外れてしまった。魔物達の眼が回復するまで後どれくらいか。回復したら、こちらを追って来るのだろうか。
どうなるか分からない。この足を止めてはならないことだけが確かだった。
急げ、急げ、急げ。アルバスは逃げる。
抱えた少女の息は浅く、四肢はピクリとも動かない。
「おい、生きてる!? 声は聞こえてる!?」
「……」
「頑張れ! 頑張れ頑張れ頑張って! 絶対に死なないで!」
答えは無い。水晶の様な白い角が周囲の魔素を吸収し、ホウホウと輝いているだけだ。
「大丈夫だよ! 大丈夫だから! お願いだから死なないで!」