17 ナイフと杖先
月が空の頂上に着いた頃、アルバスは狂鳴の森に駆け戻った。全力で荒野を走り抜けた体には大量の汗が噴き出ている。
耳に届くのは木のさざめきだけ。狂鳴の森は不気味な程静まり返っていた。
異常だ。魔物達の鳴き声が一つとして無い。
枯れ枝を踏み締め、アルバスは最短距離でハクアの元へと向かう。
全力で走っている。息を吸っているのか吐いているのかも良く分からない。夜の森をこれ程まで無防備に走ったのは初めてだ。
景色の流れがとても速い様にも、ほとんど進んでいない様にも見え、アルバスは歯を噛み締める。もしも魔法が使えたのであれば、もっと速くハクアの元へ行けるのに。
そして、風の音が聞こえなくなってしばらくした時、光が見えた。
「──! ──!」
「ッ!」
声がする。ハクアの声だ。
走りながら、木々の隙間、その先へ目を凝らす。
髪を掴まれ、黒服達に地面に押さえつけられているハクアの姿が映った。
夜だというのにその姿ははっきりと見える。理由は明白だ。アルバスの家を燃やす真っ赤な炎がハクア達の姿を照らしているからだ。
ハクアを押さえる黒服は魔法使いと鬼、それぞれ数人。どうにか逃げようとハクアが藻掻いている。
「──」
頭から言葉が消えた。アルバスはその場でリュックを投げ捨てた。
右手に黒石のナイフを持ち、木々から飛び出て、ハクアの元へと加速する。
アルバスが目の前に迫って初めて、その存在に黒服達が気付く。
「ハクアを放せ!」
アルバスはハクアを抑え込む黒服へ体当たりをして、共に倒れ込みながらの腕にナイフを突き立てた。
「ぎゃっ!」
鬼の肌だ。深くは刺さっていない。突然現れたアルバスと腕の痛みに驚いただけだ。
すぐにアルバスは転がるようにハクアを抱き締め、黒服達から引き剥がし、ハクアごと立ち上がった。
「アルバス!?」
「逃げるよ!」
逃げるなら森の中。夜とは言え多少の地の利はある。まずは逃げ、隠れ、そして状況を立て直すのだ。
ナイフを刺された黒服達はまだ何が起きたのか把握できない。今が逃げるチャンスだった。
「駄目! 駄目よアルバス逃げて! わたしは置いていって!」
だが、そんなアルバスを他ならぬハクアが突き飛ばした。
ハクアの拒絶の意味が分からない。だが、そんな事はどうでも良い。今はとにかく共にここから逃げなければ。
「一緒に逃げようハクア!」
「駄目! 早く逃げてアルバス! あいつが来る前に!」
何故、ハクアは手を取ってくれない? 理由を考える前に、答えが現れた。
「お前達は本当に無能だなぁ。ちょっと目を離した間にその様かよぉ」
泥闇の様な声をした男だった。
左半分の爛れた顔が引き攣る様に笑い、右半分は氷の様な無表情。角は無い。魔法使いだ。この特徴をアルバスは知っている。
「ヴェルトル」
「ちゃんと俺を知ってるかぁ。そう言うお前は杖無しアルバスだなぁ?」
アルバスはハクアの前に出て、黒石のナイフをヴェルトルに向けた。
既にヴェルトルは杖を抜いていた。
背後のハクアがガタガタと肩を震わせている。どうにかして彼女だけでも逃がさなければと思うのに、この様子ではまともに走れるかさえも分からない。
「なるほどぉ。確かに魔力が全然感じられねぇ。ここまで酷い杖無しは俺も初めて見たぜぇ。でもよぉ、高々杖無し一人によぉ、大事な大事なシロツノを奪われてんじゃねえよぉ。角落市は明後日なんだぜぇ」
そう言いながら、ヴェルトルが黒服へ杖先を向けた。
「! 待ってくだ――」
「――死ねぇ」
ヴェルトルの杖から放たれた光が黒服の魔法使いを貫き、直後、魔法使いが杖を自身の口の中へ向け、魔弾を放った。
ボン! 口内で放たれた魔弾によって、熟れた果実の様に頭が弾け、首を失った体が地面に倒れる。
「調律の、魔法」
ヴェルトルの代名詞。魔力を帯びた光を放ち、それをくらった物を操る魔法。
アルバスは顔を強張らせる。覚悟を決めるしかない。怯えて震えるハクアを逃がすため、今ここで戦うしか無いのだ。




