20 血と誇り
*
アルバス・サングイスの一番古い記憶は魔法が使えない自分へ絶望した母の顔だった。
サングイスの一族はかつて優秀な魔法使いを数多く輩出してきた。
傑物と評される魔法使いを多数産んできた功績から王族から直々にサングイスの家名を拝受した成り上がりの貴族である。
サングイスの一族に加われば、凡百の魔法使いも一つの真理を得られる。
サングイスの一族と交われば、優秀な魔法使いが産まれる。
そう噂され、事実そうだった。
血に魔力を貯める種族である魔法使いにとって血統は何よりも重要だ。故に貴族と呼ばれる一族はできる限り同種の魔法を得意とする者同士で婚姻し、子孫を残していった。
その中でサングイスの一族は異質だった。通常であれば数代かけて達成し得るの魔法の極致にサングイスの血を混ぜれば僅か一代で辿り着くのだ。
あらゆる貴族がサングイスの血脈を求めた。そして、サングイスの一族は血その物を武器として富と名声を欲しいままにした。
だが、アルバスが産まれる頃にはその栄光は失墜していた。
何か失敗した訳ではない。単純にサングイスの血を望む者がもう世界に居なくなってしまったのだ。
あらゆる貴族に血を売った。
あらゆる王族に血を売った。
サングイスの先代達は自分達の血を安売りし過ぎたのだ。
サングイスの血が効力を発揮するのはただの一度だけだったのだ。過去にサングイスの血と交わった事がある一族との間に子を為したとしても、血統由来の魔法へ効力を発揮しないのだ。
ただ一度限り、交わった者の血脈を極致へと昇華させる。それがサングイス家の力だと気付いた時には、サングイスの血を求める者は何処にも居なくなってしまったのだ。
ただそれだけの、ありふれた、商売に失敗したというだけの没落劇だった。
後に残ったのは没落寸前の貴族という地位だけ。アルバスはそんな一族の末端だった。
アルバスの母はそんなサングイスの一族に嫁いできた貴族の娘だ。
彼女自身の家も没落寸前だった。元々は魔物討伐で財を為した一族であったと聞いている。だが、一族の血が薄まるにつれ、少しずつ魔法の力は希釈され、貴族とは名ばかりの力しか無くなった。
母の一族は藁にも縋る思いでサングイスの血を自分達の血統に入れようとしたのだ。
父の、すなわち当代のサングイスの党首にも思惑があった。父自体は優秀な魔法使いであり、王国でホウキ隊に入れるほどの実力があったけれど、かつてのサングイスの栄光はもう無い。
記録上は母の一族には一度もサングイスの血が入っていない。ならば、産まれた子は戦う魔法使いとしての素養があるはずだと考えたのだ。
アルバスは二つの一族の期待を背負って産まれた。
何か素養がある筈だ。何か才能がある筈だ。まだサングイスの血は終わっていないのだ。
そう証明すべく産まれたのに、アルバスは魔法が使えない杖無しだったのだ。
「何故、お前は魔法が使えないのだ。アルバス」
「どうして、杖無しに産まれてしまったの? アルバス」
「我らの血にはもう価値が無いのか」
「私達の魔法にはもう価値が無いのね」
二つの一族の失望は凄まじかった。最後の賭に負け、母の一族は没落し、サングイスしか残らなかった。
失望と絶望の眼が幼少のアルバスを囲む。
サングイスの一族は様々な事をアルバスにした。
どうにか魔法が使えないか、本当に魔力を溜め込めないのか、自分達の血にまだ価値があるのだと信じられないのか。
あらゆる杖を持たされた。あらゆる魔法具を試された。あらゆる魔法薬を飲まされた。
ああ、けれど、アルバスは杖無しで、その血に魔力は溜まらない。
何故、どうして、よりにもよって杖無しが産まれてしまったのだ。
二つの一族の希望を背負ったのに、出来損ないを産んでしまった。サングイスの一族の中で母の立場は悪くなった。
元居た一族に帰ろうにも、家は没落し、母の帰る場所は失われた。
サングイスの血が効力を発揮するのは一度限り。その一度で産まれたのがアルバスだ。
もうサングイスにとって母は用無しで、役目を果たせなかった恥知らずだった。
そして母は病んでしまった。
アルバスの姿を見るだけで金切り声を上げ、アルバスの声を聞くだけで震え上がる。
自分を見る母の眼が一番アルバスには辛かった。
妹のルビィが産まれたのは、母が壊れて少しして、アルバスが王都の幼年期の学習機関に通い始めた頃だ。
ルビィはアルバスの母から産まれた子ではない。
アルバスではサングイスを継げない。だが、アルバスの母ではまともな魔法使いは産めない。一族の総意に従い、大枚を叩いて買った異国の女から産まれたのがルビィ・サングイスだ。
数度だけアルバスは話した事がある。赤い髪で異国の絵本を良く読んでいた、体が弱い女だった。ルビィを産んだだけで死んでしまうくらいには。
産まれてきたルビィにはアルバスには無い魔力があった。赤子の状態で一級魔術師を超える程の魔力が。
一族の期待は凄まじかった。もう一族には資金がほとんど残っていない。ルビィでダメならばもう没落しか道が無い。
それから数年後、アルバスが初めて杖を持たされた時と同じ年にルビィもまた杖を持った。
その瞬間の景色がアルバスの瞼の裏に今でも貼り付いている。
ルビィが杖を持った、ただそれだけ。その瞬間、アルバスの屋敷は炎で包まれた。
圧倒的な魔力量。常人には理解できない程の魔法への変換効率。それが可能にした炎の具現化。
サングイスの一族は喝采を謳った。
まだ我らの血は終わっていない。もう一度、サングイスは輝ける。
炎に包まれた屋敷を見て、一族の者が希望と歓喜の眼をルビィへ向ける。
ルビィがアルバスを見た。
やった! すごいでしょ! 褒めて!
そんな事を言っていた気がする。普段、絵本を読んでとせがんできた幼い妹。兄としてアルバスは何か言うべきだったのだ。
だが、アルバスはその時母を見た。病んでしまった母もルビィへの献杖式には参加していたのだ。
そして、母は壊れてしまった。
母がアルバスを殺しに来たのは、それから半年程経った時だった。
冬の日の夜だった。理解できない魔術書を読み、どうにか魔法を使うのだと杖を振るう無為な時間。
本邸とは別に建てられたアルバスの離れ屋敷に母が訪れたのだ。
アルバスは喜んだ。母が自分から会いに来てくれたのは初めてで、壊れてしまってから母が歩いている姿を見るのも初めてだった。
「死になさい。アルバス」
そんなアルバスへ浴びせられたのは、腹へと放たれた母の魔弾だった。
魔弾を喰らって骨がいくつも折れたけれど、アルバスはギリギリで生きていた。
アルバスが死んだと勘違いしたのか、離れ屋敷から出て行く。一度もこちらを振り返る事無く、母は去ったのだ。
気絶し、床に倒れ伏したアルバスを見つけたのはルビィだった。
ルビィの悲鳴。走ってくる給仕達。
治療魔法の中でアルバスは父に聞かれた。誰にやられた? 何があった?
そこには母の姿もあって、アルバスは嘘を吐いた。
分からない。急に襲われた。犯人の姿も見ていない。
何でそんな事を言ってしまったのか。そんな事を言っても、母が自分を見てくれる筈が無いのに。
それから更に一ヶ月後。治療魔法を受け、怪我か完治したその日。父が言った。
「アルバス、この屋敷から出て行け」
その言葉に何て返したのか、覚えていない。
どうして? 嫌だ? ここに置いてくれ?
もしかしたら何も言わなかったのかもしれない。
父はこう続けた。
「狂鳴の森と言う場所にお前の家を建てた。そこに住め。金ならば出す。必要な物があれば使いに言え。何でも用意する」
真っ直ぐに父はこちらを見ていた。
「お前はサングイスの一族に居ては成らないのだ」
気まずそうに眼を逸らす事すら無かった。
そうして、アルバスは狂鳴の森に来たのだ。




